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卒業論文(2) VUCA時代の日本の教育とは

VUCA時代に必要な学校教育とは〜日本に適した教育方法の検討〜


要約

日本語要約

本稿では、VUCA時代に必要な学校教育についての検討を行い、日本において「砂を混ぜられる政策」の提案を行なった。日本は現在、教育の面でも、人口の面でも極致を迎えている。教育の面では、VUCA時代の到来により、今までの暗記型の教育では通用しなくなり、思考型の教育が必要不可欠となってきている。また、人口の面では、現在人口減少が起きており外国人労働者が必要不可欠となっている。このような現状を見た際に、今の時期であるからこそ、大きな教育改革を行うことができるのではないかと考えた。なぜなら、外国にルーツを持つ子供に対する教育は曖昧にされ、教育の義務すら与えられておらず、不就学の子供が約2万に似るとされている。これは、今後の日本の経済成長に関しても大きな影響を与えられていると考えられえる。そこで、外国にルーツを持つ子供の支援を行いながら日本がこの時代に適応できる方法を考えることが必要であると考えた。そこで私が本稿で提案をするのが中国の毛沢東の言葉「砂を撒く」を変化させた「砂を混ぜられる政策」である。これを行うことで、日本の課題であった、多文化共生に対する問題や、外国にルーツのある子供に対する義務教育が行われていない状況を解決するだけではなく、多様性を持った柔軟な教育方針が作られるのではないかと考える。

英語要約

This paper examines the school education necessary in the VUCA world and proposes a ``policy that can mix the sands'' in Japan. Japan is currently at its peak both in terms of education and population. In terms of education, with the arrival of the VUCA world, the memorization-based education of the past is no longer applicable, and thinking-based education is becoming essential. In addition, in terms of population, the country is currently experiencing a population decline, making foreign workers indispensable. Looking at the current situation, I thought that now is the time to carry out major educational reforms. This is because education for children with foreign roots is vague, and they are not even required to provide education, and it is estimated that around 20,000 children are not attending school. This can be considered to have a major impact on Japan's economic growth in the future. Therefore, we thought it was necessary to think of a way for Japan to adapt to this era while supporting children with foreign roots. What I propose in this paper is a ``sand-mixing policy,'' which is a variation of the Chinese phrase ``scattering sand'' by Mao Zedong. By doing this, we will not only solve Japan's problems with multicultural coexistence and the lack of compulsory education for children with foreign roots, but also provide diverse and flexible education. I think a policy will be created.

はじめに

本稿では、タイトルにある「VUCA時代に必要な学校教育についての検討」とある通り、今後の日本における教育の方法について検討することを目的としている。そして最終的に私は「砂を混ぜられる政策」を提案する。そのため、なぜこのような政策を提案したのかについて以下詳しく述べていく。まず第1章では、主に教育の歴史について検討していく。そしてそこから日本の教育における軸が何であるのかについて考える。そして第2章では、日本と海外の教育に対する価値観の違いを検証する。その際にOECDが行っているPISAについても触れながら今後世界的に必要とされている力を検討し、それに対する教育方法を検討する。次に第3章では、PISAの結果をもとに、この調査において好成績を出している国の教育制度がどのようなものなのかを検討する。また、第4章では、これまで海外の教育を検討してきたのを基盤にこれまでの日本の教育についてどのような教育制度が存在し、それらが作られた経緯について検討を行っていく。そして第5章では、第4章で見た日本のこれまでの政策をもとに政府が今後どのような教育を目指しているのかについて調査を行い、今後の教育に必要な要素(教育方法)は何であるかを検討していき、必要な教育方法についての具体的な例を列挙していく。そして第6章では、VUCA時代という現在世界的に注目されている今後の時代について調査し、今後の時代に必要とされているものは何かについてグローバルな視点で検討を行う。続いて第7章では、「VUCA時代における日本の教育方法とは」というテーマで、私の提案する「砂を混ぜられる政策」について提案し、検討を行う。最後に第8章でこれまでの第1章から第7章までを踏まえ今後、日本において必要な教育の方法について述べ、課題点や実行に必要なことについて考察を行う。

