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「母親が甘やかすから」という言葉は、一度母親をやってみてから言ってほしいと思った件

ときどきうちの旦那は、わたしの地雷をサラリと踏む。

今日はNHKの朝ドラ「ちむどんどん」に出てくる、ろくでなしの長男の話題について少し旦那と話していたときだ。

話の展開が唐突で、なかなかの悪評が出ているこの「ちむどんどん」に出てくる長男は、とにかく「一発当てる」が口癖の男で、働かずケンカばかりして、儲け話に騙されるという、分かりやすすぎるキャラクター。

ごめん、正直、うちの亡くなった父みたい。

一家は貧乏の極みみたいな貧乏さで、さらに兄妹は4人。力を合わせて支え合っているのに、このボンクラ長男がちょうどいいタイミングでぶち壊す。

長男以外は全員女子というのもあるが、とにかくこの長男がいつもろくでなしなのに、お母さんは息子を咎めない。あの子は優しい子だ、といってかばう。もちろん、ほかの子どもたちにも同様に優しい。

そんな状況の「ちむどんどん」の長男が、また今日のエピソードで大バカなことをやらかした。

そこで出た旦那の言葉が

「母親が甘やかすから、こんなになっちゃって」だった。

はい地雷踏みましたね、いま。

毎日かあさんより

この発言のどこが地雷かは、ある程度の年齢まで子どもを育てたことがある世の中の母たちは、結構な割合ですぐにわかると思う。

たしかに「ちむどんどん」のお母さんは長男に甘すぎると思う。だけど、こういう、世の中の現実が見られなくて、夢ばっかり見て、まずいと思ったら逃げる人間て、世の中にいるんだよ(うちの父)。

そして、うちの父でいえば、確かに小さいころから身体が弱くて、甘やかされてはいたと思うけど、あれは性分だろう。教育を変えたからと言ってすんなりいくような性質のものではないと思う。

そして、ここからが地雷の原因。

母親の教育「だけ」ですべての人間がまともに育つなら、世の中におかしな人間はいない。

人には持って生まれた「性分」というのがある。

「こう育てたい」と母親がいくら理想を持っても、子どもはそれとは関係ない方向に進む。

知り合いのママ友にもいる。ママはものすごく常識人なのに、なにかと息子がやらかして振り回されている。ママは何かあるたび、関係各所に謝るなど尻ぬぐいをして、息子を叱る。親がほったらかしてなくても、そういう子はいるのだ。

なんでも「親が甘やかしているから」という言葉で片づけないでほしい。

そんなこと無理なのは承知だけど、
そういう軽口は、母親をやってみてから言ってほしい。


生活習慣だとか食習慣、言葉や価値観はもちろん育った環境が大きく影響するのは百も承知だ。何かあるとすぐ母親のせいになるプレッシャーも感じている。当然、自分の子どもが独り立ちできるように育てたいし、だけど母だって母のやり方を教わっているわけじゃない。正解もない。毎日が手探りだ。

そんな手探りでも、自分の子どもに、社会に出るために必要そうな能力を身につけさせようと必死で頑張っている。

少しは脳みそもあったほうが、と知育教育をしたり、勉強しろと言ってみたり、習い事させてみたり、そうはいってもやっぱりのびのびと、とか右往左往するのだ。子どもに生き抜く力を身につけさせたい、と思っているのだ。

それを覆すほどの「生来の性分」を前に、わたしたち母は毎日向き合い、手を変え品を変えてなんとかしようとし、そして、これはどうにもならないのだ、と一つ一つあきらめて、それが子どもの個性だから、と受け入れる。その繰り返しでもうすぐ15年。

うちの息子は、「ちむどんどん」に出てくるような、はっちゃけ系ではないが、とにかく初めての場所や知らない場所が苦手で、慣れればどうにかなるものだとあらゆる場所に連れて行った。それでも嫌がるのは増すばかり。おそらく、今日はどこに連れて行かれるのかと恐怖が増してしまったのだろう。

それでもキッズ広場のボランティアの人は「お母さんがいろいろ連れて出かけなくちゃ」とか言ってくる。みんな無責任だ。参ってしまった。

この子の性分なのだから、無理強いするのはやめよう、できる限りサポートしようと決めたのは、長い間、悩みに悩んでたったひとりで決めた。誰もわかってくれなかった。

だから今は、まだ学校にあんまり行きたくない息子を駅まで一緒に歩いて見送っている。めちゃくちゃ行く気にならない宿泊行事は現地まで見送る。行けばそれなりに「楽しかった」と帰ってくるのを知っているからやっているのだ。

中3にもなる息子を駅まで見送るなんて、他の人から見たら「甘やかしてるから、いまだに自立できないんだ」と思われるかもしれないが、わたしは彼の性分を受け入れ、「もう大丈夫だから来なくていいよ」というまで彼をサポートすると決めたのだ。

それを「甘やかしている」というのが世間ならまだしも、いちばんの味方でいてほしい旦那が軽々しく口にするのだからたまらない。

わたしの葛藤を、悩みを、「考えすぎだ」と流して、「子育てはお前に任せている」と自分ごとにせずここまできて、わたしが悩みに悩んで決めたことを「甘やかしている」と軽々しく口にする。

