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実家の片付けと合理性と愛着度と

実家にモノがあふれ、生活をしていた親が亡くなったあと、その片付けに追われること。超少子高齢化の日本で大きな問題になっていて、実際、私の周りにも「毎週末実家に戻って作業している」「思い出が詰まっているようで捨てられない」などという話もよく耳にする。

片付け終わるまでに20年かかったという記事や、業者に頼んだら1日で済んだけど、100万かかったという記事も目にする。

だったら、生前に片付けよう、生きている間に、ダウンサイズしておこうというのが、たいていの記事の締めくくり文章になっている。

が!
そう簡単にはいかないのが社会問題たるゆえん。

ものすごい量の物のうち、普段使うものは、何がどこにあるのか、頭に入っていて、その状態でなじんでしまっている。例えば、うちの場合だと、バスタオルは、和室のこのタンスのここ、洗面所のタオルとトイレのタオルは、トイレの横の棚のここ、使い古しのタオルは雑巾にできるからと取ってあり、それはなぜかダイニングの電話台の一番下の引き出し、ヘルパーさんが使うタオルは洗面所のかごの上、頂き物のタオルは、箱に入ってここ……と、50代の私でさえ覚えきれない。でも、親の頭の中には、順番にそう決まった歴史があり、頑固にゆらぎない。だから、父がいざ入院という時は、母に聞きながら、家のあちこちからタオルをかき集めた。もちろん、普段、それぞれの引き出しに入っているタオルを全部使いまわしているわけでもなく、それぞれの引き出しの奥には長年使っていないタオルがきちんと折りたたまれ、でも、黄ばんで入っている。

タオルは一か所に集める、もしくは本当に使う2,3枚だけ厳選して、使う場所の近くに置く。私ならそう思う。現に私の家にはタオルが6枚しかない。私のタオル、旦那のタオル、トイレのタオル3枚×2組だ。(バンドグッズのタオルは別w)乾燥機付きの洗濯機があるから、十分回る。実家もそうしたらいいと思う。が、そう思わないのが実家。

愛着のある物を捨てたり整理したりすることに抵抗感がある。抵抗感というか、馴染みのあるもののが定位置にあることそのこと自体が心のよりどころで、それが崩れると、安心感がなくなり、心が弱くなってしまうんだよねー。

どうしたもんだか(笑)

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