第1章 教育の歴史について

 第1章では、主に教育の歴史について検討していく。この章では、初めに日本における「教育」の定義と海外における”Education”の定義の違いについて述べ、なぜこのような違いがあるのかを分析する。その後、ではなぜこれらの定義の違いが起こったのかを、日本と西洋に分け、教育の起源から歴史を文献調査していく。そして最後に、これらの調査から「教育」の軸となるものは何なのかについて検討する。

第1節 日本と世界における教育の定義の違い

 日本では、「文部科学省」と「厚生労働省」は別々の組織として構成されている。しかし、イギリスや香港などをみてみると「教育・雇用省」として、職業訓練の関係省として設置されている。これは日本人にとっては少し奇妙のことかもしれない。しかし、この奇妙の要因は日本人の”Education”に対する捉え方が海外と異なっているためであると考えられる。日本では”Education”は、「教育」が同義語として考えられている。しかし”Education”の意味を英英辞典でみると意味が異なっていることが明確である。例として、「ランダムハウス辞典」では次のように定義されている。”1. to develop the faculties and powers of (a person) by teaching, instruction, or schooling. 2. to qualify by instruction or training for a particular calling, practice, etc.; train: to educate someone for law. 3. to provide education for; send to school. 4. to develop or train (the ear, taste, etc.):to educate one's palate to appreciate fine food.” つまり、”Education”は能力を開発することであり、その能力とは職業に関して力を養うことである。一方、日本の辞典として代表的な「広辞苑」の「教育」の定義は、「教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図をもって働きかけ,望ましい姿に変化させ,価値を実現する活動」とされている。つまり、日本人は「教育」と”Education”が同じ意味だと思い込んでいるが、そうではなく両者の意味合いは全く異なったものであることがわかった。これらのことから、仮説として、日本に英語が入ってきたのは、約200年前の1808年にイギリス戦のフェートン号がオランダの旗を掲げて日本へ来航したことが始まりとされている。その時代は、日本は江戸幕府の中期であり、日本における学校教育の意味合いが武士を育てるためのものが代表的なものとされており、この頃は”Education”と教育の意味合いは近いものがあったため、この翻訳が採択され、今に至るまで使用されているのではないかと考えられる。

第2節 学校教育の歴史について

第1項 西洋における学校教育の始まり

西洋における学校の歴史に関しては、教えるものと教えられるものがいるという意味での組織的な学校の起源は、古くまで遡って探せば、古代ギリシャにおけるスパルタクスの寄宿生学校がある。そこでは、2011年の遠藤の研究によると、現在のように読み書きを教えてもらうのではなく、優秀な兵士を育てるための教育訓練が行われていたという。またアテネにも紀元前5世紀ごろから富裕層のために詩の朗読や音楽教育などを行う学校もあったという。

第2項 日本における学校教育の始まりに関して

古代日本の教育について簡潔に整理すると、古代日本にも教育機関があった。さらに、科目等も現在とそう変わりないものであった。しかし、現在のように義務教育で全員に教育の機会が与えられていた訳ではなく、一部の人、それも身分の高い人だけに教育が限定され、所謂「学校」と言える場所に行くことが出来たことが分かる。

第3項 西洋などにおける学校教育の歴史

 中世に入ると、宗教改革が起こったことによって、聖書を国語で読むための母国語学校の設立が求められ、イギリスやジュネーブ、ドイツなどで学校が設立された。また、階級身分別の教育もこの時代から始まったとされている。騎士や貴族は、城郭学校や宮廷学校で、その職分にふさわしい武芸や文筆、あるいは宮廷のしきたりなどを学び、都市の庶民は、都市学校で読み書きを教わり、また修道院や教会でも庶民の師弟に読み書きを教える学校を併設するところも出てきた。しかし、ここでの教育は暗記中心の詰め込み式教育であったとされる。ここまでは、修道院など民間で運用がなされていたが、1717年にプロシアのフリードリッヒ・ヴィルヘルム1世が民衆学校への主額義務付けた。これにより、国家による初めての学校教育が行われた。その後、市民革命ののちに、欧米各国で近代公教育制度が成立し、学校教育が民衆の間に普及されていることになった。さらに同時期に産業革命が起こり、資本主義社会を支える労働者の形成が求められる様になったことも、学校の普及を後押ししたとされる。このように中世以降ニュ省の学校教育が各国で普及する様になるとともに、教授法の改革も進められる様になった。その代表例が「新教育」思想である。進歩主義教育とも呼ばれるこの教育思想は児童中心主義が代表的で、子供の本質に注目した教授法改革を求めるものであったとされている。それが、20世紀に入ると、これらの新教育運動が活発化し、デューイに代表される児童中心主義の強雨行く思想が主流となった。これにより、それまでの暗記中心の教育から、子供の興味・関心を尊重し、「行うことによって学ぶ」教育方法が注目される様になり、現在の教育の形に変化した。

