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11.忘れたいこと

伯母は、私がこうして苦しんでいることを 何も、知らない。 言おうとも思わないし 気付いて欲しくもない。 だって彼女は、 私と円満な関係を築けているつもりでいる。 可哀想な人。 誰よりも繊細で、努力家で 誰よりも家族の繋がり、絆が欲しいのに 素直になれずにいる。 実の息子には愛想を尽かされ 名前を捨てたいから、と婿養子となり 家を出て行った。 それら全て事後報告で。 薬を飲む事で心の安定を手に入れた伯母は 周りを傷付けた事実を、過去を、 綺麗に全て忘れているのだ。

    • 10.五度目の命日を迎えて。

      1月26日。 父の5度目の命日を迎えた。 自分にも家族にも厳しかった彼は 痴呆症になったことで 今までが嘘だったかのように 毎日にこにこと笑顔で過ごした。 当時、父を亡くしたばかりで 憔悴した私に 優しい人たちは、 優しい言葉を何度もくれた。 あなたは充分頑張ったよ、とか 息抜きがてらご飯に行こう、だとか そんな事言われるほど私は 頑張れなかったのに。 父に関して何もできなかった私が 母の様に落ち込むのは 悪いことの様な気がしていた。 息抜きなんてしてはいけないと思

      • 9.親不孝子不幸

        親を大事にしない子供は 親不孝と呼ばれる。 子供を大事にしない親は 何と呼ばれるのか。 子供の命が脅かされていても そういう事柄が判明するのは いつも取り返しがつかなくなった後。 子供には、外に発信する力が無い。 そして、自分の味方なんて 居るわけが無いと思っている。 一番身近な親にすら好かれなかった事実。 皆は親に大事にされているのに 自分は殴られ、罵倒されている。 こんな姿は恥ずかしくて見せられない。 見ないで。 気付かないで。 でも、 もう頑張れない。

        • 8.大切な友達に、自分が必要だと言われた時の話。

          私には、唯一無二の大事な友達がいる。 大学が一緒で、新卒後に入社した会社も一緒。 大学の時は彼女の存在を知らなかったが 後から同じ学部だったことが分かった。 一番最初の宿泊研修では部屋も一緒で 新入社員が約8グループに振り分けられた際も、 同じ班のメンバーとして助け合った。 研修最終日に配属先が発表された際。 女子は基本的に引っ越しが不要な店舗に 配属発表がされていく中、 私と彼女だけは 引っ越しを伴う転勤を命じられた。 同じような辛さ、苦しみを経験すると お互いの絆

        11.忘れたいこと

          7.大切だからこそ、逃げられない。

          伯母の息子、私からすると従兄弟を 私は、お兄ちゃんと呼んでいる。 小さい頃から一緒に過ごす事が多かったからだ。 お兄ちゃんとは 伯母の家に住んでいた数年間、一緒に暮らした。 とは言っても彼が専門学校に 通っている時期だったので帰りも遅く、 顔を合わせるのは夜、10分程。 休みの日は試験や遊びで お兄ちゃんは、家にいる事が少なかった。 彼もまた、伯母との過去に囚われた1人だった。 過去形なのは、もう数年、会えていないからだ。 今のお兄ちゃんを、私は知らないし 私の今を、彼

          7.大切だからこそ、逃げられない。

          6.やっと手に入れた安全地帯

          28歳になった今現在。 私は一人暮らしをしている。 祖父母と暮らした家と、伯母の家 両方があるのと同じ市内に。 4年前、祖父が亡くなり 祖母は一人暮らしとなった。 17歳のトイプードルくんも一緒に 1人と1匹で仲良く暮らしている。 私は、誰よりも祖母が大事なので 祖父が亡くなった後すぐに引っ越しを決めた。 ひとりになった祖母が心配だったのと 祖母とあと何回会えるか分からない事が 急に怖くなってしまったから。 その結果、職場までの通勤時間は 長くなってしまったが 家が近

          6.やっと手に入れた安全地帯

          5.可哀想な子というレッテル

          小学校の中学年くらいだったかと思う。 当時、私が触れられる音楽というものは 伯母が借りてくるCDしか無かった。 本を読むことが好きだった私は 伯母が借りてくるCDを流しながら 歌詞カードの文字を追った。 伯母は恐らく家族の誰よりも繊細だったけれど 時々相手をひどく傷つける言葉を吐いた。 思ったことを素直に言っただけ。 真実を言って何がいけないの?と 本気で彼女はそう思っていたのだ。 そんな伯母が、 この曲、あんたみたいね。と言って流した曲が 浜崎あゆみのA Song

          5.可哀想な子というレッテル

          4.人と違うという事

          3歳から祖父母の元で育てられた私は 小学生の頃、授業参観が嫌だった。 専業主婦だった祖母は 必ず毎回来てくれた。 親がいないことに引け目を感じない様 きっと気を遣ってくれたのだと思う。 私は、昔から人見知りで 引っ込み思案なところがあったから、 人とは違う自分に敏感だった。 授業参観に親が来ないのも嫌だったけど 私だけ、いわゆるおばあちゃんが来るのも 当時は少し、恥ずかしかったのだ。 そして、そんなことを思う自分も嫌いだった。 友達の、若くて綺麗なお母さんを見て 羨ま

          4.人と違うという事

          3.お金という負い目

          2.フラッシュバックで書いたように 私は、伯母との出来事がトラウマになっている。 突然、過去がフラッシュバックする程に。 だけど伯母は、悪い人ではない。 だって、私にお金を遣ってくれたから。 単純かもしれない。 洗脳だと言う人もいるかもしれない。 でもそれが無かったら、私は死んでた。 両親の離婚後、 父親は、養育費を1円も払っていない。 出身地の沖縄で新たな家族を築き 仲良く暮らしているらしい。 離婚後初めて父親と再会したのは21歳の時。 3歳から21歳まで一度も会う

          3.お金という負い目

          2.フラッシュバック

          昔のことなんて とっくに忘れたつもりでいた。 でも最近、思い出したくないのに その時の光景が浮かんできて 涙が止まらなくなる。 幼い女の子は俯いて 手に爪を立て、感情を殺している。 はっきりと赤く残る爪痕が何だか懐かしい。 喉の奥に何か重たくて大きいものが 詰まっているかのような、苦しさも。 手に取るように分かるの。 それは幼い頃の自分だから。 養子縁組後の私は、母方の祖父母に引き取られ そのまま不自由なく育てて貰った。 祖父母宅の近くには 私の実の母親の姉、伯母が住

          2.フラッシュバック

          1.noteを始めたきっかけ

          3歳の頃に両親が離婚をした。 私は、母方の祖父母に預けられ、 小学校へ上がるタイミングで 養子縁組をして貰った。 祖母は、私達の子供になる?と 間接的な聞き方をしてきた。 苗字は変わるけど あとは何も変わらないから大丈夫だよ、とも。 当時の私は、 苗字が変わることの意味が分からず ただ、幼い頃から変化を嫌う性格だったので よく分からないまま いやだ、と言い続けていた。 結局、入学式の頃には 新たな苗字のおなまえシールが 用意されていたけれど。 今となっては分からないけ

          1.noteを始めたきっかけ