ある日のレクチャー

某日、某有名事務所のパートナーがレクチャーをするというので仕事帰りに足を運んでみた。会場へ向かうタクシーの中で同僚に聞いてみるとても有名な方らしい。
前半は今までの作品を豊富な写真と共に紹介し、後半は彼の建築理論を紹介する内容だった。ドイツ出身だけあって構造主義からゲルシュタルタルト心理学など哲学的な視点を根拠にモダニズムを超える新しい建築の理論(ストラクチャー)が必要だと主張していた。
よどみなく、絶え間なく彼の口から発せられる高尚な建築理論は会場にいる建築関係者と思われる人々を圧倒すると同時に羨望を集め、会場である高級レストランの空間を言葉で埋め尽くさんばかりだった。
そして質問タイムに移ると、彼の建築理論を称賛するような内容の質問が相次いだ。
その中で一人の学生と思われる人が質問をした。
『モダニズムを超える形態を作る際に、素材に関してはどう思っているのか?』
すると流暢だった彼の口調はしどろもどろになり、お茶を濁すような答えが帰ってきた。

実はこの質問こそが建築の本質をついていると僕は考えている。
建築もIT化が進み(表現が古いか?)それと同時に建築も進化したと考えられがちだ。
確かにIT化により建築を設計する際の様々な手順の省略され、同時に色々なモノをビジュアル化できるようになった。しかし素材という観点で見てみると多少の進化はあれ、鉄骨、コンクリート、木と使われている材料はおよそ100年前(モダニズムの時代)と同じだ。もちろんお金を湯水のように使えばコンピューターの導入により建築の構造解析技術が発達した今、様々な形態の建築を生み出すことは可能だ。
しかし限られた資源(素材)で建築を作りだすという(建築構法)視点に移してみると建築の生産の仕方が変わらない限り、
建築は既に100年前に完成され、最適化されているのだ。
これは講演者と同じような形態を生み出す事務所に所属している僕だからこそ実感することなのかもしれない。

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