第4項 日本における学校教育の歴史

日本は、江戸時代から藩校や寺子屋、私塾などの教育機関が存在する様になった。藩校は武士の教育として8歳から15歳ごろまでを対象に、儒学、武芸を主とする治者教育を行っていた。私塾は、さらなる教育を望み、学問を志すものが通う教育機関であった。最後に寺子屋は、商業的農業の発展とともに、読み書き残が必要となってきた町や農村において普及し、町人や農民の子供が通っていた。これらのことからわかることとして、江戸時代の教育機関は地域の人々の間で行われてきたものであり、「国家」による統一的な学校制度は成立していなかった。明治時代に入りようやく、1872年の学生頒布によって「学校」が国によって統一的に制度化された。しかし、義務教育化されたものの、授業料を保護者が負担するなど現在の方法とは異なったため、就学率は30%にも満たなかった。これが改善され就学率が95%を超えたのは、1900年の小学校令改正で授業料の徴収が禁止となってからである。この様に整備されていったものの、昭和に入り、戦争が始まる様になると、1941年に「国民学校令」が交付され、学校は国民学校と称される様になった。そして、この国民学校での教育目標は「錬成」であり、「総力戦体制に順応する皇国民(天皇の臣民)に教化すること」が目標となり、天皇賛美の精神が教え込まれた。その後、第二次世界大戦が終わり、連合国総司令部 (GHQ/SCAP) 幕僚部の部局の一つで、第二次大戦終結後、日本と朝鮮半島で連合国軍が行う教育・宗教・文化財関連の施策を担当したCIE(=民間情報教育局)などにより、1947年に教育基本法とともに学校教育法が制定され、新しい学校教育が始まった。

第3節 日本と海外の学校教育に関してわかること

 ここまで日本と海外の学校教育に関してみてきたが、そこからわかることとして、根本的な学校教育とは、日本語で言うのであれば、すべて職業訓練なのではないかと考えることができる。また、古代も現代も富裕層かそうでないかで学べる学問が、異なっているのではないだろうか。古代では、日本も西洋も階級によって学べる学問が異なっており、兵士として育てられる子供は武力を身につけ、必要な言語を習得していく。一方上流階級は学者としての知見を娯楽として身につけていく。これは、現代でもあまり変化がない様に感じる。例えば、日本の義務教育は中学校までであり、そこからは自分で進路選択を行う。つまり、貧困層や土地柄によって、義務教育や高等学校まで卒業したら、ある一程度の力(教養)を身につけたとみなされ、仕事をする人もいる。一方で、中流層は、大学に進学しより知識を高め、社会に出た際に自分の強み(武器)となるものを身につけ、就職を行う。そして富裕層は、より学問(知見)や経営学などを深めるため、海外留学や大学院進学などを行い、より自分のステータスを高めていく。このように、古代も現代もその階級ごとに求められる職業に必要なスキルを身につけていくことが教育として行われているのではないかと考える。

第2章 日本と海外の教育に対する考え方の違いについて

 第2章では初めに、第1章の1節で分かった教育と”Education”の違いから教育観の違いについて検討を行った上でなぜ日本は暗記(詰め込み)型教育を推進してきたのかを分析する。その後、1節に出てくる暗記型教育と思考型教育について特徴を比較し、PISAの結果なども踏まえ今後の教育方法について検討するための分析を文献調査によって行う。

