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お古の一輪車と、ばあちゃんの魔法の救急箱。

小学生の頃
父が私に一輪車をくれました。

貰い物だったことは覚えているのですが
誰から貰ったのかはわからず
ただ新品ではなかったし
すぐに空気が抜けてしまうので
お古であったことは確かです。

小学校の校庭にも
遊具と一緒に一輪車があり
上級生が自由に乗れているのが羨ましくて
まさに一輪車は憧れの存在でした。

そんな時に私の元に現れた一輪車。

最初の頃はサドルに跨ることすら難しくて
こんな難しい乗り物でスイスイと移動できる日が
果たしてくるのだろうかと
練習初日に挫折しかけました。

それでも三日坊主の私にしては珍しく
一輪車だけは一生懸命練習していた
記憶があります。

当時私が練習に使っていたのは
家の庭にあった物干し竿でした。

両脇に支柱があったので
その間を行ったり来たりして
何度も漕ぐ感覚を掴んでいきます。

しかしそこで練習するにあたって
気をつけねばならない事があったのです。

実は地面が凸凹なコンクリートだったのです。
しかも経年劣化でコンクリートが割れていたりもして・・・

他にちょうどいい高さの場所がなかったから
仕方のないことだったのですが。
子供だからそこらへんの
危機管理能力はないわけで。

(いや大人たち注意してよと
今になって思いますけどね笑)

案の定、練習中に何度も転んで
膝を擦りむいていました。

小さい頃から鈍臭かったのもあって
膝を擦りむくなんて日常茶飯事ではあったのですが
痛みに慣れることなんてありません。
いつも泣きじゃくりながら
ばあちゃんに助けを求めていました。

普通だったら母に泣きつくところですが
以前の記事でも書いたように
私の両親は共働きだったので
どちらかといえばこういう時に向かう先は
一緒にいる時間の長かった祖父母のもとでした。

私はよく怪我をするので
ばあちゃんの救急箱は
ドラえもんの四次元ポケットみたいに
なんでも出てきます。

何より優しいばあちゃんに手当をしてもらうと
魔法がかかったみたいに涙が引っ込むんです。

病は気からとはよく言いますが
まさに私にとってばあちゃん自身が
救急箱のような存在でした。

ゲームだったらいつもは後ろに控えていて
いざとなったら前にいるプレイヤーに
回復魔法を発動してくれるタイプのばあちゃんです。


怪我を治してくれるだけではなく
優しさのこもった言葉でも
私を治癒してくれたことも度々ありました。


私がショートヘアにしたくて
美容院に行った時のこと。

ショートにしたいと言ったものの
想像以上に切られてしまって
取り返しがつかないゆえ
行き場のない悲しみから鏡の前で泣いていたら

「あら一段とべっぴんさんになったね!
とっても可愛いじゃない!」

とニコニコ笑顔で励ましてくれた事が
あったのです。

そんなふうにばあちゃんは
いつも私に前向きな言葉をかけてくれました。


言葉は魔法であると私は思うのです。

自分で意図していなくても
相手を楽しませることも喜ばせることも
簡単に傷付けてしまうことだってありますよね。

言葉で相手を縛ることだってできてしまう。

そんな魔法がかかるなら
できるだけ優しい魔法を使いたいし
毒よりも薬になる言葉を紡いでいきたいものです。

今の私はばあちゃんみたいに
どこまでも懐が大きくて
優しい人になれているだろうか。

ふとそんなことを思い出したお話でした。


由佳

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