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チヴィダーレの悪魔の橋

 北イタリア、フリウリ地方のウディネから東にチヴィダーレ・デル・フリウリという小さな町がある。現在の規模は静かな田舎町なのだが、古代ローマ時代にユリウス・カエサルが築いた都市でもあり、町の中心の広場にはカエサルの像が立っている。フリウリ(Friuli)という地域の名前は、ラテン語で「ユリウスの広場」というのが語源とのことで、それで像が建てられたのだろう。

 ずいぶん歴史の深い町だと思う。ローマ人の前にはケルト人が住んでいて、そのもっと前、旧石器時代からの遺物も見つかっているそうだ。古代ローマの後はゲルマン系民族のランゴバルド族がこの地に王国を築き、中世のあいだはこの辺りの中心都市として栄えたらしい。フリウリ地方は現在もオーストリアやスロベニアと国境を接しており、長い歴史の間に多民族が行き交っていた地域なのだろう。
 フリウリの人々は他のイタリア地域に比べ長身で色白の人が多いし、郷土料理もオーストリアなどのドイツ語圏や、ハンガリー・スロベニア等のスラヴ圏と似通っているものも多い。この地域の言語であるフリウリ語はイタリア語と共通の語彙もあるが、使われている文字も音の感じもイタリア以外の影響が垣間見える。

 チヴィダーレの街並みは中世が色濃く、何百年も前の家がそのまま残っていたりもする。同じ中世の町でもボローニャやヴェローナに比べて視界に色みが少ないのは、見える範囲に煉瓦がないからだろう。建物は石造りか漆喰で覆われていて、石畳も合わさって、街は主に白と様々なグレーでできていて、オレンジ色の屋根、深緑またはこげ茶の鎧戸、街路樹がかろうじて色味を与えている。冬には殺風景だが、春になれば芽吹いた木々と花々で鮮やかに彩られるはずだ。
 比較的新しい家も伝統的な建築方法で、高低差のある丘の町に並ぶ家々の間を走る石畳の路地が複雑な網目を描いている。家が道をまたいでいる箇所ではアーチをくぐり、川のようにゆるやかにうねる道を上ったり下ったりするのは探検感があって楽しい。路面の轍の部分には平らな石が貼ってあるのだが、幅が狭いので自動車ではなく馬車や荷車の幅なのだろうか。
 町の教会は色鮮やかなフレスコ壁画が正面を飾り、前述のとおり白黒映画みたいな街並みと対照的だ。街はずれの景色の良い丘には大きな邸宅が並んでいて、そこから郊外へはワイン用のブドウ畑が丘をいくつも越えて広がる。

 町の中心にはナティソーネ川が流れ、その川を渡る橋は「悪魔の橋(ポンテ・デル・ディアブロ)」と呼ばれる。そこそこ高さがあるのだが、橋のたもとや教会の裏手などから川べりに降りる細道や階段があったりして、これまた冒険心をくすぐられる。石灰質の土壌と石のおかげで川は碧く、教会の裏手から降りていくと小さな砂浜になっているのだが、砂もやはり白くて南国のビーチのように見える。私が訪れたのは冬で、空に滲んだような白々しい陽光では冷気はぬるむことなく、青い水面も色のついた水晶のような冷え冷えとした様子で、この砂浜が妙にちぐはぐに思われた。(地元の人からしたら普通なのだろうけれど)
 橋のたもとからは崖に張り付くような階段で降りる。その先は小石から小さな岩くらいの石がごろごろしていて、いかにも川の上流部分だ。少しだけ離れて水面近くから橋を見上げるようにカメラを向けると、橋のすがたが水面にさかさまに映り込んでフォトジェニックな写真が撮れる。

 「悪魔の橋」はヨーロッパにいくつかあり、たいてい同じ伝説を持っているそうだ。建設の難しい箇所に架ける橋を、人間の手では実現できずに悪魔に架けてもらうのだ。チヴィダーレの場合は町に対して谷川が低く広く、古い時代には難しかったのかもしれない。この悪魔の橋は15世紀に架けられたそうなのだが、その前は人々は川岸まで下りて渡っていたのか、それとも吊り橋かなにかがあったのだろうか、それはよくわからなかった。
 チヴィダーレの悪魔の橋もやはり悪魔に頼んで架けてもらったのだが、その際に「橋を最初に渡る者の魂をもらう」というのが悪魔の出した条件だった。それで橋が完成した際には誰かを生贄にささげることになってしまったのだが、実際には犬を渡らせ、悪魔は仕方なくその犬の命を奪った、という伝承になっている。

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 この話を現地の方に教えてもらったとき、芥川龍之介の『煙草と悪魔』を思い出した。
 『煙草と悪魔』のすじは、中世の日本にポルトガル船がやってくるのだが、その乗組員の中に宣教師に化けた悪魔が混じっている。悪魔はキリスト教の伝道師のふりをしているのだが、実際には人間を堕落させる目的で煙草を広めようとして、教会の周りに煙草の種を植えて育て始める。日本の人々は煙草という植物を見たことがないので、ある農民がこれは何かと尋ね、本性を出した悪魔と「この草の名前を当てられたら畑のすべてを農民がもらい、当てられなければ農民のたましいを悪魔がもらう」という約束をしてしまう。困り果てた農民は畑に牛を追い立て、悪魔が思わず叫んだ「なぜおれの煙草畑を荒らすのだ」という言葉から、無事にこの植物の名前を当てて煙草畑を手に入れる。

 私がこの話を読んだのは小学生のころで、煙草とは縁のとおい年代なのだが、それはそれで楽しく読んだ覚えがある。それからの20数年の間に何度も読み返しているのだが、いつも私はこの悪魔に同情してしまう。いくら悪魔の口車に乗ってしまったからといって、誰かが丹精こめて育てている畑を荒らすなんて。牛に踏み荒らされて畑はめちゃくちゃになったはずだ。
 それに比べるとヨーロッパの悪魔の橋はもっと平和的だ。人間の命をとりそこねて悪魔は悔しい思いをしただろうが、少なくとも自分の作ったものを壊されはしないのである。こちらはこちらで家々の窓を覗きまわって、月明かりの下で検分して美しい少女に目をつけていたりしたのかもしれないけれど。

 小説のほうは「かくして煙草を広めるという悪魔の試みは失敗した」というような結末になっているのだが、この悪魔の試みに対する結末と実際の帰結についての結びが何とも、大の愛煙家で怪奇幻想の好きだった芥川の片頰で笑って煙草をふかす姿が想像できる。悪魔が自ら鋤をふるって土を耕し、あくせく働いて日々世話をし育っていく煙草の、ついに紫色の花をつけるまでの描写など、働くことや育てることへの純粋な喜びが見えてなんだかほほえましい。
 短編ですぐに読めるので、興味のある方はぜひ。

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