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【エッセイ】27歳、おおよそ自立。

自分はいつ完全に親から自立するのだろう。
それは世間的に見て、遅い方なのだろうか、早い方なのだろうか。
というか自立って必要なんだろうか。
これからの、親との関係性の正解ってなんなんだろか。
難しい。

そんなことを最近なぜか考えている。

年も変わって、自分の人生の計画…ってほどそんなに具体的なものじゃないけど、少し概観をしてみた時に、やはり親がいつまで元気で、いつまで助け合えるのだろうか、とか考えることもある。
震災などがあったこともあり、別れが突然きてしまうこと(別に親に限らないけど)も、ゼロじゃないよなって。実際、昨年の末にわたしは祖母を亡くした。もう長くはないことは分かっていたけれど、何をいろいろお返しして、どう接してあげればいいのか、正解がまったくわからなかった。正解って何?元気な顔を見せてあげればいいとか、職場の上の人にはよくそういう風に言われるけど、そんなふんわりしたことで成立するんだろうか。

(そもそも別に親なんて、今の私の歳でもいたりいなかったりだし、健康だったり仲が良好だったりってのも、みんなそういうわけじゃない。二人とも健在で、一応まあ仕事もしていて、会話も交わすし、困ったときは助けてくれる。それをありがたいと思う。)

一度自分は親に依存していることを考えてみる。

➀ 精神的な依存。
なんか「依存」っていうと、症状みたいに聞こえるんだけど、まあそうなのかもしれない。落ち込んだとき、迷いが生じたとき。大変なとき…。
そういうとき、基本的にはやっぱり家族LINEで相談したり、弱音を吐いたりしてしまう。(何かクリティカルに解決したり、心が軽くなったりするわけでもないのだけれど。)

でも、それは本当に幸せなことだって思うと同時に、親もいつまででも元気でこちらのことを理解してくれるわけでもないのだから、自立していかなきゃいけないんだと思う。完全に自分のそういう心のもやもやを、自分で処理する=自分の機嫌は自分でとる、ことが急にできるようになるわけじゃないんだよな。もちろん、それが厳しかったら、友達でも何でも(わかんない、アットホームな飲み屋さんとか???)少し弱音吐ける人を探せばいいんだけど。でも、20代後半。友達もみんな、自分の人生で精一杯だと思う。そういう遠慮とかもあり、やっぱり親って、もうどうしようもない、微妙な、人に吐き出すのは、本当にはばかられるようなことを吐き出せる存在だと思う。何度も何度も言うけど、やっぱりそれは本当にありがたく思うべきことだけど、そろそろそういう、「どうしようもない自分の感情」を自分で処理していかなきゃいけないんだと思う。

② 実家っていう存在。
実家がある。
それだけで、たぶんありがたいことだと思う。
たまに、実家が近所で、週末でも帰れる、みたいな人を見ると、なおさらいいなあって思うけど、でもまあ、遠方にいたって家族は家族で、実家という存在があること、それ自体ありがたいと思う。
(でも、自分は遠方に実家があるくらいでいいのかもしれない。適度な距離感って、人それぞれ全然違うと思うけど、私の場合、特に母親とは近すぎるとよくない。)
言うとしたら「帰れる場所があること」
もしもここで失敗しても、もしもここで生活がままならなくなっても、あそこに戻ればいいっていう安心感。
実家のリフォームとか、物の整理とか、そういうのも、少し意識していきたいなって思う。

実家帰った時の送り迎え、とかも。やってくれる家族がいること。
ありがたいことだな。

③ お米。
送ってもらっている。これどうなんだろう?あるあるなのかな?
別に、農家とかじゃないんだけど、重いから?
なんか地元で買って送ってくれてる(ありがたい。)
それもさ、20代前半の頃はなんか全然、当り前のように思ってたけど、めちゃめちゃありがたいことだよね。
なので、お返しに、お中元、お歳暮的な感じで、少しいいうなぎとかお肉とか送っています最近。

④ 旅行。
行かない年もあるけど、年に1回くらい???
がっつり旅行じゃなくても、なんか結構家族でどこかに泊まったりはする。
そういうとき、何かこっちで払うのは、親のプライド的に許さないようです。感謝しています。

そんなもんかな。

だけど、これは現状依存しているところの話。
実際私は、これまで大学院修了までの26年間、完全に依存した状態だった。
全部をお返しすることはできなくても、
どうやったら少しでも返していけるか(モノでも、モノ以外でも)
今年も少しづつ考えていこうと思う。




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