第1節 日本と欧米の教育観の違いについて

 第1章でも述べた通り、日本の「教育」と”Education”の意味には乖離がある。簡単にここでも解説すると、英語の”Education”は「外に導く」というニュアンスが含まれている。そのため、日本人の感覚でいうところの「教える」とは異なり、「個々の可能性を導き出す」に近いものであると言える。そのため、欧米の教育では、「個々の才能を伸ばす」ことを重視する傾向があり、日本のように、義務教育中は成績の良し悪しに関わらず、基本的に進級できるのではない。逆のことを言えば、成績が優秀であれば、飛び級したり、特別支援教育を受けることも可能である。さらに、早生まれの子どもは1年遅らせて入学させることも可能であり、皆一緒ではなく、その子の能力に合わせた教育をすることが重要視されている。この様に見ていくと、日本の教育が良くない様に感じるが、日本の教育にもメリットがある。それは、「生徒たちがいつも一緒にいて、連帯感が生まれること」また、職員室があることによって、先生同士が相談し合うなど、連絡漏れがなく伝わるなどのメリットもある。つまり、欧米では、第1章で述べたように、20世紀からの新教育運動が活発化したことによる、子供を尊重する教育が求められている。一方で、日本では、敗戦後のCIE(=民間情報教育局)による、戦前・戦時中の天皇賛美の思考を変化させつつ、古来の日本の教育方法を取り入れたことにより、官僚などを輩出するための教育方法と町人などに必要とされていたものが混ざり合った暗記型教育が定着したのではないかと考えられる。

第2節 暗記(詰め込み)型教育と思考(考える)型教育の特徴について

 近年、アジア型の詰め込み教育と北欧の「考える」教育が比較対象とされることがある。このきっかけとして考えられるのが、PISAとは、”Programme for International Student Assessment”の略称で国際的な学習到達度調査のことで、OECD(経済協力開発機構)加盟国を中心として実施されているものである。PISAは、日本では2000年より導入され、それ以降3年ごとに実施されている。この試験では、「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の3分野の習熟度を調査するものである。このPISAを考察することで、上記の暗記型教育と思考型教育の特徴を捉えることができる。
 なぜPISAから上記の2つの教育の特徴を捉えることができるかについて述べていく。まず、日本が初めてPISAの試験に参加したのは2000年であった。その時の順位は、読解力が8位、数学的リテラシーが1位、科学的リテラシーが2位という結果だった。しかし、2006年には、読解力が15位、数学的リテラシーが10位、科学的リテラシーが6位と落ち込んでいる。この原因として、上位にアジアか北欧のフィンランド、カナダ、ニュージーランドなどが上がってきていることが見られる。 この理由として、北欧と韓国では、2000年代からの10~15年間の間に教育制度が大きく変わったと言われている。現在世界の初等・中等教育には2大トレンドがあると言われている。まず一つが、アジア型と言われる「詰め込み主義」である。これは、日本が高度成長期に取り入れ、現在の韓国や中国で行われている「詰め込み」教育である。また、この教育方針は、シンガポールのエリート教育にも採用されている。シンガポールは資源の少ない国として挙げられることが多く、国家の最大の資源は「人材」であるとしており、二言語教育や能力主義を徹底している。そのため、小学4年生からのクラス編成は能力別であり、点数に応じて、中学校が振り分けられ、中学校卒業時の成績で進路が決まるという超エリート主義で優秀な人材を育成している。
 次に、北欧型と言われる「考える」教育について見ていく。北欧の例として印象的なのは、フィンランドなのではないだろうか。またフィンランドは、勉強のできる国というイメージがあるのではないだろうか。実際にフィンランドは、2003年度のPISA で世界第1位の学力を持つとされた。この様にフィンランドが変化したのは、1990年代の経済危機の際、人口が550万人に満たない小さな国で閉じこもった経済の運用を行なっても、将来はないのではないかと考える様になり、世界で活躍できる人材を育てようとの考えから「考える」教育に舵をきったとされている。
 では、なぜ「考える」教育が取り入れられる様になったのかについて考えていきたい。これは、科学的な根拠によって示されている。人間は学習方法によって、変化するとされている。例として、講義を受けた人の平均記憶率は5%、読んだものは10%、視聴覚教材を取り入れると20%、実験機材などを使うと30%とされています。これらは、現在日本で通常で取り入れられている教育方法です。一方で、グループ討論の平均記憶率は50%、体験を通じた学習が75%、他人に教えると、記憶は90%残るとされている。つまり科学的に、「考える」教育は記憶が残りやすいことが証明されている。この「考える」教育では、もう一つ「詰め込み型」と異なる点がある。それは、教師の役割である。北欧(特にフィンランドやデンマーク)では、「講義型ティーチング」から「対話型ファシリテーション」への転換が見られている。つまり、教員の立ち位置が「先生」から「ファシリテーター」へと変化した。
 ここまで、現在世界の初等・中等教育には2大トレンドについて見てきた。このことから、これらのトレンドの特徴として、到達目標が異なるのではないかということが仮説として考えられる。フィンランドなど「思考型教育」の国では、これらの調査結果はあくまで指標にしかすぎず、1位を取ることが到達目標ではない。一方で、アジア諸国などは、これらの調査結果こそが全てであり、国際での地位や基準になるという考えがあるのではないかと考えられる。実際に、2023年度に発表された2022年のPISAの順位について以下の通りとなった。数学的リテラシーでは、1位がシンガポール、続いてマカオ、台湾、香港、日本となり、科学的リテラシーでは、1位がシンガポール、続いて日本、マカオ、台湾、韓国、そして読解力では、1位がシンガポール、続いてアイルランド、日本、韓国、台湾となった。これらのことから、暗記型教育がPISAには強いことがわかった。理由としては、「傾向への対策」がアジア諸国の入試やテストなどと近いためではないかと考えられる。つまり、PISAが運用された当初は「考える」教育が先端を走っている様に見えたが、その後は分析を行い、傾向に対して対策を練り、教育改革をその都度行うことのできる国が上位に食い込んでくるのではないかと考えられる。

