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複数の居場所が、与えてくれたもの

十分愛されて育ってきた人って、会った瞬間にわかる気がします。あの満ちている感覚って、ものすごく惹かれるんですよね。
私の夫は、まさにそういう人です。

自分はね…、不幸だったと言うつもりはないし感謝しかないけれど、やっぱりちょっと変わっていたとは思います。いろんなことを克服してこれまで生きてきた気がします。それは、一個一個穴を埋めるような作業だったかもしれません。
一歩間違ったら、誰か一人出会えていない人がいたら、自己肯定感が低く、自己愛を傷つけたままの人間に育っていたかもしれないと思うんです。

自己愛を傷つけたまま、「あなたの言葉、行動に傷ついた」と言ったことも言われたこともあったはず。でも、それがちっとも素敵だと思えなかったんです。だから、そんなこと言わない、思わない人間になりたくて歩いています。
素敵じゃないって気がつけたのは、何が原因だったのかな?今思うと、それは「知る」ことに尽きるんじゃないかと。素敵な人を、生き方を知る。知ることで、気がつくことができた。

行動範囲の小さかった子供時代には、たくさんの本や漫画、映画を見ることで。大人になってからは、人と会い、旅をすることで。
中でも大きかったのは、複数のコミュニティに属したこと。家庭や会社以外にも自分の居場所を持ったことが自分に与えた影響は、非常に大きかったと思っています。

趣味が同じ仲間が集ったファンクラブ。それから2011年に入ったオンラインサロンの走り的なコミュニティ。どちらも本当にインパクトがありました。
自分とまったく違う業界で働く人や独立している人。年齢も性別も、住んでいる場所もバラバラの人たちに触れたことは、私の価値観に大きな影響を与えました。

それは以外と当たり前だけれど、忘れてしまいがちなこと。自分の当たり前が、人の当たり前でないこと。ついつい忘れてしまうけれど、ここをちゃんと知っておくことは大事。
それぞれの当たり前が違うのだから、人と比べることに意味はないし、自分の羅針盤を自分の心に持てなければ、どこへもたどり着けないのです。

複数の居場所を持つことで多様な価値観触れた私は、やがて自分自身の羅針盤を持てるようになりました。
今は自己肯定感が低いとは思えないし、人と比べることもありません。

居場所が複数あれば、たとえどこか一箇所に息苦しさを感じても他に逃げることができるんですよね。人って不思議で、ある場所では評価されるのに同じようにしてもある場所では評価されないこともある。
評価されない場所でもがき続ける必要はないし、自分にはここしか居場所がない、なんて悲しいことは思わなくていい。

複数の居場所を持つこと、こんな素敵なことはない。そういう感覚が当たり前になるといいな。
オンラインサロンでもコミュニティでもなんでもいいから、そんな居場所作りをしていきたいと、ここ数年考えています。自分が作るのでも、誰かが作ったものを支えるのでもなんでもいい。
とにかく人は孤立しちゃダメだと思うから。

複数の居場所が私に与えてくれたものを、たくさんの人にお返ししていきたい。そのために今年も、走ります。

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Yuka Shibayama
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