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令和源氏物語 宇治の恋華 第百三十三話

 第百三十三話  親心(十)
 
匂宮は中君がやはり何事かを隠しているように思われて気になって仕方がありません。
大輔の君に尋ねるとあれは常陸の守の北の方で以前からの友人が帰京したのでなつかしく交流していたのだと中君と同じことを述べるのみ。
たしかに薫ではないようであるが、どうにも引っかかる。
匂宮は女心の機微に聡いのでちょっとした違和感を拭い去れぬのが合点がゆかないのです。
その日は参内するのを取りやめ、どうにか中君から隠し事を聞き出そうと思案しながら、夕暮時にあちらの対へと渡りました。
「中君さまは只今髪を洗っていらっしゃいます」
「それでは仕方がない」
女童に告げられて宮は手持ち無沙汰に散策を始めました。
女主人がいないので女房たちはそれぞれの局で読書をしたり、碁を打ったりと徒然に過ごしております。
女たちがこのように寛ぐ様もこれはこれで面白いものよ、と宮はそっと覗き見て回りました。
対の端のほうへやって来ると見たことのない女童(宮の姫の侍女)がいるのを目敏く見つけ、新しい女房でもいるのかと、ついいつもの好色心から美人であれば素通りは出来ぬ、とそちらへ忍んで入りました。
屏風が立てられた奥には几帳が幾重にも置いてあり、ただの女房の局のようにも思われません。
身を入れて几帳の隙間から覗くとなんとも麗しい女人が絵物語を眺めておりました。
額髪がはらりとかかる姿も美しく長いまつ毛が伏し目がちなのがまた艶やかです。
 
やや、これはなんと美しい女であろうか。
佇まいからしても女房という風にも見えぬが、どうしたわけでこのような人がここにいるのか。
 
さても中君が隠していたのはこの姫であったかよ、と匂宮はもうこの姫を自分の物とせずにはいられません。
その袖を捕えるとそっと引いて囁きました。
「あなたはいったいどなたなのだね?」
宮の姫は突然のことに動転しました。
身を引こうとしてもしっかり袖が捕まえられて身動きがとれないのです。
扇で顔を隠して背けても男は几帳を押しのけて側へにじり寄りました。
夕暮時のうすら明りで相手の男が誰だかもわかりません。
抱き寄せようとする手を逃れて姫はじりじりと後ずさりをしました。
 
この御方はもしや昨日の薫大将さまであろうか。
それにしても他人の邸の奥深くには来られないであろうからもしや姉の夫の匂宮ではあるまいか。
 
宮の姫は冷や汗をかきながら、震える声で訴えました。
「どうか御手をお放しくださいませ」
乳母が姫の異常を感じとり、几帳の内に滑り込むとなんとこの二条院の主人たる匂宮が姫に迫っているのでした。
「匂宮さまでいらっしゃいますね。どうか無体な真似はおやめくださいまし」
乳母は必死で宮と姫の間に割って入り、姫を背中に庇うように宮と対峙しました。
宮の姫はやはりこの方は姉の夫であったかとおぞましさに身震いしました。
「そなたには用はない。私はそちらの姫に名を聞こうとしていただけだ」
「中君さまが知ったらなんと仰せでしょうか。ささ、どうぞこのままお引き取り下さいませ」
「姫の名を聞かせてくれたら退出してやってもよいぞ」
そのように笑んでごろりと横になるふてぶてしさに乳母は姫を守ろうと身を固くして顔を不動明王の如く怒らせて鎮座しております。
睨む乳母をものともせずに宮は姫の袖を捕えたまま離そうとはしません。
息がつまるようなまんじりともしない空気に乳母も姫もふつふつと汗が噴き出るようでその時間の長く耐えがたきこと。
辺りは日が落ちて暗くなったもので、大輔の娘である右近という若い女房がこちらに灯りを差しにやって来ました。
「まぁまぁ、すっかり暗くなってしまいましたわね。今燭を灯しましょう」
乳母は助けが来たとばかりに訴えました。
「そこにあるは右近の君ですか。たいそう困ったことがありまして身動きがとれませぬ」
右近は何事かと几帳の間から覗くとそこに装束を脱ぎ捨てた袿姿の殿方が姫の側に添い寝しているのを見て、それが匂宮であると気付きました。
「なるほど確かに見苦しいことになっておりますわね。中君さまに申しあげて参りますわ」
右近が聞こえよがしに言っても匂宮は意に反さずそめそめと宮の姫を口説いているのが憎らしくさえ思われます。
姫は中君に知られるのもきまり悪く、ただただ困ったと伏せているのでした。

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