第3章 海外の教育制度について

 第2章において、アジア型の詰め込み教育と北欧の「考える」教育の比較を行った。これらを比較する中でPISAにおいて、好成績を残すためにはアジアの詰め込み型教育が有効ではないかということが仮説として上がった。そこで、第3章では、PISAの調査において2000年代から現在までにおいて、好成績を出している国における教育制度について分析を行い、どのような教育制度が今後の社会において通用する人材の創出が可能なのかを検討する。

第1節 海外の”Education”の特徴の概略

 国によって様々な教育方針がとられているが、第1章でも述べた通り、日本における「教育」と海外の”Education”は大きく異なるとされている。海外では言葉の通り、「外へ導く」という言葉の通り、「教える」ということよりも、「生徒一人一人の可能性を導き出す・個々の個性の力を伸ばす」という意味合いが強いと言えるのではないかと考えられる。また、海外では、日本のように「みんな一緒」という教育ではなく、生徒それぞれの能力に合わせた教育を行うのが特徴として挙げられる。そのため、できないことを叱ったり、注意したりするよりも、それぞれの能力や才能を伸ばすことに重点を置いていると言える。また、日本との違いとして大きいのが、学校から課される宿題自体が、暗記などのためのものではなく、自分で調べたり考えたりしなければならないものが多く、決まった解答があるものよりも、幾つもの答えがある様な問題が出題される。このことからも、暗記する力よりも、生徒自身の自主性・主体性を尊重し、学習への探究心を育むことを重要視していると言える。

