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パンケーキで加齢を思い知る

服や髪型やアクセサリーみたいに、わたしはその日の気分に合わせて本をえらぶ。

外出するとき、かばんにゆとりがある限りはいつも本を持ち歩くようにしている。
いつなんどき暇ができても、手持ちぶさたにならないように。大げさにいえばそんな感じ。


今日のこと。

気がつけば、パンケーキ欲がどうしようもなく高まっていた。

それもハワイアンな軽めのやつじゃなくて、ふわっふゎっでしゅわっと溶けるやつ。
巷で話題になりがちなやつ。フォトジェニックなやつである。

あのふるふると揺れる分厚いビジュアルが、頭の中をちらついて仕方ない。
明日もテストがあるというのに脳内はすっかりパンケーキ一色に染まり、勉強も手につかなくなる有様だ。


去年まで「好きなものは?」と問われると「パンケーキ!」と即答するくらい、わたしはパンケーキの人だった。

好きで好きでたまらなかった。空いた時間の多くをパンケーキ巡りに費やし、気がつけば随分お財布が軽くなっていて青くなったこともある。

しかし。

これが、加齢というものだろうか。
一歳の差というのは意外とばかにならないのだと、わたしは今年初めて思い知ることとなる。

依然甘いものもパンケーキも大好きだし、定期的に食べたくはなるのだけれど、去年まで確かにあった並外れた熱意は、かなり控えめになっているようなのだ。

友達と食べることや、目当てのカフェのメニューとして出会うことはあれど「パンケーキ巡り」と称して然るべきものの数は、ぐっと少なくなっていた。


それなのに。
パンケーキ欲、突然再熱するの巻。

ずっと家にいたので寝巻きに近い格好でもちろんお化粧もしてないし、寝癖すらろくに直していない。
時刻は夕方。今から準備して出かけるのは、正直結構めんどくさいぞ。どうする、わたし。

浮かしかけた腰をまた下ろそうとした途端、さあっと虹がかかるように、ふわっふゎっなパンケーキが脳裏をよぎった。


逡巡したのは一瞬だった。

服をきかえ、かんたんにお化粧をして髪をまとめ、ピアスと腕時計と指輪もきちんとつける。

一人だし、本持って行こう。
夏っぽいやつがいいなあと思いながら本棚をのぞく。

何冊か手にとっては戻し、選んだのは江國香織さんの『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』。
濃厚なエッセンスもありながら、爽やかで透明な印象の短編集。もう何度もくり返し読んでいる、大好きな一冊だ。

すっかりお気に入りになったまっしろいスニーカーに足を入れ、かばんの中身まで夏らしくまとまったことに満足して、暮れかけたおもてに飛び出した。


ふわっふゎっタイプに分類される中に、パンケーキ全盛期の頃からずうっと食べてみたいと思っているやつがあった。
人気のチェーン店だから一人で行くのにはためらいがあったのだけど、この際背に腹はかえられぬ。

意を決して、ずんずん店の中に入る。

意外と一人でも過ごしやすい空間だったのでほっとして、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読みながら待つこと約20分。


おやまあ。写真と随分ちがうではないか。

パンケーキの大きさといい厚さといい、ホイップクリームの量といい。言わずもがな、全体的にボリュームダウンしているのだ。
写真と寸分たがわぬのは、こんもり載せられたバターくらいなもんである。

ふむ、と思いながらも心の中で「いただきます」と手を合わせ、スッとナイフを差し込んだ。
ぷるぷるとは言わないまでも、弾力のある生地はしっかりとナイフをはね返してくる。ひとくち切って、まずはそのまま口に運ぶ。

うん。おいしい。

ただし、わたしの脳内でこの店のパンケーキはとんでもない極上の味になっていたらしく、一人にやけて慌ててしまうほどではない。
ひとり客らしくスッスッとスムーズに食べられるほどには、わたしは冷静なままだった。

わりとしっかりしている生地の断面を見ると、びっくりするほどまっしろである。まるでわたしのスニーカーみたい(それは嘘)。
なんていうか、薄めのパンケーキがさっくり乾いているのに対して、ここのパンケーキは全体的に湿り気を帯びてしっとりしている感じ。

「ふわっふゎっ」でも「しゅわしゅわ」でもないのだった。
いやまあ、普通においしいんだけどね。
恨むべきは、期待値を押し上げすぎたわたし自身である。


…なんか、海鮮丼たべたい。

食べ終えるや否や下げられたお皿の、置いてあったところの空白を見つめてぼんやり思う。

以前まで、満腹ゆえではなくその甘さにギブアップして一人前のパンケーキを食べきれない女子は、わたしにとって驚愕の対象だった。
自分のぶんをぺろりと食べ終えてなお「あと三回くらい連続でたべたい」と、うっとり思うような女子だったから、わたしは。

それなのに、いったいどうしたことだろう。

ぺろりと食べ終えるところまでは変わらぬものの、「ん、もういいや」と思うのである。

ちょっと、しょっぱみ、欲しい。
生クリームが主食と言われていたかつての自分との変化に、誰よりも驚いているのはこのわたくしだ。

そんなことより驚愕すべきは、夏バテをすっかり乗り越えて、取り戻すかのようにフル稼働しているこの胃袋なのかもしれないけど。


ああ、帰って勉強しよう。


#エッセイ

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