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なぜ天動説は支持されたのか ④古代の地動説と占星術

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ここからは少し話題を変えて、古代には天動説しか存在しなかったかと、なぜ惑星の予測が必要だったのかを考えてみよう。

〇古代の地動説:アリスタルコス


古代は天動説しかなかったかというとそうではないらしい。
アリスタルコス(BC310-230?)は古代ギリシャの数学者であり、古代の天動説支持者として現在最も知られている人物でもある。
彼は太陽を中心としてその周りを地球を含めた惑星が周転していること、地上の測量技術を天界に応用して太陽は地球よりもずっと大きいことや月の大きさの近似値を算出するなど、現代からみてもかなり正確なビジョンで宇宙の姿を捉えていた。

アリスタルコスの像

しかし、残念なことに彼の主張が広く受け入れられたということはなかったようだ。
現代の視点から見れば、彼の見識はアリストテレスやプトレマイオスと比較して出色していることは一目瞭然だ。しかし宇宙に関する知識がまだ確立していなかった時代では彼の正当性に気付く者はいなかった。
科学史の世界では往々にしてこのようなことがあり、現代から見れば正当な主張も、当時の本流と違うために異端視されたり、単に注目されることなく歴史の中に埋没し、後年に類似研究が行われたことで再発見・再評価されるパターンはいくらでも存在する。
コペルニクスが地動説を再発見するまで、その後、二千年がかかった。

〇なぜ惑星の予測が重要なのか

太陽や月の運行は季節や潮汐を知るために重要であり、暦の作成はどの地域でも国家プロジェクトであった。しかし、惑星の運行が地球に与える影響は事実上存在しないので、暦を作成するうえで惑星の運行が正確に予測できなくても困ることはない。

ではなぜ当時のヨーロッパの人々にとって惑星の運航予測が必要だったのだろうか?
———それは占星術のためであった。

古代~中世ヨーロッパにおいて天文学者はイコール占星術師でもあった。プトレマイオスも占星術の本を残しているし、あとの記事で紹介するティコ・ブラーエやケプラーも天体観測の傍ら、占星術師として貴族や王族に占星術の結果を献上するという仕事をしていたようだ。ケプラーにいたっては占星術に懐疑的であったが、パトロンのために仕方なく行った占星術が良く当たったらしく、皮肉にも彼の占星術師として評判になったらしい。

ケプラーが作成したホロスコープ

中世ヨーロッパでは占星術という神秘主義的な要望から天文の観測が重要視されて天文学者が専門職として成立し、惑星軌道の予測の需要があったのだ。そのため中世の大学でもリベラルアーツとしてプトレマイオスのアルマゲストが授業されていたようだ。

しかしなぜそこまで占星術が信奉されたのだろうか。

ここは私の空想なのだが、古代の人々は星々の運行をみることで、一年で星々が一巡し、それに合わせて暑い時期と寒い時期が存在することにまず気づいただろう。
そして太陽が四季を司ること、月が潮の満ち引きを司り、女性の体調を変化させることも気が付いたはずだ。つまり太陽や月は大地や海、人に影響を与える存在であると気が付く。
さらに太陽は毎年同じ動きなのにも関わらず、年によって寒い年や干ばつの年があったりするのは、太陽や月以外の星々もこの世界に影響を及ぼしているからだと考えたとしてもおかしくない。恒星は太陽と同じように毎年同じ運行をしていることから、不規則な惑星の運行や稀に表れる彗星や流星によって太陽や月では説明できない災害や戦争などの現象や物事の吉凶、人の健康が説明できる、と考えられたのではないだろうか。

16世紀の占星術書の挿絵
人体と星辰の関連性を示している

実際のところ占星術の発展にどのような背景があったのかは浅学にして知らないが、とにかく中世では各惑星が人体の臓器に対応しているので医療に応用できるとか、火星と戦争の関連性とか(Marsは戦の神マルスに由来)が議論されていたようだ。

その結果、ヨーロッパにおいて王族や貴族はお抱えの占星術師を持つくらい重要視されて、惑星の運行によって干ばつや疫病、果ては戦争の結果や王族の運命まで占われるようになった。占星術師たちは正確な占いのために惑星軌道の予測理論や星々の観測が必要となり、天文学者の役割を担うようになった。

キリスト教の教義では占星術は異端とされていたようだが、活版印刷が普及すると占星術書が人気書籍となるなど、占星術は民衆の間でも人気となり、占星術は中世ヨーロッパにおいてかなり広く信仰される対象だったようである。

惑星軌道の予測という科学事業は、占星術という神秘主義からの需要によって支えられていたらしい。

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