見出し画像

質か量か?その答え。

自分の中での決定事項なので、わざわざ公開する必要もないのですが、偶然読んだ誰かのためにもなればと思いまして書き留めておきます。

質なのか量なのか問題の決着。

大切なのはクオリティなのか?それとも数を多く出すことなのか?

人それぞれと言ってしまえば話は終わりますが、これに関しては人それぞれではない。
自分はそう感じたので、あえて決着と言わせていただきますが

答えは質です。
物作りの際に大切なのは量よりも質です。

たくさんの量を生み出さないと良い質のものは出てこない。
そんな意見もありますし、実際そういう場面もあります。
しかし、それは若い時に限った話。

若手の頃はとにかく量をたくさん作って、その渦中で得られる経験値があります。
量産することでしか見えない景色もあり、たくさんの数をこなすことは決して悪いことではありません。

ただ、人間は誰しも等しく年齢を重ねます。
一年経てば全員が一歳年を取り、年齢が下がることは未来永劫ない。

作品の稚拙さが許されるデッドラインというものは確かに存在する。
20代の頃は多少粗くても、多少厳しくても、大目に見てもらえることがありますが、、、

ここが1番大切。

20代の頃はハッキリと誰かから注意してもらえる。
誰かからおもいっきりダメ出ししてもらえる。
時に作品を見てもらって先輩から叱られる場面だってある。

若さというのは諸刃の剣であり、怒られたり注意されるストレスは隣り合わせだが、そのストレスは何事にも変えられない財産。
30代も半ばくらいになってくれば、なかなかダメ出しはされなくなる。
それはスキルが成長したからダメ出しを受けないのではなく、マイナス点を言いづらい年齢になっているだけのこと。

いつしか
うわあ…ダメ出ししにくいなあ…と周囲には頭を抱える人だらけになる。
そりゃあ、キャリア10年、15年ほどの人にダメ出しするのが難しいのは当たり前のことであり、ダメ出しする立場に当たる人が年下になる可能性もある。

正直、仕事をする中でこれほど辛いことはない。
心の中では、この人のセンス厳しいなあ…と思われているのに、気を遣って持ち上げたような言葉を言われてしまう立場。

そして、未来永劫タネ明かしはされない。
その段階で気を遣われている年齢なのに、時が経てば自動的に年齢は重ねてゆく。
時間の経過と共に、どんどん気を遣われる存在になっていくのだ。

あの頃はダメ出ししにくかったけど、今ならダメ出ししやすいなんて逆転現象は基本的に起こらない。
ようするに、キャリアを積めば積むほど本当のことを言ってもらいにくくなる。

では、年齢を重ねても周囲から本当のことを言ってもらうためにはどうすればいいのか?

自分が生み出す作品の質を高めておく。

マジでこれしかない。道は険しいけれど、本当にこれしか道はない。

自分が生み出す作品の質さえ問題なければ、誰に何を気を遣われることもない。
そうなれば、自動的に本当のことを言ってもらえるようになる。

ダメ出しされるようなものを作らなければ、年齢の上下は関係なくなる。
良いものは良いので、良いとしか言えなくなる。
立場もキャリアも年齢も関係なく、クオリティの高いものは評価される。

仮に量だけは数多くこなせる能力はあるとしても、その分野のステージはいつしか若い人のほうに任せることになる。
先述したように、例外はなく全員が年齢を重ねていくので、必然的に質が求められていくステージへと突入する。

だからこそ
質と量、どちらが大切か?と問われれば

若い時など人生の一瞬なので、その答えは質。

年齢を重ねて誰にも注意してもらえなくなった時…
ちょっとした裸の王様になりそうな時…
自分を助けてくれるのは紛れもなく自分のセンスから生み出される作品のクオリティの高さ。

クオリティに付随して結果が伴うかどうかも大切だが、結果よりも大切なのがクオリティ。
結果には時の巡り合わせもあるが、クオリティには運の要素が皆無。

生み出す作品の質の高さは、己の実力やセンスでしかない。時に結果が伴わずとも、良いものは良いのだ。
そのセンスの良さや質の高さを理解できる人は必ずどこかにはいる。
と同時に、実力やセンスを磨くために量をこなす時期も必要。

つまり、考えるべきは量か質か?ではなく、量は質のための通過点でしかない。
たくさんの量をこなすのは、来るべき未来に向けて質を高める訓練だということ。

これからも手間ひまかけて質を磨いて、いつまでも本当のことを言ってもらえる自分でいたい。

サポートも嬉しいですが、記事やマガジンを購入していただけたほうが嬉しいです。読んでくれた人が記事の内容を覚えている文章を心がけております。