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強くならなきゃと願う。

早いもんで、今年もう終わろうとしてる2020年。
そんな今年は、今の自分じゃ追いつかないスピードで周りが変化した。"周り"
今回は、目次なんて書かずにただ書き留めたい。

「みんなそれぞれ頑張ってる」「自分だけが恵まれてないと思うな。」って言葉は
これまで生きてきて何度か伝えられてし、誰かに伝えたことだってある気がする。
前提に、自分は全体的に恵まれてると思う。
今は、周りに恵まれて幸せな毎日はある。
これまでの経験がなければ、今の自分はいないので寧ろ全てに感謝はしている。

ただただ書き留めたくて、。気持ちが風化されないうちに。
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まず、振り返りってほどでは全然ないけど今年の話。

数年ぶりに両親に会えた。

これは、自分がずっと会うのを避けてた。大学から実家を離れて、就職で上京して帰らぬ身の自分を幼い頃から含めて、どう思われてるのかを知りたくなった。
幼い頃から本当に何もできないし、何も発しないし、よく怒られるしで。その頃はもう人と関わること自体が億劫になってた。
大学生からは、もうかなり行動的にはなった。無心で動いて。
ただほんとは人から愛されたり、理解されるとは無縁の人生をきてると思ってた。
そんな自分だったけど"LIFEDESIGN SCHOOL"(https://lifedesignschool.com)というスクールに通ったことがきっかけで会いにいこうと思えた。そこで、どう思われていたか、何を願っていたかを知れた。
そして、本当の気持ちをお互いに知ることの大事さを知った。

コロナによって仕事を失った。

と名目上はそう書いてもらってるけど、実際は業績難で残してもらえる人材になれなかった。入りたかった会社から、紹介で入社した。
というか、自分の中で紹介してもらってることへの感謝という綺麗な言葉が上回って、そこには自分の意思”選択”がなかった。
今でも悔しい、本質は別に素直に会社もコロナが悪いわけじゃない。
自分の大事な場で、自分の意思で選択できなかった自分自身に対して寂しく悔しく感じる。もう繰り返したくない。

弟、妹の人生が先へ進んだ。

弟が大学へいかない選択をとり、自分の足で就職して家にお金を入れるらしい。
対して僕は、最初の数ヶ月だけでずっと放置してきた。
妹が結婚して嫁ぎにいく。
自分は、そんな未来一ミリもまだ想像できない。

両親が次のステージへ。
母さんが仕事を辞めて、専業主婦となる。
ずっと働きながら面倒を見てくれていた。
それも、おばあが一緒に暮らしてご飯、家事作ってくれてから。そのおばあがいつの間にか足が悪くなって、今は入院中。
親父がホールディングスとしての経営者を下りた。

先週末に病気で祖父と義理弟が他界。

たった今、全てのするべき式が終わって帰ってきた。
未だに実感がない...。それもそのはず、聞かされたのは事後だった。
月曜、火曜予定を全てリスケして急いで帰った。
1ヶ月前までは、元気だったらしいのに。この現実は醜いし、人の命は尊く儚い。
帰ることはやればできたけど、動かず最後に何も伝えることができなかった。
88年の人生の最後に言葉を交わせなかったこと。自分よりも若くして、人生を去っていってしまった事実があること。
体調を崩したと聞いた時に、その時にフッと帰りたいと思えなかった自分が今となってはまた醜い。泣き崩れてしまって放心状態。
これも、終わってからの話で何度願ったって現実は変わらない。

もう自分が知らないところで、知らないことがどんどん動いていく。

これまでもそうだった。海外に引越すことも、災害も転校も、お姉ちゃんの病気も後々決まった後に知ることがほとんどだった。
だから何?って話かもしれない。別に不幸アピールでもない。

けど、気づいたらいつも後から事実を知ってる。そして、取り戻せなくて後悔する。また、同じことを生んでしまった。結局いつも後悔している。いつも遅い。

自分の一つの価値観として、仕事もプライベートも何かプロジェクト等を進める上で、自分が関わっていたことが知らないところで勝手に進んでいるみたいな感覚がなんか許せないの。
なんでかわかんなかったけど、少し解明された。
自分の状況なんかより、身の回りの人たちや事柄の状況を把握してたい。
いつの日か家なりイベントなりの企画、管理が自分を満たせるようになった。
もっと周りを幸せに自由にしたい。
自分が強くなって幸せになりたい。

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後悔のない選択はいつになったら、取れるのでしょうか。

って書き留めてみたくなった今日の夜。

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