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散々な目に遭ったインドにまた行きたくなった:『ガンジス河でバタフライ( たかのてるこ)』

インドでiphoneを強奪された。

3年ほど前に、インドに1人旅をした時のことだ。
初日の夜に、iPhoneを2人組の男に強奪された。

それはもうパニックになった。
全てをスマホに依存しきった現代社会だ。スマホがなければ正直、国内旅行でもアタフタしてしまいそうだ。
それが、よりにもよって、旅人たちの間でも「難易度が高い」と聞いていたインドで起こった。
ましてや、こちとら初めて訪れるインドで、しかもそれが初日ときている。

結果としては、事前に計画していた通りの旅程を意地でも全て満喫し、無事に帰国したわけだが、普通であれば、「もう二度と行きたくない」認定をしてしまってもおかしくない出来事だ。
しかし、「またインドに行きたい」と思っている自分が、確実にいるのだ。

そこまで思わせる、インドの魅力とはなんだろうか
この本を読んで、「そうそう、そうなんだよ!」と、答えを見つけられた気がした。

読書メモ

(※個人的なメモのため、一字一句が本文と同じではありません)

友人に別れを告げ、海外旅行保険に加入すると、自分の「死」を意識することになり、生きていることへの感謝がもりもりと湧き上がってくるのだ。大病をしたこともなければ、大事故に遭ったこともない私にとって、旅は「自分が生きている」ことをリアルに実感できる、極上のカンフル剤なのかもしれない。

全部、自分で判断して決めているうちに、自分の人生は自分でクリエイトしていたのだという感覚が蘇ってくる。自分以外の全てを置き去りにする旅では、否が応でも、自分自身と向き合わされてしまう。だからこそ、日常に麻痺して自分を見失いそうになった時、私はひとり旅に出ずにはいられなくなるのだ。

ガイドブックを持っていくと、情報を確認する旅になってしまうような気がした。

ただの「グッド」でこんなに話ができるとは思わなかった。単純な言葉でも、仕草や感情の込め方次第で、色んなことが伝えられるんだ。もしかしたら、ヘタに流暢な英語ができるよりも、身ぶり手ぶりの方がよっぽど「気持ち」が伝わるのかもしれないな。私は心を開いてオープンになる時のコツをギュッとつかんだような気がした。
(香港の食堂でお粥を食べていたおっちゃんの話)

私は方向オンチな分、かえって現地の色んな人と話ができるのかもしれない。そんな風に考えると、自分がなんだか得しているような気さえしてくるのだった。すべてを「好意的に誤解」してしまうことが、毎日を楽しく乗り切るポイントになるような気がした。

いろいろ名所を見たけど、やっぱり人が一番面白い。旅は、どこに行くかより、どんな人に出会えるかだ。

私も将来、体が弱くなったり、すごい金持ちになったりしたら、高級ホテルに泊まるような豪華な旅行しかできなくなるのかもしれない。そうなると、旅のスタイルから出会う人のタイプまで、旅の中身は激変することだろう。今の旅は、今の私にしかできないものなのだと思うと、旅はその時々の自分を映し出す鏡になるような気がした。

総勢8人もの家族が、駅のホームにズラーッと並んでいる。誰ひとり知っている人がいなかったマレーシアで、こんな風に見送られることになるとは、夢にも思っていなかった。

いや、大丈夫だ。大丈夫に決まってる。今までだって、なんとかやってきたじゃないか。たいていのことは、なんとかなるものだ。悪いことは考えまい。考えたら、本当にそうなってしまう気がした。

いきなり私がタフな人間になったんじゃない。八方塞がりな状況に追い込まれたおかげで、タフな私が引き出されたのだ。新しいことを経験するたびに、今まで知らなかった自分を発見できる。旅では、自分を丸ごと生かせるような気がした。

欠点だと思っていた自分の特徴を、旅は長所だと感じさせてくれたのだ。何よりも私は、自分自身に対するセルフイメージが変わっていることに気がついた。

日本にいたままだったら、永遠に出会うことのなかった人たち。遠いままだった国々。とにかくもう、地球上の国、全部に行ってみたくてたまらない。この世には、まだまだ知らないことも、知りたいことも、てんこ盛りなのだ。

旅した国の名前をチラッと見かけただけで、仲良くなった人たちの顔がありありと思い浮かぶのだ。

限りある人生の中で、私はいったいどれだけの人に出会えるんだろう。旅先でも普段の生活でも、この世で出会えた人はみな、地球の人口からしてみれば、何十億分の一という凄い確率で出会えた人なのだ。

インドを旅しているうちに、私は自分がだんだんおおらかになってきたような気がする。何でもあり状態のこの国では、小さなことが気にならなくなってくるのだ。「いちいち気にしてられない」と言った方が正しいかもしれない。

ただおおらかはおおらかでも、自分の言いたいことはハッキリ言えるようになってきた。たいていのことは大目にみるけど、怒るべき時にはきちんと怒る。そうしないことには、理不尽なことを言ったり約束を守ろうとしないインド人に振り回されてしまうからだ。

インドという国は、人を否が応でも強くする。

このおっちゃんはカバン屋を営業するにあたって、ショバ代も人件費もいらず、自分自身がカバン屋なのだった。商売というと何かと大変そうだけど、こういう人を見てしまうと、既成の概念が一気にブッ飛んでしまう。

