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『愛の探求』が始まるまでの道のり3ー自分を誤魔化している間は、向き合えないー

20代の頃までは、愛についての課題といえば『好きな人がいるかいないか』とか『嫉妬心』とか『失恋の痛み』とか『叶わぬ恋』とか、多分、その程度のことまでしか考えたことがなかったように思います。

大学時代に開いた本には『まずは自分を愛すること』と書かれていました。そうなのか。と思って意識してみても、そもそも、人を愛することに躓いているのに、自分の愛し方なんてわからない。きっと、私はずっと、心にぽっかり空いている穴のような喪失感を埋める何かが欲しかった。満たされていないものを補ってくれる存在が欲しい。きっとそんな感覚だったと思います。そんな私が20代で突入していったのは、人生最大の『自分迷子』です。

20代後半になり、セラピストとしてサロンで働いているときに、愛や性と向き合える機会に恵まれました。でも、具体的にどんなことをするのかはわからず、素晴らしいものだと聞いたので、よくわからないまま、ポンっと参加したのです。そこでは、体験したことは、『深く深く自分自身を知ること』でした。

愛情面に関してだけではなく、人生全般において、常に不器用なまま生きていたので、無意識のうちに、様々な心の傷が蓄積していました。でも、それを『バレないように』『周りの人から嫌われないように』『ダメな自分だと思われないように』と、自分の傷を隠し『私は全然平気です^^私に問題なんて何もありません』と言わんばかりに、心をオープンにすることが出来ずに過ごしていました。それは、他人に対してだけではなく、自分自身に対しても同じでした。自分自身が自分で抱えている『心の傷』に気付かないように、自分の心の傷に触れないように過ごしていました。

だって、自分の気持ちや感情を感じるようにしたら、その痛みに耐えられず、自分の心が壊れると思ったから。自分には自分の感情を受け止めるだけの器がないと思い、自分を感情に蓋をしていました。

でも、そうやって自分を誤魔化しながら生きている間は、いくら『自分の気持ちを知りたい』とか『自分らしく生きたい』とか思っても無理な話なんですよね。

私にとって、愛とか性とか、そういうことに向き合える機会は、何年も前から目の前に訪れていましたが、その時の私には、その準備が全く整っていませんでした。

そこから数年の年月が過ぎ、2023年秋、久々に、愛や性について気づきを深める場に恵まれました。以前の自分とは違って、自分を誤魔化すことなく、心がオープンな状態。今の私なら、これから学んでいくうちに浮き上がっている傷が出てきたとしても、逃げることなく、自分自身を受け入れ、愛の本質に触れながら生きていくことができると思いました。

愛とか性とか、語る前に、大切なことがある。

それは、自分を誤魔化すことなく、心を開く勇気。自分の弱さを〝偽りの強さ〟の鎧を纏うことで隠すことなく、全ての体験を成長するためのチカラに変えていくという覚悟。本当の強さとは、自分の弱さを受け入れて、初めて内側から放たれるものなんだと思います。

愛について迷子状態になっている人にとって『自分を愛する』ということは、結構難しい。では、何から始めればいいのか。まずは、自分自身との信頼関係を取り戻すことから始めることです。

今の私だったら、あの頃の自分になんて声をかけるかな。・・・私だったら、まず、安心安全の場を見つける方法を説く。

愛とか性とか、語る前に。