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去り際の美学。

突然ですが、最近の私は人からの客観的した意見を求めていて、直したほうがいいよ的なフィードバックや印象を猛烈に受けたい年頃です。

繊細な一面がありつつも正義感が強く合理的でないことはその当事者に言わないと気が済まないし、物事への妥協ができない、現状を受け止めること、が弱いそんな矛盾した自分が気になってきていたりもする。

今回は、客観的にミステリアスに思われるこだわりを洗い出してみました!

1.最後まで見届けたい

先日、新幹線の中である人に語ったことを言葉にしておきたいと思ったので、まとめます!

自分の中の無意識的に動く潜在的な価値観に「遠くに足を運んで来てくれた人は、最後まで見届けたい。」がある。

自分に会いに来てくれた人に対してはもちろんのこと、そうじゃなくても住んでるシェアハウスに遊びに来てくれた人や交通機関で遠くへ帰る人には最後の最後まで見届けたいって思う。そもそもの心配性な性格もあるが、常に最悪のケースを想定して動く性があって、時間が許す限りはそこに駆けつけたいし、
「究極は、自分がされて嬉しいことは全て人に尽くしたい。」

原点はないが、正直僕は根はネガティブが強いと思う。表では、基本明るく前向きにポジティブに振る舞うが、本当の自分はとてもネガティブな自分を客観的にも理解している。

だからこそ、ここぞという時のために、細心の注意を払って準備するし、お世辞にも器用でもないので、"未来の自分を信じ過ぎない"ことは肝に命じている。

更に内省した時にこれまで生きてきた中で、徐々にこの衝動が根付いた背景の分岐点が3つあるなって思ったので、順番に思い返す。

①家族との関係性

自分は、兄弟と祖父が他界した経験がある。
2人に共通して言えることは、最後の終わり際は色んな事情で顔を見ずに終わってしまった。最後顔を見れたときには、既に時は遅かった。

身体が悪いのは、元々だったので、どこかでまだ大丈夫だろうという甘さ、隙があった。心底悔やんでいる出来事として記憶に残っている。

最近の事象では、祖母が現在認知症があり、日に日に記憶が薄くなっている。僕の名前はまだ覚えてくれてはいるが、兄弟の名前を覚えてはいなく、忘れられるのも時間の問題でもある。

いつか僕もきっと忘れる時はくると思うし、実際医者にもそう言われている。

今、一緒にいる人達もいつか会わなくなる時がきっと来ることは常に頭の中にあって、終わりを考えて日々を過ごしている。
忘れられるってやっぱり本当にこわい。

「終わりがあるからこそ、今の記憶を大事にしたい。終わりを意識することで、今を大切に過ごすことができる。」

②留学時の他国の友人との別れ

有り難いことに大学時に約1年間留学に行った。
英語を話せるようになったり、楽観的で立ち向かう様になったり、どんな困難でも粘り強く向かっていける自分自身はこの時の暮らしの影響が大きいといっても過言ではない。

そんな中、それぞれの目的や想いがあって各国から語学のスクールに集まってくるのだが、語学スクールに集まる留学生同士だからこそコミュニケーションは正直容易ではない。

もっとどんな想いがあって何を成し遂げたいとか夢とか、母国語同士だったら聞いている内にある想いもそんな簡単に会話することができずで、物足りなさもあったが、それはきっとお互い同じ状況だからこそお互いを尊重し、かけがえのない絆もできた。

そんな出会いも順番に母国に帰る日がある。
空港まで行って、かけがえのない日々を一緒に過ごした人たちに異国の地からの帰国を見届け、別れを告げるのは何とも尊くて、エモかった。

③シェアハウス暮らし

シェアハウス暮らしは、約8年ほどになる。
場所にもよるが、シェアハウスは住人の流動が当たり前に起こる。
それだけ出会いと別れが多いので、フェアウェルでは涙をする住人も何度もみてきた。

一緒に住む限りは、家族のような繋がりを求めたいからこそ、旅立つ瞬間を見届けたい価値観はシェアハウスの影響も大きい。

2.去り際の美学

「去り際の美学」という言葉がある様に、引き際はとても大事にしている。

パートナーと離れるときも、イベントで知り合ってバイバイするときも、
仕事を辞めるときも、次いつどんな形で巡り合わせが起こるかなんて誰にもわからないし、予知できない。

世の中上手くいかないことのほうが多いし、全ては難しいかもしれないが、できる限り全ての関わりで去り際よく終わりたいし、周りに対しても示してあげられる人で在りたいって思う。

①辞める時の去り際

経験上の考え解釈に近いが、
会社の仲間と退職後もよい関係でいられる人というのは、最後の時間まで「退職予定者」ではなくて、「組織の一人のキーマン」として振る舞い続けられた人だと思う。
そういう人とは、良いお別れをし、また新しい別の関係性が継続されることがある。

だから、もし、自分の心身の声に耳を傾け、3年前後を過ごした会社や仲間とこれからもずっとなんらかの良い関係を築きたいと思うのであれば、「終わりよければ」と肝に念じてやりきるのは大事と言える。
周囲はそんなあなたを人として、リクペクトするであろうし、いつか、仕事でつながりができたり、その後の人生においてビジネス上で助けてもらったり、といったことがあるかもしれません。

3年の激務の日々が無駄な時間だったのでないとすれば、最後まで組織の身勝手を前向きに受け止めつつ、あなたがいかにすばらしいエースだったか思い知らせるような仕事ぶりを4カ月続けてから立ち去るというのは心底かっこいい引き際だと思う。

最終的には自分を守っていけるのは自分しかいなく、自分の中で大事にしたい美学はこれとこだわって生きたい。
これから公私共に何度も経験する出会いと別れの一瞬を大事にしたい。

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