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"ありのまま"という言葉のすれ違い。

言われてハッとしたことを自分なりに考えたいこと?自分の中で整理したいこと?を一旦言葉にしてみたい。


最近はと言うと、しっかり本腰入れて向き合っていかなきゃいけないことが山積みでそれを必死に落とし込む日々になっておりまする!
有難いことだと、受け止めます!🤔

「ありのままでいいんだよ。」て言葉をまあ最近よく見る。
その中で、思ってきたことを描いてみた。

①”ありのまま”って言葉は、ユーテリティで安っぽい?

使い方としては、そのまんまの貴方でいいんだよ。って事だと思う。それ自体、素敵で救われる人は沢山いるはず!けど、この言葉をかけられる側って、自分を責めたり恨んだり、周りと比べたり妬んだり、自己肯定感が極限に薄まってる状態なのかなって思う。

現状に悩み、苦しんだ末にかけられる言葉が「ありのままでいいんだよ」だと冷たくあしらわれてる気がする。

ありのまま=今の現状に在る自分。あるがまま。

ありのままでいいと伝えるだけの声掛けなんて、どこか冷たいと思う。
「自分はこうあらなきゃ」という気持ちに縛られて苦しい想いをしている人に。
僕はこの言葉をかけたくはない。

自分的観点では、ありのままでいい=立場をわきまえたほうがいい
にもなるなと感じる。

敢えての冷たい言い方にしてるけど、身の程を知らないのにありのままでいいと言われても、いやどこが?ってなるから、ありのままでいいよと声をかけようとする
前に自分が一旦どのくらいの人間なのかを知る。そして、苦しくなる。

この順番が曖昧で、自分を見失っている人は多いと思う。

良い言葉だけど、むやみにありのままでいいと他人に伝えたり、文の締めとして使うことは自分は極力したくないし、そうしてる人は意図も整理してほしい。

ありのままという言葉に、甘えていませんか

②ありのまま(Let it go)よりあるがまま(Let it be)

goingより、being.
ありのままというある種自己啓発的なメソッドが出来てそれを試してみたい気持ちもとても分かるけど、僕はありのままの自分とか深いことは考えずに思ったままに行動しても良いのではないのかなと思う。

自分の中にあるその時折の内面と外面が良いバランスをきっととってくれてありのままを気にしている今よりも良い瞬間に落ち着くはず。

伝えたいことはある開示したいことはあるけど、守りたい自分、離れたくない友人がいるから言わない。この場合はちょっと伝えたとて場を盛り上げられそうとか、考えなくても内面と外面がうまく調整してくれる。

それ自体は、社会で渡り合うために、生き抜くために作り上げた固定概念?
外面はかけがえのないい尊いままでの努力の結晶なのにそれを破棄しちゃうなんてもったいない。そう思うと外面ってちょっと愛苦しいぐらいに自分は思える。内面と外面の片方を捨ててありのままになるのではなくどっちも受け入れて、あるがままに生活をしていきたいって自分に思いたい。

人って無意識に経験則からありのままとそうではない状態の使い分けが出来てくるようになってる気がしてて、わざわざありのままを意識する必要はないと思う。
自分の実体験による感覚を信頼して、自分のパフォーマンスを最大化することこそ自己肯定感が待っているのではないでしょうか?

内面(ありのまま)だけじゃなく、外面も内面も全部ひっくるめて自分を愛することができてこそ本当の自分になれそうな今日この頃。

要は、ありのままを受け入れるだけじゃなくて、その先に中に在るモノを愛して、強さをもって前へ進まないと、何も変わらない。

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