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子どもが泣く理由。

休校が相次いでいるからか、日中、子どもを多く見かけるようになった気がする。
窓の向こうから元気に遊ぶ子どもの声がすると、ホッとする自分がいることに気づく。遠くから聞こえる大きな声が室内のワタシの耳まで届く時、無邪気な子供時代というものが心から尊いものだと感じるからだ。

うちの子ども等はもう大きいので、相手をしなくても各々好きなように過ごしている。ワタシは私で、ちょっと前までは得られなかった「自分の時間」というものを確保できている。

上の子がまだ、一人っ子の頃のことを思い出す。

「夏が暑い」と言って泣き、
「雪が怖い」と言って泣いていた。

しくしくレベルではない、号泣。
勘弁してくれと思いながら、「天候に関してはどうしようもないわ」とため息をついていた。


子どもが泣く理由。

姉弟でも、性格や資質はそれぞれだ。
上の子は結構単純な理由で泣いていたのだが、下の子はちょっと違った。

誰かが悲しい思いをしているのをみると
自分も悲しくなってしまう

昨日、Twitterを見ていたら、同じような小学生の男の子の記事がUPされていた。

ここに出てくる「元気くん」は、HSPという気質があるお子さん。

HSP=Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)
「ひといちばい繊細な人」

番組は拝見しなかったのですが、Twitterのリンクから予告を観た。
観ながら、下の子が小学生の頃を思い出した。

あらかじめ記しておくが、現在の下の子はこのHSP資質はあまり見受けられない。そもそも診断をしてみたわけではないので、この資質を持ち合わせていたかは不明だ。

小学生の頃、下の息子は敏感な方だった。

帰宅してすぐ、もしくは夕食時に学校の出来事をつらつらと話し出す。
そして、大粒の涙を流す。
誰が怒られていたり責められていたりするのを見て、とても苦しくなること。思い出すと涙が止まらなくなる。

小学生と一括りにするけれど、1年生と6年生では身体の大きさも全然違うし、心の成長もすざまじいものがある。
それでも上の子はこんなことでは泣かなかった。そもそも本人に起きている事実ではないので、一瞬どんな言葉をかけていいか迷った。

この時に彼に告げたのは
「また同じような気持ちになったら、話してね」の一言だった。

こっそり担任の先生にも伝えると、先生も深く頷いてくれた。何となく彼が悲しそうな表情になるのが分かっていたらしい。

あまりこちらから状況を確認するのもよろしくないと判断したため、彼が話すタイミングを待つことになった。
ちょこちょこと話をしてきたが、時が経つと共に自分の意思を周囲に対して言葉にできるようになり、正常値といえるような状態になった。

HSPとは違かったのかもしれないが、こういった資質を持った方がいることを理解できる。が、生きづらいのも確かだと思う。

HSPを始め不安障害など、「心が弱いから」「繊細すぎる」といった批判が挙がるのは想像力の欠如だと感じることが多い。

それから
「子どもなら泣ける」
「大人だと泣けない」みたいな強さを求められるのも悲しいとも思う。

いろいろな人がいて、いろいろな資質があり、いろいろな価値観がある。
難しいことだけど、理解しあえる受容の世界が広がることを願っている。


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