第2節 ヨーロッパの教育制度について

ヨーロッパといえば、世界トップクラスの教育レベルを誇る国が多いという印象があるが、その中でも今回は、フィンランド・オランダ・スウェーデンに関して取り上げる。
 はじめに、フィンランドは、プレスクールから大学院までの学費が無料で、給食費や文具代も支給されるなど、学校・家庭・行政が連携をとりながら、一体となって子供を育てていく意識が強いことが特徴として考えられる。義務教育は9・3・3制度が導入されており、7歳から入学し、義務教育である基礎総合教育(小学校6年間と中学校3年間の一貫教育)と後期中等教育(リセ(高校)または職業教育リセ)および高等教育(大学または高等職業専門学校)を受けることができる。フィンランドでは、特に他人と比較する様な教育はせず、授業においてテストなどはほとんど行われず、「自分のために勉強している」という気持ちを持たせるための教育方針なども重なり、子供の読書量が非常に多いのが特徴として挙げられる。
 次にオランダについてである。オランダでは、義務教育は5歳から18歳までとされており、区別としては、初等教育(初等学校)・中等教育(大学準備教育コース・上級中等普通教育コース・中等職業準備教育コース)で構成されており、ほぼ無償で受けることができる。義務教育の年齢は5歳からとされているが、必ず5歳から入学しなければならないのではなく、成長に合わせて入学することも可能であり、臨機応変な対応が学校教育でとられている。また、オランダの特徴として、学校それぞれの裁量がとても大きいことが特徴である。公立であっても、独自のメソッドで教育を行っているところも多くあり、子供の能力や資質、本人の希望によって学習内容や方法を選択できる特徴がある。そのため、本人の興味や理解度に合わせて学習が進められる。また、オランダは、移民大国であるため、ネイティブではない子供に対しては、教育を受けさせることも特徴として挙げられる。そのため、オランダにおいて、国籍・宗教に関わらず、すべての子どもが義務教育の対象であり、原則として義務教育は無償であるとされている。
 最後にスウェーデンについて述べる。スウェーデンでは、フィンランドと同じく義務教育の基礎学校、上級中等学校(大学教育準備課程・職業教育課程)、大学の9・3・3制度がとられており、授業料は無償で、奨学金などの制度も充実していると言われている。また、日本のように大学卒業後に就職するのではなく、就職後に大学に入学するなどのケースが多い特徴が挙げられる。
 これらのことから、ヨーロッパの国々の特徴とし、学校体系別に分けると単線型に分類することができるのではないかと考える。近年では、中等教育学校や義務教育学校など多様な学校種が出ているものの、原則として、単線型の類型に属するとされている。単線型は、すべての子どもに共通した教育機会を与えるという点で平等性の観点から支持されやすい制度であると言える。この様になった経緯として、歴史的にヨーロッパを見ると以前は、複線型や分岐型の国が多かったとされる。しかし、時代を経るにつれて、平等性や教育の機会均等の観点から、単線型をとる国が増えていったとされている。単線型は、すべての子供たちが平等な機会を持つという利点はある一方で、画一的な教育課程となってしまうという懸念点もあるとされている。しかし、複線型や分岐型から単線型への移行は、社会階層間の分化を防ぎ、教育の文化的再生産を防ぐ狙いがあるとされている。

第3節 北米における教育制度について

 ここでは、アメリカとカナダの教育制度について検討する。はじめに、アメリカとカナダの制度について大まかに説明する。北米は、軍学校を除いて国立の学校は存在しない。公立の学校は、日本の「都道府県」にあたる「States(アメリカ)」、「Province(カナダ)」毎に存在する。例えば、カナダには10の Province(州)と3 の Territory(準州)があり、州毎に DSB(District School Board)という日本の文部省に似た機関が設置されている。DSB は州内の学校を監督していて、州ごとに教育制度が異なるという特徴がある。一方、私立校はその地区の教育ガイドラインに沿って運営することを義務づけられているが、基本的には独立した運営形態をとっている。
 続いて、アメリカについて検討する。アメリカは、前述の通り、各州の裁量によって、大きく制度が異なることが特徴として挙げられる。義務教育の年数、小学校・中学校・高等学校の就業年数の他にも、カリキュラムや教科書、休日の設定まで各学校区が定めることとなっている。そのため、学校区によって教育レベルが異なる特徴がある。さらに、義務教育終了年齢も16歳から18歳と開きがある。また、エレメンタリースクールとハイスクールの区分も、6・3・3制や6・6制、8・4制等の違いが見られる。このため、アメリカの学校系統は極めて複雑であると言える。
 続いてカナダに関しても州によって、教育制度は大きく異なる。そのため義務教育の期間がアメリカ同様さまざまである。しかし、基本的な期間としては6歳から16歳の10年間とする州が多い。しかし、州によっては5歳から始まる州や18歳で終了する州も存在する。このように、初等中等教育は,ほとんどの州で原則通算 12 年間であるが,その区切り方は州によって異なる。初等学校は6 歳入学が通常であるが、修業年限は 5 年制,6 年制,7 年制,8 年制と州によって異なる。そのため、中等学校は,初等学校に応じた修業年限(7 年制の場合,中等学校は 5 年制など)となっており,5 年制や 6 年制の初等学校に続く中等学校は,前期,後期に分かれている。ただし,6 ・3・ 3 制を基本とする州においても 5 年制の初等学校や 4 年制のハイスクール (後期中等学校),あるいは 12 年制の初等中等教育一貫校が設けられているように,州内に基本的な学校制度とは異なる区切り方の学校が見られるのもカナダの特徴である。
 これらのことから、北米は国自体が大きいことや他民族国家であることなどもあるため、国全体で統括するのではなく、その地域にあった教育方法を取るという形が取られている。この形をとることは差別を発生させてしまうものにはなるが、その地域にあった修学が可能であるため、北米においては必要な方法であると考える。