インドで出会う旅人は、日本人に限らず、人懐っこい人が多くて気が楽だ。みんな気軽に声をかけ合い、すぐにタメ口で話せる仲になる。なんというか、お互い「この人もインドを知ってしまった人なんだ」という共通点を相手に感じているとでも言おうか。人はある程度の日数をインドで過ごすと、頭のチャンネルがインドモードに切り替わって、大ざっぱでくだけた感じになってくる。インドで培ったその独特の雰囲気が、旅人同士をお互いに「同志」のような気持ちにさせるのかもしれない。

「どこにいようと、誰と話していようと、常にあなたは、あなた自身と話をしているのです」
(ガンジス川で出会ったお坊様)

旅に出てからというもの、私はずっと自分自身と向き合わされているように思う。次にどこに行くかを決め、列車やバスのチケットの手配をし、一人で全部決めて動いていると、自分がどうしたいのかを常に自分の胸に問いかけることになり、自分自身と向き合わざるを得なくなるのだ。その上怪しい人間につきまとわれたり、想像もしなかったハプニングがあったりと、次から次へと色んなことが起きるから、そのたびに自分の価値観を試されているような気がする。

私は毎日、必ず日記を書くようになっていた。その日、何があってどう思ったかをつらつらと書き綴っているうちに、自分の気持ちを整理することができたからだ。

「過去の私」が「今の私」を作ったということは、今の私の生き方が、おのずと「未来の私」を作ってしまうということではないか。そう考えると、なんだか一日たりとも手を抜くことができないような気がした。

「アイ ビリーブ、マイセルフ!!」。毎日、毎日、少しずつ自分を形づくっていってる私が、自分のことも信じてやれなくてどうする!

地球が太陽の周りを何億年もグルグルと公転しているおかげで、生き物はみな生命を育むことができている。そして、気が遠くなるくらい長い時間をかけて、生命がバトンタッチされ続けてきた結果が、今、私がここに存在しているということなのだ。

翌日も、朝5時に目が覚めた。どんなに遅く寝ても、日の出が見たいがために、気合いでガバッと起きれてしまう。

メラメラと燃えている死体を眺めながら、私はただ、自分もいつかはこんな風に死ぬんだなぁということばかりを考えていた。人間は死ぬからこそ、生きているような気がしてならなかった。人はなまけグセがあるから、締め切りがないと何もできないものだ。死は「肉体の締め切り」のようなものなのかもしれない。

私は来る日も来る日も、バラナシをうろついて過ごした。こんなに居心地の良い場所から動く気にはとてもなれなかったのだ。

帰るところがあるのは、なんて幸せなことなんだろう。1人でやってきたインドも、今ではいつの日か必ず帰って来たい場所になっている。

ボンベイには遊園地の乗り物みたいなオートリキシャも、カラフルな幌付きのサイクルリキシャも、ウシの姿さえ見当たらなかった。この街の洗練された都会的な雰囲気は、今の私にはただトゲトゲしく映った。新しい街に降り立った時の、あのワクワクする感じが全く起きないのな。

「インド人が魅力的に見えるのはさ、みんな今日を生きてるからなんだよね。日本にいると、今を生きることを忘れそうになるじゃない。でも大事なのはいつも"今"なんだってつくづく思ったよ。未来のための今を生きるんじゃなくて、今日を毎日、楽しむことなんだなぁって」

「全ては意識の問題だとワシは思っとるよ。確かに金は便利だ。でもワシは金持ちではないが、今でも十分幸せだ。世の中には、リッチでもハッピーじゃない人間が大勢いるだろう?」

「オレは足が一本ないけど、全然ノープロブレムさっ」。彼はそう言って、ニカーッと笑った。

旅から帰ってくると、ちょっと気恥ずかしいくらい、自分の日常がいとおしく感じられるようになる。

旅した国が増えれば増えるだけ、心の中の国境が取り払われていき、そのたびに自由になれる気がする。

私は、この頃では、自分がどこにいて何をしていようと、日常も「小さな旅」だと感じられるようになってきました。

人は、すべては永遠に続くものだと、心のどこかで思っています。昨日に変わらない今日があって、今日に変わらない明日があって、そうやって毎日がずっと続いていくような気がしています。でも本当は、永遠なんてこの世にありません。

毎日は当然のようにやって来るから、ほっといても朝が来てほっといても夜になるから、日常の重みを時に忘れてしまいそうになるけど、本当はいつだってかけがえのない時間が絶え間なく流れていて、そんな中で私たちは生きています。

旅に出るようになってからというもの、今、大切にしたい思いを、「その時」にきちんと相手に伝えておかないと、気が済まなくなってきたのです。

旅をするようになってから、私はこんな風に思うようになりました。それは、「きっと、『生きる』って、色んな人と、色んなところで、色んな時間を共有して、思い出を作り合うことなんだろうなぁ」ということでした。

人の誘いには乗ってみるもんだと思わずにはいられません。

まとめ

本書を読み終えると、無性にインドのことが恋しくなり、当時現地で撮った写真をしばらく眺めていた。
ようやく海外に行くハードルが下がり始めてきた昨今だ。「旅は2度目から」ともよく言うし、近々で再訪を計画してみたいと思った。
旅行記としても、笑ってしまう読み物としても、おすすめの一冊です。


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