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大阪府の古市古墳群に行った時の話

 大阪府の古市古墳群に行った時のことを記事にしようと思いつつ、なかなか筆が進まなかった。というのも、古市古墳群に行ったときは、まだnoteなどもはじめていなかったから、noteで使うには不十分な写真しか手元にないのと、もう一つは、このときの古市古墳群の訪問には、大きな達成感と同時に同じぐらいの不完全燃焼感が残ったからである。それでも、今回、結局、記事にしてみようと思ったのは、不完全燃焼感も含めた情報は、これから古市古墳群を訪問してみたいという方のお役に少しは立てるかもしれないと思ったからである。写真も、わくわく感も少なめの記事になるかもしれないが、お付き合いいただければ、ありがたい。わくわく感が少なめといっても、行かなければよかったということはなくて、やはり行ってよかった~と思っています。


 2019年11月某日、古市古墳群を周る前日、大阪市に一泊した。翌日、朝昼兼用の食事をとって、大阪阿部野橋駅から近鉄南大阪線に乗って、古市駅で下車。そこから、①西琳寺→②安閑天皇皇后春日山田皇女陵(高屋八幡山古墳)[墳丘長85m]→③安閑天皇陵(高屋築山古墳)[墳丘長122m]→④日本武尊白鳥陵(軽里大塚古墳、前の山古墳)[墳丘長200m]→⑤墓山古墳[墳丘長225m]→⑥浄元寺山古墳[墳丘長67m]→⑦仁賢天皇陵(ボケ山古墳)[墳丘長122m]→⑧はざみ山古墳[墳丘長103m]→⑨野中宮山古墳[墳丘長154m]→⑩応神天皇陵(誉田御廟山古墳)[墳丘長425m]→⑪大鳥塚古墳[墳丘長110m]→⑫二ツ塚古墳[墳丘長110m]→⑬誉田八幡宮 の順で、下記のように↓ひたすら徒歩で周った。(ちなみに周った古墳のうち、浄元寺山古墳は方墳だが、それ以外は全部、前方後円墳である。)

細かい道は多少違ったかもしれないが、だいたいこんな感じのルートで。

実際には、二ツ塚古墳から、さらに誉田八幡宮を経て、古市駅まで戻ったので、全長8kmぐらいだろうか。昼頃に古市駅を出発したが、誉田八幡宮に着いた頃は、夕暮れ時になっていた。ルートの最後に最大級(墳丘長425m)の応神天皇陵(誉田御廟山古墳)を見るようにしたので、達成感は凄くあったし、夕暮れ時の誉田八幡宮も良かった。

墳丘長425mの応神天皇陵(誉田御廟山古墳)は、日本で二番目に大きな古墳。
5世紀前半に造られた前方後円墳である。
応神天皇陵(誉田御廟山古墳)を拝所とは違う角度から。
墳丘長425mは、広角のカメラを使っても、収まりきらない長さ、大きさ。
以前、別の記事で紹介した群馬の保渡田八幡塚古墳の4倍以上の大きさだ。
ゴール地点の誉田八幡宮に辿り着いたときには夕暮れ時に。
空模様がきれいで、すがすがしい気持ちに。

 このように歩いてみて思ったのは、古市古墳群は、本当に古墳が多い!しかも大きい!ということだった。関東でなら「わ~、大きい!」と思える古墳が、古市古墳群では、普通サイズになってしまう。

日本武尊白鳥陵(軽里大塚古墳、前の山古墳)は、墳丘長200mの前方後円墳で
やはりその全体図は広角カメラでも収められない。
5世紀後半に造られたこの古墳の周囲は住宅地だった。

また関東でなら小さな古墳でも「古墳だぁ!」とそれなりに楽しめるが、古市古墳群を歩いていると、「古墳、本当にあっちにもこっちにもあるな。古墳、もういいわ。全部見るの、無理。」となってしまう。今回の訪問では、達成感を得つつも、見残し感も、同じぐらい残ってしまった。藤井寺市の方には、今回見られなかった大きめの古墳がまだいくつもあるし、聖徳太子と縁のあるらしい野中寺を素通りしたのも心残りである。もし、一日で、できるだけ多くの場所を周りたいなら、徒歩より、レンタサイクルの方がいいだろう。住宅地の中や、狭い道をいかなくてはいけないこともあるので、車で周るのは、おすすめしない。また、この辺りの古墳は、大きいことに加えて、天皇陵が多いので、古墳に登って楽しむという感じにはならない。よって、群馬辺りの古墳をみるときのような楽しさはなかった。しかし、古市古墳群の古墳の多さと大きさは、いやというほど体感できたので、やはり行ってよかった。以前、群馬の保渡田古墳群には、古市古墳群と同じ規格が導入されているらしいと書いたけれども、じつは保渡田古墳群にいったときも、古市古墳群にいったときも、そんなことは知らなかった。だが、わかって行ったとしても、素人の自分では「本当だ!同じだ!」とは思えなかったに違いない。とにかく、古市古墳群の古墳は大きいものが多くて、古墳の全体像をつかむには、やはり航空写真をみるしかないよなぁと思ったというのが率直な感想である。

参考資料
☆羽曳野市観光協会HP


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