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「被害者の気持ちを考えたら…」という言葉は薄っぺらい

人間は過去の過ちを一生涯許してもらえないのか?

ネット時代のうねりも後押しし、そんなことを考えるキッカケが訪れている。

もちろん、ダメなものはダメだし、当然そこには限度もある。
ようするに、過去に何をやってしまったのか?
ここの大小は誰しも避けて通れない。
被害者がいるならばなおさらである。

しかし、「被害者の気持ちを考えたら…」

という、関係ない外野の意見には違和感を覚える。

これは実体験でも感じたことがあるので、強く主張しておきたいところなのですが、、、

被害者や被害者の家族以外の人間は、数週間もすれば忘れます。
いや、正確に言えば興味がなくなります。

「被害者の気持ちを考えたら…」と意見している人は、実際被害者の気持ちを心から考えていない。

なぜなら、それらの事柄はどこまでいっても他人事であり、自分の人生には関与しない。
人は自分の人生に関与しないことは忘れます。

これは決して悪いことでなく、至極当然のこと。
人は誰しもが自分の人生を歩んでおり、悩みや不安やストレスは何かとついて回る。それだけで精一杯なのだ。
面識もない被害者の気持ちに寄り添うことなどできるはずもない。

その瞬間だけは何気なく気分で「被害者の気持ちを考えたら…」と意見したとしても、その意見はその瞬間だけの思いつきにも近い。
一瞬の思いつき意見など、言った本人は簡単に忘れる。

だが、その一方で
被害者本人は一生忘れないほどの傷を負っている場合もある。
被害者本人にとっては大きく自分の人生に関与することであり、他人との温度差は天と地の差であることは間違いない。

ようするに、「被害者の気持ちを考えたら…」と心の底から言えるのは被害者本人と、その家族や親友だけだろう。

今はスマホを片手に誰もが意見できる時代であり、その弊害は間違いなく世の中を狂わせている。
誹謗中傷などは言語道断だが、盲点となっている大きな弊害は…

正論を武器にした誰かの暇つぶしが
人の人生を変える可能性を秘めていることだ。

被害者側に寄り添った発言は一見正論に包まれており、優しさから来る意見に見えないことはない。

しかし、真実は違う。

数週間もすれば忘れるくらいの優しい言葉なら、それは優しさと呼ばない。

「被害者の気持ちを考えたら…」と本気で心の底から思っている人は
その被害者のために自分なら何ができるか、、、
考えて考え抜いて、実際に行動へと移すものだ。

少なくとも親指一本で無責任な言葉だけを残したりはしない。
本来、他人事で戦えるほど人間は暇じゃないのだ。

放っておいても人生には何かが起きる。
理不尽も運の無さも人の恐ろしさも自分の無力さも
何もかもをひっくるめて、いつか何かは起きる。

自分が誰かから被害を受けた時、自分の家族や仲間が被害者となった時…
戦うのは、その時に取っておくべきだ。

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