見出し画像

わたしの恋人は聞き上手

数多ある恋人の長所のひとつに、聞き上手なところがある。

起承転結はおろか、オチすらないようなくだらない話から、まっさきに報告したくなるようなうれしい出来事、人間関係の愚痴、将来の不安、仕事の相談までなんでもござれ。
どんな温度感のどんな話であろうとも、時に愛すべきいい加減さで、また時には泣きたくなるくらいの真剣さで向き合ってくれる。そんな彼のことが、恋人である以前に、人間としてとても好きだ。

最近とくに素晴らしいと思ったのは、仕事にかんする話をしていた時のこと。

わたしが愚痴を言いたいだけの時は、いっさい口を挟まず、なおかつ絶え間なく相槌を打ちながら耳を傾け、話が途切れたタイミングで内容を要約しては惜しみない共感を浴びせてくれるし、対処法がわからなくて頭を抱えていた時には、ひかえめに自分の経験を話しながら、目から鱗のアドバイスをしてくれた。

聞き役に徹するべきか、質問を差し挟むべきか、あるいはアドバイスをするべきか。彼はいつも、話しているわたし自身すら気づいていないニーズを汲みとって、もっとも好もしい反応をしてくれる。
世の中には「隙あらば自分語り」の人間があふれているというのに、その一切の加減が絶妙なのだ。

わたしの求めるタイミングで自分の話をする時や、助言をしてくれる時の言葉の選びかたにも好感が持てる。自分の中を探りながらふさわしい言葉を見つけて、それをたどるようにつなぐ話しかたも。

言葉を蔑ろにする人のことは絶対好きになれないな、と近頃強く思うようになった。
文章が巧いとか語彙が豊富とか、そういう表面的なことではなくて、自分自身や相手にたいして誠実な言葉を選ぶ人のことを、わたしは好きだ。

もちろんこれは、自分への戒めでもある。ちょっとでも気を抜けば、すぐに見てくれを気にして嘘をついたり、妥協したりしてしまうから。
わたしの好きな人たちに好きでいてもらうためにも、生きている限り徹底していきたいと思う。

言葉を大切にしない人のことが、わたしは嫌いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?