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令和源氏物語 宇治の恋華 第百四十九話

 第百四十九話 浮舟(十三)
 
匂宮が忍んでこられたことは浮舟君の体面を傷つけぬためにも大っぴらにすることはできません。他の女房にも知られるわけにはゆかないもので、さっそく御座所に近づけぬ策をめぐらす右近です。
「侍従の君、少納言の君。内密のお話がございますの。殿が遅くにお越しになったのですが、どうやら大変な目に遭われたようなのよ。今下人を京のお邸へやって装束などを取りに行かせておりますが、本日は誰にも知られぬようひっそりと過ごされたいという思し召しなの」
「まぁ、なんと恐ろしい」
「木幡山が危険というのは昔から言われていることですもの。どんな目に遭われたのでしょう。お気の毒なお殿さま」
「静かに。下女などに知られても具合が悪いわ。ここだけの話にして誰も御座所に近づかないよう協力してちょうだい。母君のお迎えも物忌みということでやり過ごすのよ」
「ええ」
「心得ましたわ」
そうして右近は邸中の簾を下し、物忌みと書いた紙を張らせ、浮舟の母君には右近じきじきに手紙をしたためました。
 
北の方さま
本日はありがたい石山詣でではございますが、生憎姫さまは月の障りになりまして詣でることは叶わぬ次第でございます。
加えて姫さまの夢見がよろしくなくご気分が優れぬようですので一日物忌みをなさるほうがよろしいかと取り計らいました。
残念ではありますがまたの機会にお誘いくださいませ。
 
さて、匂宮の隋人達も何とかせねばなりません。
右近は供をまとめる大内記道定を呼び出すと渋い顔を作って訴えました。
「よくもまぁ、このような謀りごとを企んでくださいましたわね。あなたは宮さまに気に入られようと必死でしょうが、事が露見すれば宮さまは東宮にもおなりになれるかどうかわかりませんわよ。もしも夜盗などに襲われて危険が及ぶなどは考えられなかったのですか?」
右近は長く京の権門に仕えていたので、こうした政治的な背景や道定のような小者の考えそうなことぐらいは察しが付くのです。大内記は右近の言わんとすることを即座に理解し、改めて事の重大さに顔を青くしました。
「ようやくご自分の仕出かした事がおわかりになったようですわね。宮さまはお帰りにならないと強情を張っておりますわ。唆したあなたが分別をつけて差し上げたら如何でしょう」
「ともかく宮さまを説得して参ります」
逃げるように去る道定を睨むと右近は大夫の時方という宮の乳兄弟を呼びました。
「あなたまでこの企みに加担なさっていたのね、呆れたものだわ。宮さまを思えばこそどうして留まらせることができなかったのでしょう」
「右近よ、我が君の思い詰めた様にほだされたのだ。我ら供人は命を賭してお守りする所存でやって来たのだよ」
宮の気性を鑑みると側近が留めてもどうにもならぬことは察せられます。
「それでも京では大騒ぎになっているでしょう。どのように納めるつもりですか」
「供人たちは見咎められぬよう隠すとしますが、京へは私が赴いてうまく言いつくろってみせましょう」
右近は深い溜息を吐き、次に弁の尼を訪れて姫君が物忌みしていることを告げました。
この人に匂宮のことを知られれば即座に薫君の耳に入るに違いありません。気取られぬよう何気なく振る舞いながらも内心はらはらと気が気ではないのです。

どうかこの一日を乗り切れますように。
浮舟さまに厄災が降りかかりませんように。
右近はそればかりを祈るのでした。

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