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真夏の九份で熱い茶を啜る

 2019年8月、台北を訪れたのは三回目だった。いつも二、三泊の観光。今回は母と一緒で、はじめて私が飛行機もホテルも持つことができた。LCCに手ごろなホテルだが、小さな親孝行をしたつもりだ。

 63歳の母は地方に住んでいて、最寄りのコンビニさえも車で移動する。地方はだいたいそうだろうけれど、東京の『一駅分』でも車に乗るような文化だ。夏の台北の蒸し暑さだけでなく、歩き慣れていないのもあってだいぶ気を遣った。
 私は旅先でだいたい一日15~25km歩き回るが、この旅では休み休み数km。それでも普段の生活や年齢を考えると母はずいぶん頑張ったと思う。

 初めて台北に来た人はまず間違いなく九份も訪れるだろう。私もそうだったし、やはり母もリクエストした。台大醫院の駅から地下鉄で忠孝復興へ行き、少し待って乗ったバスは新しくて綺麗だった。(ただし帰りのバスはとんでもなくボロボロだった)

 母の故郷は山の中の温泉地で、昔は湯治客が多かったらしいのだが今はすっかり鄙びている。どこか時代に取り残されたような建物が山あいに並んでいるのだが、このバスが通る瑞芳という町のあたりと何となく雰囲気が似ている。昔の街道の形がそのまま残っている街のように思われるので、そこが似ているのかもしれない。温泉とか鉱山とかそういう目玉ではなく。

◆◆◆

 九份には午前のうちについた。やはり混雑しているが、夕方に比べるといくらかましだ。
 以前来た際はうっかり終バスを過ぎて店もすべて閉まり、誰一人と行き会うことも無く坂を下り、15分ほど暗いバス停に立ってやっと通りかかったタクシーを拾って台北に戻ったのだが、今回は絶対に避けたかったのもある。ほんの少し前まで歩けないほど混んでいた街が完全に無人になって明かりも消えているのは、愉快だけれどどこかぞっとしない。

 歩き慣れない人間にとって、九份もだいぶきつかったと思う。山の斜面はなかなかの勾配で、そこに張りつくように広がる街は階段だらけだ。さらに暑くて人も多い。
 少し歩いて、どこかでお茶しようと決めていた。お店はたくさんあるがどこも混んでいる。それに流行りもののタピオカミルクティーが多いのだが、私は茶藝館に行きたかった。

「もうここで良いよ」

 疲れ切った顔の母が呟く。
 しかしそこはいかにも観光客がほっといても来るので雑な営業をしている感じの店だった。ぼこぼこしたコンクリートむき出しの壁にタピオカミルクティーのポスターが貼られ、そこら中で嗅いだ台湾風おでん(まったく同じなのでスープや具材がレトルトとかそういうことだと思う)の匂いが充満し、じっとりと湿り、団体客が大声でお喋りを続けている窓辺のガラスはお世辞にも清潔そうに見えなかった。
 普段なら絶対に選ばない店だ。わたしは母の疲労困憊ぶりを察したが、これだけ疲れていてここに座っても絶対に疲れは取れないし、楽しい思い出にもならない。
 
 「もう少しだけ頑張ろう、ここまで来たのだから絶対に後悔しないように」

 励まして坂を下るが、どの店が良いのか私にも判らない。とにかく雰囲気が良いところ。落ちついて休みたい。


 わたしは大抵ガイドブックに載る店を何となく避けている。
 何もしなくても勝手に日本人が来るので適当なことをしている人たちもいるし、スタンプラリーみたいに有名店や名所を回るだけの旅行はしたくない、と思っていたし、今でもやっぱりどこかでそう思っている。(ひねくれて子供じみた考えだと知っているのだけれど。)
 ガイドブックや口コミサイトを置いておいても、いかにもな『観光客向けです』感のあるところよりはなるべくその土地に根付いたものを探したい、それを望んでも悪くは無いだろう。街を歩き回るのも好きだ。
 そうやってあの店もこの店も入らずに食事をとり損ねたりしている。

 しかし今回は母が一緒だし、できれば親孝行をしたいのだ。とにかく目を走らせて見つけた、落ちついた古い建物に入った。
 ネットやガイドブックで見たことがある。SNSに映えそうな、それで前回は避けた店だった。素敵だなと思う気持ちもあったが、ひねくれた気持ちに勝てなかったのだ。

 結果としてこれは大正解だった。
 築百年だという古い屋敷の中は風通しが良く、サーキュレーターがきちんと計算して配置されているおかげで、火鉢にかけられたやかんの湯がぐらぐら湧いている部屋で熱いお茶を飲んでいるにも関わらず、不思議なほど涼しい。窓の向こうには海がよく見えた。
 金せん茶と菓子を頼んだ。メニューを見たところでは高級だと思ったが、お茶は五煎も淹れられるし茶葉もかなり余らせて持ち帰ることができた。それなりの値段だからか空いているし、部屋も十分すぎるほど広い。
 あれだけの空間で心から寛いで、むしろ安かったのだろうと後からは思う。

 『ガイドブックに乗っているから』『観光客向けだから』と気にしていたのが、当をえていないなと思うようになった。そもそも自分は観光地を訪れている観光客なのだし。
 好きかどうか、心地よいかどうか、楽しめるかどうか。三十路も半ば、自分の気持ちにもっと素直になろう。

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