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「アルビノだから、病弱なんですか?」と問われる度に私は誤魔化し笑いをした。


私は心身に不調を抱えている。適応障害のせいか眠りは浅く薬が必要だし、朝起きるのだってまた薬が必要だ。

高校のときも、私は"体の弱い子"だった。体育館で集会をやると、真っ先にぶっ倒れるのが私。アルビノだから、日焼けも避けたいし、まさに"体の弱い子"だった。

高校の学校祭の最後はいつも、保健室のベッドの上だった。制服でベッドに入るって、いつも、何かそわそわする。よくないことをしているみたいだ。

聞こえてくる喧騒を聴きながら、私は眠る。そして、すべての行程が終わった頃に、保健室の先生に起こされて、荷物を取って、帰る。

学校祭で何をやっても、いろいろな意味で私は戦力じゃなかった。途中で具合が悪くなるのは目に見えていたし、やる気もそんなになかったし、体力もない。

"体の弱い子"のまま、私は高校を卒業し、大学を卒業し、アルバイトとしてだけれど、就職した。週5日、行くことがひどく難しかった。休みがちになった。

休んだ次の日、言われたことがある。

「アルビノだから、病弱なんですか?」

この言葉を聞いた途端に私は、「そうなんでしょうか」と曖昧な答えを返していた。誤魔化し笑いとともに。

アルビノには、何故か病弱とのイメージがつきまとう。多分、漫画やアニメの影響だ。実際はそんなことなくて、鍛えた強靭な肉体をもつ人もいる。

私が休みがちなのは、別の要因だ。体力がなくて、人より疲れやすい。それが発達障害の一つであるASDと、元々の体の鍛えていなさ(初心者向けプランクでもそんなにもたない)によるものであると、そのときはあまりわかっていなかった。

でも、アルビノのせいじゃないことくらいは、知っていた。『アルビノを生きる』にはいろんなアルビノの人が出ていて、そのなかで柔道をやっていたり水泳をやっていたり、いろんなスポーツをしているアルビノの人がいたからだ。

でも、アルビノのせいじゃなくて、と言えば怠けと見られてしまいそうな気がした。それが怖かった。

それに、アルビノのせいにしておけば、治らないもののせいで病弱な子として、配慮される気がした。

そして、私がここでアルビノ=病弱の誤解をといたところで何になるだろう、と思ってしまった。病弱と勘違いされることに、特に不都合はない、とそのときは考えていたからだ。

だから、誤魔化し笑いをした。

本当は、アルビノだから病弱、ではなくて、アルビノでその上疲れやすい、だったのに。

ある人は「病弱と勘違いされるのは損だ」と言った。私は「得だ」と考えた。

今は損でも得でもないと思っている。"体の弱い子"扱いは楽なこともあるし、ちょっと損していることもある。でもそれはその人がどう思うかだ。

また、「アルビノだから病弱なんですか」と聞かれたら、今度こそは言う。

「元々疲れやすいだけです」と。

執筆のための資料代にさせていただきます。