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とかくに人の世は住みにくい。

「死ぬほど」と形容できるくらいの強い感情が、わたしの中にはふたつある。

一つめは、すきな人を好きだと想う気持ち。
そしてもう一つは、この世に存在する虫たちに対する、たいへん激しい嫌忌である。

以前この記事でもちらりと書いたことがあるのだけれど、本当にほんとうに、ほんっっとうにそれはそれは虫が苦手。

キャーコワイ!みたいな、そんなかわいいやつではない。

むしろ他人に不快感を与えかねないレベルの過剰反応を叩き出し、場合によっては半狂乱に陥るほどに嫌いなんである。
無理すぎるがゆえ誰よりもはやく発見してしまい、周りの人間を巻き込んだ経験も数知れず。


今から、本当にあった怖い話をします。

昨夜のこと。
お風呂あがりに洗面所で髪を乾かしていると、テレビを見ていた恋人が静かにやってきた。

ドライヤーを止めたわたしに、こう告げる。

「多分、部屋にあなたが見てはいけないものが出たで」

すべての思考がフリーズした。

その言葉の意図するところを瞬時に理解するも、脳みそが受け入れを拒否してるみたい。
言葉を発することも髪を乾かすことも忘れ、恋人が部屋に戻ったのちも数分間、わたしはその場で呆然と立ち尽くしていた。

外で見かけるのも相当嫌なのに、わたしの大好きなくつろぎの空間であるところに出現するなんて、ほんまにお願いやから、なんでもするからちょっとほんまに、勘弁して。

と、今更思ってももう遅い。底なしの絶望感が全身を駆け巡る。


わたしが部屋に戻ったあとの状況をかいつまんで説明すると、

・ひたすらに登場を怯える
・横切るのを見てしまう
・半狂乱になる
・泣きじゃくって怯える
・恋人が発見
・恋人が退治
・一安心するも、まだいるのではないかとなお怯える

という感じであった。

冷静に思い返すと本当に、21歳としてどうかと思うくらい取り乱してしまったので、詳細は割愛させていただきたい。


普段は温厚な恋人だが、虫に関することとなると途端に容赦なく説いてくる。

わたしが虫をすごく嫌いなのはわかるけど、そこまでひどかったら日常生活困るやろうと。
自分がいなかったらどうするのか。さわれなくてもせめて、スプレーで退治するくらいはできるようになってくれと言うのだ。

とっても厳しい話である。
自分が情けなくて不甲斐なくて悔しくて、付き合ってから初めてなんじゃないかと思うくらい、わたしはめちゃくちゃ泣いた。

すでに日常生活に支障をきたしまくっているのだからそんなことはわたしにもわかっていて、でも本当に生理的にとても無理で、どうしたらいいのかわからない。

でも、恋人をこれ以上呆れさせるのはそれ以上に嫌である。


考えることだけは得意なので、わたしは一生けんめい考えた。

虫嫌いを克服する方法。
生活していく上で、最低限の耐性をつける方法。

本当はググったら早いのだろうけど、いきなり画像とかが出てくるのが怖すぎてそれすらできない。
なにせ、パッケージや教科書に出てくるイラストですら直視したくないレベルである。

ああ、なんて生きづらい世の中なんだろう!
と、ついには世界のせいにしたわたしであったが、結論としてはそれが良かったのかもしれない。


とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石「草枕」の、あまりに有名な一文である。
ふと浮かんだこのフレーズを検索してみると、青空文庫で読めるようになっていた。

恥ずかしながら未読であったため、冒頭部分を興味深く読んでみた。


智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。


越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。


住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。


こんな情けない状況と心情をもってして、この文章にいたく感激する人間がいるとは、かの漱石先生もまさか想像しているまい。

虫は出るしゴミは出るし、天災は起こるし痴漢はいるし、悲惨な事件は絶えないし、ほんっとうにつくづく人の世は住みにくい。

そんなときこそ芸術が、人の心を豊かにしてくれるのである。
逃避先があるからこそきちんと現実に向き合おうと思えるのだし、さらに逃避で得られたものは、この先も変わらぬ糧となりうるかもしれない。

つい先ほども、角田光代さんの旅エッセイが、G関連で荒んだ心を癒してくれたばかりである。
つらい現実をしばし忘れ、異国を夢見るその時間が、今のわたしには確実に必要だった。(大げさか)


曰く「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界を目の当たりに写す」とのことだが、これをさらに発展させれば虫嫌い克服に繋がるのではないか?

わたしの場合、特に影響を受けやすいのが言葉である。
というわけで、

「万物を愛し、万物に感謝」的なものであるとか(それは多分無理だけど)、
こう考えると結構気持ちが楽になるよ!わりとコミカルにやっていけるよ!

みたいな言葉に出逢う、あるいは自ら作り出すことによって、少しは嫌忌が薄れるのではないかという仮説。


殺さずに逃がしてやったというaikoのエピソードや、しげみさんが書いていたゴキブリに関する笑い話

そんなものをいくら思い浮かべても、全然まったくだめだった。
その程度じゃ、現実の破壊力には太刀打ちできないのだ。
だから、もっと説得力のあるような、暗示にかかりやすいようなモノが必要なのである。


今のところ、わたしに思いついたのはそこまでだった。

必要最低限でいいから、苦手なモノを克服するのに効果的な方法。
ご存知の方がいましたら、ぜひお知恵を拝借させてくださいませ………。(切実)
めっちゃ見るとか触るとかいう荒療治は、極力避けたい所存でございます。


夏目漱石まで引っ張り出して、なんだかえらい壮大な話になってしまったが、要約すると

「なんとかして虫嫌いを克服したい」

この一文に尽きるのだった。
うん、まとめたことで情けなさが際立ってしまったな。


帰ったら、草枕の続きを読もうと思う。
…安全な、ロフトの上で。


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