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令和源氏物語 宇治の恋華 第百四十七話

 第百四十七話 浮舟(十一)
 
恋心の為せる業か、宮の駆る馬は疾風の如く山を分け入り、宵を過ぎる頃(午後八時)に一行は宇治の山荘へと到着しました。
初めて訪れた邸ではありますが、道定は念入りに調べさせてきましたので警護の者たちを掻い潜って宮を新築の寝殿まで導きました。
そっと南面の庭から簀子に上り、格子蔀の枝の間から覗くと中の様子はすっかりと見渡せました。誰が覗くはずもないという油断もあってか帷子もまくり上げて几帳にひっかけてあるのが不用心というものを。
宮は二条院のあの折に見かけた女童を認めてやはり浮舟君こそあの女人であると確信しました。
見れば先日まで勤めていた右近の君が浮舟君のすぐ側で縫い物をしております。
残念ながら姫は臥していたので顔をはっきりと見ることができませんでしたが、その俯く横顔の様子などは驚くほどに妻である中君によく似ているのでした。
 
はて、中君とこの浮舟とはどうした関係であるのか?
 
従姉妹といった具合であろうか、と思いを巡らせながら、浮舟から目を離すことが出来ない宮なのです。
女房たちが徒然に何事かおしゃべりするのをじっと聞き耳を立てました。
「まったく何で急に石山詣でなどを思いつくのでしょうか。用事が増えるばかりで、前もって決めて下さればこれほど慌ただしくもないでしょうに」
「ほんに。薫さまは司召しを終えて二月の朔日にはお越しになるというお話でしたのに、お参りが終わったら母君様の元へは寄らずにお帰りになったほうがよろしいですわね」
「わたくしは石山詣でを取りやめたほうがよろしいと思いますのよ。だって姫さまは遅かれ早かれ京へ迎えられるでしょうから、それからゆっくり母君にお会いになったほうが万事波風立たぬというものですわ」
「まったくその通りであるのだけれど、乳母が思い立って進言したのに母君が同意されたのだから仕方がないわ」
「ほんと年寄りというのはせっかちで困ったものですわね」
乳母というのは二条院で姫と宮の間に割って入って恐ろしげな顔をしていた番人に相違あるまい、と宮はあの時のことを思い返しておりました。
それにしてもこれほどまでに無防備であるのを宮は可笑しく覗かれていらっしゃる。
ふいに二条院や自分のことまで口の端に上ったのには驚きました。
「わたくしは思うのですが、中君さまこそ女人としてのお幸せを極めていらっしゃるのではないかしら?左大臣様の姫君にも気圧されない強運の持ち主でいらっしゃるわ」
「薫さまが浮舟さまを大事にして下さったらなんの中君さまの幸せに劣ることがありましょう」
あまりにも聞き苦しい噂話をするもので、浮舟君は口の軽い女房たちを窘めました。
「中君さまを引き合いに出して聞き苦しいことを言うのはおよしなさい。かようかようと中君さまに伝わるような事になったら大変だわ」
「まったく姫のおっしゃる通りですわよ。余計な口をきくのであればもうお休みになったら」
右近が苦言を呈するもので女房たちは顔を見合せて潮が引くように衣擦れをさせて御前を退出しました。
「浮舟さまももうお休みあそばしませ」
「そう致しましょう」
そうして格子は下されました。
 
匂宮は姫の顔をはっきりと見てやはり中君とは血縁関係にあるらしいとはわかったものの、その可憐な姿に魅せられました。
中君は気品に満ちてそれは麗しくあるのですが、こちらの浮舟はまだ若々しく可愛らしげで純粋そうな姿が好もしい。
二条院にて逢った折には間に人を置いても手にしようとした浮舟であるからこのように無防備であればなおさら素通りはできぬ、と宮のいつものよからぬ御癖が頭をもちあげるのでした。

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