ものすごく暗くて、ありえないほど重い

食器洗いをしていると、うっかり手が滑って器を落としてしまった。

音を立ててシンクに落ちたそれを慌てて確認するも割れていなかったのでほっとして、
次の器を手に取ると、ふちのところが欠けていた。


自慢じゃないが、この部屋で暮らし始めてから2年以上、わたしは一度も食器を壊したことがなかった。


それなのに。

シンクに落ちたそのちっぽけなかけらを拾い上げることが、わたしにはどうしてもできなかった。



「空腹は感じるのに、口が何も欲していない」


という、年に一度も起こることのない信じがたいスーパービッグイベントが自分の身に巻き起こっているのを認めると、

「ああ、こりゃだめだ」とわたしは思った。

結構来るとこまで来たんだなと思った。


正解のないループから何時間もぐるぐると抜け出せないままでいて、

絶望のふちに引っかかったまま、夜も更けた頃母に電話をかけた。


出ないだろうなと思っていたら、やっぱり出なかった。
すごくすごく眠たいのに、頭の真ん中がしんしんと冴えているから眠ることもできず、


でもわたしには、

部屋中に散らばった本をでたらめに拾い読みしたり

web上にあがっている人たちの文章を読んだり、

思いつくことをだらだらと書き殴ったりすることしかできなかった。


自分で自分の首を絞めて
悲劇ぶったことで大げさに打ちのめされて

助長するようなことばっかりしている自分は本当にばかなのかもしれないとぼんやり思った。


窓の外では夜が明けていた。

絶妙なタイミングで連絡をくれた人の言葉に救われ、少しずつ這い上がりかけていた頃、母から電話がかかってきた。


どしたんー、あんな時間に、と言う。

もうだめだー、と思ってしまう。
でもそう思うことすら甘えだとわかっていて、
こんなふうに愚痴をこぼしていい域になんて全然達していないこともわかっているから情けなくて、

でももうだめだー。しんどい。


ということをぼろぼろと話す。


話しながらも、なんて甘えているんだろうと吐きそうな自己嫌悪に襲われた。

と思いつつ、大したことないくせにそうやって大げさに落ち込んでみせてばっかりいて何それがんばってるアピールかよって自分自身に鼻白む。

先回りの先回りくらいまで俯瞰して先手を打ってしまうくせがやめられない。

誰に批判されるのを怖がってるんだって。
およそ潔さとか覚悟というものがなさすぎる。

と書いていて、今はたと思ったのは。

多分先手を打って言い訳してしまったり、自分はちゃんとだめなことにも気づいてますよってアピールしてしまうのは、
何よりも自分自身への言い訳なのかもしれないっていうこと。

全部頭の中だけで起こってることに過ぎないのにね。どんだけ自意識過剰なんだ。

自己完結。そんなんだからいつまで経っても外の世界に出て行けないんだ。



帰っといでー、と母は言う。

「帰ってもいい?」って送ってきてたけど、
なんでそんなこと聞くの。

ここはあなたの家なんやから、いつでも帰ってきていいに決まってるやんか。


と、叱るような口調で母は続ける。


帰ろう、と思った。

家に帰って、お母さんのごはんが食べたかった。


ゼラチン質の絶望と湿気をたっぷりと含んだ部屋の空気は意味不明なくらいに重苦しくて、
いつ飲み込まれてもおかしくないような有様になっていた。

ちょっと一旦ここから逃げよう、と思ったのだ。


休んだことのなかったアルバイト先に欠勤の連絡を入れ、明後日からの旅行の準備をリュックに詰めるとわたしはバスに乗って駅へと向かった。

お母さんのお好み焼きか、
お母さんの餃子が食べたいと思った。



自分の中にある言葉の重みに、時々押しつぶされそうになる。


言葉は凶器だし、きっとそれ以上に狂気だ。

そしてその矛先は、他人のみならず自分へも向かうから恐ろしい。


外に出してやらないと、多分わたしは窒息死するんだろうなと思う。


創作は麻薬なんだって。

中毒者みたいに、憑かれたようにやり続けるより他にない。



ふちが欠けた器を、しかしわたしは捨てずに使い続けるんだろうなとぼんやり思った。


たった一箇所が傷ついたくらいでもうだめだと見切ってしまうのは、あまりにもったいないことのように思えたのだ。

#エッセイ #コラム #日記 #深夜のこと

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