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「楽しそう!」は案外大事じゃないかと考える夜。


楽しそうな発信から富士そばに興味を持つ

東京から遠く離れた地、北海道に住んでいた頃から、富士そばを知っていて、都内に移ったら絶対食べに行こうと決めていた。それは富士そばライター名嘉山さん(Twitter:@l_f_nakayama )の発信がおもしろかったから。

富士そばは北海道にはないし、今までに食べたこともない、未知の食べ物。それを私はインターネットの海の向こう側から見ていて、「楽しそう」「食べてみたい」「気になる」と思うに至ったのだ。

富士そばの公式も、名嘉山さんの発信も、とても楽しく、「富士そばが好きなんだな」と伝わってきて、いつの間にか、こちらも「近所にあってくれさえすれば行ってみるのに……」と思うまでになった。

その発信を見なかったら、私はきっと富士そばのことを知らなかった。どこかの駅で出会えていれば御の字、くらいだろうか。

でも今は、富士そばを食べてみたくて、近くの店舗を調べてみているほどだ。

私にこの変化をもたらしたのは、楽しそうで魅力的な富士そば公式と名嘉山さんの発信なのだ。

「雁屋優」や「アルビノ」から「楽しそう」は感じられるか?

富士そばの件を考えていて、ふと思った。アルビノの話をする私は、楽しそうか?

無論、日々しっかり考えて、マイノリティの待遇改善のために必要なことを綴っていることを悪いとは思わない。これからだってやめない。

でも、Twitterから見た私は、楽しそうだろうか? アルビノについて考えることは私にとって楽しいが、楽しそうに見えているだろうか?

多分、答えはNOだ。基本的に淡々としていて、賢そうと言われる私の発信だが、楽しそうと言われたことは、一度だってない。

役に立つ情報はいくらか提供できているかもしれないが、楽しそうな感じは皆無に近い。別にそれがいけないわけじゃない。楽しくしてなんかいられないほどの、クソみたいな現実が横たわっているんだから。

私はその現実から目を背けることはできない。なかったことになんか、できない。むしろ、社会に対して忘れるなよって突きつけていく所存だ。

入口を広げて終わりではない

でも、現代人にそんな余裕があるだろうか。Twitter、Instagram、TikTok、YouTube、NetflixにPrime Videoとさまざまなコンテンツが現代人の時間を奪い合う可処分時間の争奪戦のなかで、気軽にふれるのも難しく、興味をそそる仕掛けどころか興味をなくしかねない要素を持ってすらいるアルビノに勝ち目、ある?

ないよね。

一応断っておくと、マイノリティの異議申し立ては当然の権利だし、それを「伝える努力が足らない」というのはれっきとしたマジョリティしぐさだ。でも、このトピックを知る入口を広げる努力は、そうした戦略は、十分だったとはいえない。

アルビノ・エンターテイナーとして活動する粕谷幸司さんはそこを意識しているのか、楽しい発信を続けている。また、Instagramには日本出身のアルビノのモデルさん達が登場している。

YouTubeやTikTok、Instagramで発信しているりり香さんは見惚れるほど美しい。アルビノゆえの色素の薄さでヘアカラーを楽しむ様子など、アルビノに関係あることからないことまで、素敵な発信をされている。

それらの発信はアルビノの存在の認知にはつながっているけど、深い理解にまで行き着いていないんじゃないか。

「楽しそう!」から深い理解へつなげる戦略、鍵は創作活動

深い理解につなげる楽しい入口を作らないことには、理解啓発は達成しないのではないだろうか。

私はPubMedなどでAlbinismと検索して論文をGoogle翻訳にかけては新たな知見を得てわくわくするタイプだが、こういう人はおそらく珍しい。

でも、私は、好きなもののためならば、論文にあたって調べまくれる人々を知っている。そう、創作を行う人々だ。

刀剣乱舞にハマって博物館通いをしたり、歴史に詳しくなったり、その知識をもとに同人誌を描いたりもする。

アルビノに関してだって、それくらいの入念な調査をもとに作品を作りたい人もいるだろう。だったら、その方達に何かいいコンテンツを届けたい。

というのも、アルビノに関しての日本語書籍は、入門書から一気に学術書になってしまう。

入門書として挙げられるのは、こちらだ。

『アルビノの話をしよう』 https://amzn.asia/d/hlXaHIY

『アルビノを生きる』 新装版
https://amzn.asia/d/0m12T9O

アルビノ単体ではなく、「見た目問題」の一つとして載っているものとしては、『この顔と生きるということ』や『見た目が気になる』などがある。

この辺りで基礎知識をつけた上で次に何を読もう……と考えると、『私がアルビノについて調べ考えて書いた本』という学術書になってしまう。

私がアルビノについて調べ考えて書いた本――当事者から始める社会学 https://amzn.asia/d/4HSwiRN

内容はかなり重厚で、そして読み応えもあっておもしろい。アルビノがさまざまな側面でどう扱われてきたのか、概観を知り、当事者の生の声を知るには最高の一冊だ。

だけど、入門となるような書籍の次に学術書では、階段を何段もすっ飛ばしているのも事実。最近見かける『創作者のための〜〜』といった形で、創作者向けの書籍のアルビノ版とか、あったらいいのに。

むしろ私が書きたい。

くられさんの『アリエナクナイ科学丿教科書』みたいなテイストの創作者向けアルビノ本を書きたい。

ご興味がある方は、ご連絡ください。

執筆のための資料代にさせていただきます。