アルビノじゃなかったらよかったのにと思う夜は消えてくれない。

所詮は意味のないIFだ。そんなことを考えている暇があったら文章の一行でも書いた方がいいのかもしれない。

そうやって、他人だけならまだしも自分の気持ちまで切り捨ててきてしまったから、今こうなっているのかもしれない。そうかもしれないだけで、私が間違ってなかった可能性だってあるでしょうと意地悪に頭の中の私が言う。彼女はいつだって攻撃性が高くて意地悪で理知的でだけども短気で人嫌いだ。私そのもの。

今月は就活をしたから特に"アルビノじゃなかったら"を意識した。

アルビノじゃなかったら運転免許がいるあの求人に応募できたかもしれない。

アルビノじゃなかったら応募前に電話をかけて障害のことを明かさなくてすんだかもしれない。

アルビノじゃなかったら、落とされなかったかもしれない。

根拠がないとか気のせいだとか言うことはできなくはないけれど、実際に障害者の賃金は低く、法定雇用率なんてものを作らなくては障害者は雇ってもらえない。そして、障害年金だけでは暮らしてゆけない。そんな現実が、目の前にある。

だから、アルビノじゃなかったらと思う夜ができてしまうのだ。それは私のせいじゃない。他でもない、社会のせい。

"アルビノじゃなかったら"と私に思わせる社会が、間違っている。

そんなことは、わかりきっているんだけども、それでも、そんな夜がある。

執筆のための資料代にさせていただきます。