私が出会った 最貧困層

私は大学時代、狂ったようにバイトをしていた。最貧困層とは住宅展示場の「展示場こちらです」という看板を持つ、日雇いの仕事で出会った

立て看板を持つ世界とは?

「立て看板ガチャ」私はそう名付けていた。立て看板にも、当たり外れがある。当たりだと、パイプ椅子で座りながら、看板を持つことが許された。しかし外れの場合「微動だにせず、看板を5時間ほど持ち続ける」ことが課せられる(動いたら、立て看板リーダーみたいなモブキャラに怒られる。
たった時給1,050円そこらである。炎天下だと最悪である。私はフードがモコモコついている服を着て、イヤホンを隠しながら立っていた。音楽ではなく、英語のリスニングを聞きながら、立っていた。偉すぎてワロタ 

最も最悪だったのは、富裕層地域と治安が悪い地域、両方である。富裕層地域では、中学受験のお子さんが「こんにちは」と立て看板を持つ私にさえ、笑顔で声をかけてくれた。お金持ちの育ちの良さを、垣間見た。当時、挨拶してくれたというご好意を「立て看板を持つ人生なんて、送らないために勉強しているんだ」と言わんばかりの少年の笑顔。未来が明るい少年と対照的に、日雇いバイトで学費を稼ぐ貧乏な私。無性に腹が立った私。当時相当 疲れ切っていたように思う。

ちなみに普通は立て看板を持つ私に、気にも止めず通り過ぎるだけである。

反対に「治安が悪い」地域で、看板を持つと、どうなるかわかるだろうか? 「女性である私の反応を楽しむ」ために目の前で、立ちションをされるのである。もう、この時は心が壊れていたので、表情を何一つ変えないで、その様子を見ていた。すると反応がないとつまらないと思ったのか、少年を引き連れて戻ってきた。親子なのか、声をかけただけの少年なのかはわからない。

しかしデカい声で「こうやって、やるんだぞ」とオッサンはレクチャーしだした。なんと少年も私の前で、立ちションをした。ああ、こうやって悪い世界の文化も脈々と受け継がれるのか・・・要らぬことを知ってしまった。

日雇いの世界

「そもそもなぜ、日雇いバイトをするのか?」だが 昼間の隙間時間で効率よく稼ぐためである。日雇いの唯一のメリット。それは普通に働くより時給が少しだけよく、前日でも仕事がとれることである。ちなみに塾のバイトの方が、よっぽど稼げる。しかし難点があり、どれも夕方からだった。

私はよく「なんで、こんな仕事しているのか?」と立ち看板 仲間から聞かれた「お金がなくて」と伝えても「いやいやまさかーwww」とよく言われたので、noteには書いたことがない、貧困エピソードを伝えた。
すると「ガチなやつ」と皆黙った後に「本当にグレなくて偉いね」と大人は褒めまくってきた。それに大学名を伝えると「合コンしませんか?」ばっかりだった。肩書きで人を判断するヤツ ばっかりだということも学んだ。

最貧困層 オバチャン

私が出会った中で、最も彼女が貧困だった。彼女はシングルマザーだった。7人兄弟を育てるシングルマザーだった。離婚理由までは聞かなかったが、彼女の1日はこんな感じだった

朝8時〜17時までレジのバイト
20時〜朝の5時まで工場のバイト
朝の5時〜朝8時の間 17時〜20時は育児と家事

睡眠時間は、工場のバイトの検品で立って寝る小2時間。もちろん、立って寝ていると怒られて「また寝たらクビにするぞ」といつも言われるの と黒い肌で全くない歯でニカッと笑った。母は強いとはよく言ったものだ

あまりにも、壮絶すぎたので。立て看板の仕事が終わり、駅に向かう途中で私は自販機でコーヒーを買った。そして「次の工場の仕事も、頑張ってください」と彼女に渡した。だが「いいよ、悪いよ悪いよ」と物凄く断ってきた。私が無理やりグイッと、オバチャンの胸に缶コーヒーを、押し当てて渡したら「ありがとうありがとう」とずっと感謝された。なんだか、映画の世界みたいだなと思った。

ちなみにオバチャンは「土日にたまに、レジの仕事を入れられない日ある。穴埋めで立て看板やってる」とのことだった。きっと子どもと話す時間を、立て看板の仕事をとるために使ったかと思うと、心が八切れそうだった

オバチャンの子ども

オバチャンのお子様達。今は私が大学生をしていた頃よりも、グンっと野菜やお菓子の値段が上がった。もう連絡をとる手段はないが「大丈夫だろうか」と心配になる。オバチャンの一番下の子どもは、今はきっと高校生ぐらいだ。ちゃんと生きているか、心配になる。

この経験から学んだこと

結婚は失敗できない
子どもを授かっても、無理ない範囲で
心まで腐っては、オシマイ
お金と心の余裕は比例する

ちなみに立て看板バイトは、ネタの宝庫すぎて。気が向いたら、今度また書きます。


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