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風のうつろい

 昨日さくじつからの雨が止み、空のうなりが収まると、肌をすべる風に一段と温もりが感じられるようになった。三寒四温などと言いながらも、実際のところは三寒一温三普通、くらいの感覚で一向に過ぎ去ろうとしなかった冬の、その名残のような冷たさもようやく融けて消えたようだ。やわらかく降り注ぐ日の光が、それまでの鈍色がかった景色に慣れていた両の目に眩しい。また陽気というのは種を問わず活力を与えるらしく、季節が違えば見向きもされない路傍の草さえもが小さく花を咲かせて、彩りを添えている。
 自動車の窓から眺める空は青く晴れわたり、薄く広がった雲の真ん中を縦に二分するように飛行機雲ができていた。はじめのうちは直線に近かったそれも、目をやるたびに形がおぼろげになっていく。歩道の園児が指さした向こうには、さて何があったのだろう。

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 産業遺産くらいしか見るものもない地方都市でも、空は広く山は青い。安易に自然の豊かさを誇るものでないといえ、高層ビル群の隙間から建物にふちどられて角張った空を見上げるよりは安らぎを得られる。空の境目に接するのはちゃんと山で、これも背の高い建造物でない。ごく自然に接している自然から季節の巡り、時の流れに身を委ねられるのも、今の社会にあってはちょっとした愉悦といえないか……。
 平均気温が少しばかり上がり下がりしても生命の営み自体は変わらず続いていて、各々が各々に適した調子で成長なり変容なりを遂げている。この時期にヒトばかりがあくせくしているのも何とも不可思議なものだ。それも毎年の恒例、連綿と続いてきた習慣なのかもしれないが、自分たちで作り上げてきた制度や体制に振り回され気味のように、見えないでもない。

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 到着した目的地はとくに時期や季節に関係なく、残念なことに買い物カゴにそれらしい物を放り込んでもいない。たとえば、今日のようなあたたかな風に吹かれながら花見でもできれば風情もあろう。しかしながらつぼみが色づき開くまで、も少しばかり待たねばならない。ま、それもまた風情のひとつに数えておく。
 帰り際に通りすがった野菜売り場にはいつの間にか筍が並んでいて、ひと足先に春の到来を告げている。ひとり分とするにはちと多いし、移ろう季節を舌で味わうのは、また別の機会としておこう。

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