心の中で斬首刑だ。

自分で決めたことなのだから、誰に何を言われてもいい。と思っているにはいるが、それでも「心が折れる」瞬間はあるものだ。

直してほしいことだって、もちろん毎日言っている。息子には「ゴミを捨てろ」というのは、だいたい平均、1日10回は言っている。けれど治らない。そんなものは今治るわけがない。馬耳東風とはこういうことを言うのだ。

息子と同じくらいの頃、どころか、30代まで、右のものを左にも動かさなかったわたしが、いまになってやっと生ごみが臭くなるまでにごみを捨てるようになったのだ。

中3の息子が一度でいうことを聞いたら逆に怖い。

子育ては「根気」しかない作業だ。きっとはた目から見たら楽し気な部分ばかり目に着くだろう。だけど本当に必要なのは「根気」であり、「ある種の諦め」と「諦めない気持ち」だ。

人生、そこにある山に登らなくても生きては行けるけど、母が子供を産んだら、放棄はできないのだ。する人はいるし、投げ出したくなることだってあるけど、したらダメ。という最後の一線みたいなところでこらえている。だからこそこういう「さわやかな地雷」を踏まれるとプツっと切れそうになる。

なので今日はこの場を借りて、このことを書いてみた。

きっと、こういう思いを抱いて育児をしている人が、たくさんいると思うし、共感が人を救うから、書いてみる。

同じような状況の人が、わかるわかるー。って共感してくれるだけでわたしのこの思いも昇華されるし、きっと読んで共感してくださった人の想いも、少し軽くなるんじゃないかな、と思う。

ちなみにこういう最後の一線でギリギリ頑張っている自分が「育て方が云々」とか言われる割に、男は言われない。

そしてほかに女を作ったり、ギャンブルにはまってお金を入れなかったりしても、あんまり世の中的に怒られない。だってよく聞くし。育児放棄して逃げても捕まらない。そうじゃない人もたくさんいるけど、そういう人も良く聞く。

世の中、男性の育児参加がかなり進んできているようだけど、やっぱり身を削るのは女だし、それが性というものなのかなぁと思う。

だから、圧倒的に分が悪くて、自由もきかなくて、この世の中では社会的弱者だなと思う自分だが、身を削ってここまできた自分はものすごく成長したなと思う。

そんなに鍛えなくてもいいのに、というくらい鍛えられている。まだ中3だから、終わってないのだけど、そろそろ鍛えられるのも疲れるくらい頑張っている。

そして、ビシビシ鍛えられた過去には戻りたくはないけど、自分の身を削って育てた息子はかけがえのない存在だ。とにかく必死で向き合って、必死で育てている。

ちなみに息子本人にもそんな思いは伝わってないし、「ウザイ」とか言ってて、これもまた心が折れるファクターではある。

けれど、まあ、中学生なんてそんなもん。という心構えがあるし、自分だって親の苦労なんか自分が親になるまでまったくわからなかったから、分からなくても仕方ない。

と、こんな感じでモヤモヤがドン詰まって、どうしようもなくなったら、わたしの宝、西原理恵子のマンガ「毎日かあさん」を読んで昇華する。

子育てのドタバタや苦労、女って分が悪いよねぇというのを、笑いに変えてくれる。

育児中何度も読み返して「うちもあるある」とか「うちのほうがマシ(失礼)」とか、「そうそう、わかる」と何度もこのマンガに救われた。

やるせない、どうにもならない思いは「共感と笑い」が救ってくれる。

育児でどん詰まっている人、笑い飛ばしたい人はぜひ読んでみてほしい。
子どもが小さいころから、息子が18歳になって卒母するまで、全14巻。笑って泣けて、明日からまた気を取り直して頑張ろうと思える。

「毎日かあさん」の名言を集めた本もある。
でもこれは、やっぱり本編を全部読んでいる人が、簡単に振り返りたいとき用かな。ぜひマンガを読んでほしい!

めちゃくちゃドタバタで苦労しているのに、やっぱり

「何度うまれかわっても、おかあちゃんがいいや」

に共感してしまうのだ。

パラパラとめくるだけで泣けてくる


仕事も育児もしんどいけど、現場はやっぱ楽しいよ
わたしたちお母さんね、週末の1日のちょっとの時間でいいんだ。自分のこと聞いてほしい
おばさんの半分は脂身でできてるんだよ。この脂身はね、さんざ転んでひっくり返ってできた「受け身脂」って言うんだよ。
こんな苦労が男にできるかバカヤロウ

わたしも子育てが中盤に入り、だいぶ受け身脂がついてきたかな、と思うけど、やっぱりまだまだだ。


息子さんも娘さんも大きくなって、卒母したサイバラさんによると、

熟年は刈り取るだけ

その実った果実を口に入れるだけの
人生で一番良い時だとわかった

若い時はその畑を耕す時期で
耕し守り水をやり
それでも災害は何度もやってきて

それはもう思い出したくないことばかり続くけど

毎日かあさん

熟年は、いままで頑張ってきたことを刈り取って味わうだけ、なんだそうだ。

中年はまだ頑張りどきなのかもしれない。
刈り取って味わう前に死ねないな。元気で長生きして、いままで頑張った分を味わわなくちゃだなと思う。

受け身脂はもうつかなくていいけど、なんでも笑えるようになる図太さは、もうちょっとほしいな。と思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!


追記
続編書きました。


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