第4節 東アジアにおける教育制度について

 日本、中国、韓国、台湾、香港は、第2章でも述べた通り、経済協力開発機構(OECD)のPISAや国際教育到達度評価学会(IEA)のTIMSSなどの生徒の国際学力調査で高得点を獲得していることや、熾烈な受験競争や入試制度、試験偏重の授業が広く浸透している。その中でも今回注目するのは、中国と韓国である。
 はじめに、中国について検討する。中国は、PISA「2018年調査」で1位を獲得するほど教育の成果が高い国である。教育課程は6・3・3・4制が基本となっており、義務教育期間は、6歳から15歳の9年間である。しかし、国土が広大であることなどから、経済的な地域差が大きく、地方に裁量が委ねられている面もあるため、農村部などでは、予算不足により、5・4制をとっている地域もある。そのため、PISAの調査などでは、中国全土としてではなく、中国の中でも北京・上海・江蘇・浙江のみが対象となっている。
 続いて、韓国について検討する。韓国は学歴社会として有名な国の一つではないかと考えられる。教育課程は日本と同じく6・3・3・4制が基本となっており、義務教育期間は、6歳から15歳の9年間である。韓国は上記の通り、受験競争が激しく、国内の有名な大学に入学できたとしても、良い就職先が保証されるわけではない現状がある。この様な現状から、勉強に関して激しい競争が行われており、その証拠として、PISAの調査において、すべての分野において、前回の評価(PISA2018)より順位が上がったとされている。
 これらのことから、日本も含め東アジア(特に中国・韓国・日本)は、学校や生活の中で学んできたことを社会生活で直面するさまざまな課題に活用する力がどの程度身についているかを測ることを目的とし、「読解力」、「数学的リテラシー」、「科学的リテラシー」の3分野を中心に調査が行われる「PISA型学力」に力を入れた学習がなされているという特徴があることがわかった。

第4章 (現在までの)日本の教育について

 第4章では、ここまで検討してきた様々な教育制度と現在までの日本の教育を比較していく。具体的には、日本の教育の特徴な何であるのか、これまでどのような歴史(教育改革)が行われ、その背景には何があるのかを分析する。そして、現在行われている、特徴のある教育制度ができた原因は何であるのかについて分析する。

第1節 日本の教育の特徴の概略

 日本の教育を一言で表すと、「全員が同じレベルを目指して教育する」ということが前提であると言えるのではないだろうか。例えば、小テストなどでも、合格するまで何度でもテストを行なったり、全教科の成績を満遍なく伸ばすことを目標としている。この教育方針の裏には、この教育方法によって、諦めずに繰り返し取り組む姿勢を身につけ、努力によって能力は伸ばすことができるという考えを認識させることがある。また、日本の教育では、「できる」ということが当たり前とされ、できないことは指導の対象となるという特徴もある。さらに、生徒が所属するクラス・教室が決められていることで、常に生徒同士で行動を共にすることになり、連帯感や協調性が育まれるとされている。

第2節 日本の教育制度について

 日本の教育制度は、戦前の複線型(分岐型)から戦後アメリカの影響を受けた教育改革により、単線型に転換したと言われている。そして、現在に続くまでこの体験は一般的に「6・3制」と言われ、義務教育の年数が以前の6年から9年に延長しただけではなく、初等教育学校(小学校)と中等教育学校(中学校)が単線型として接続したことを意味している。しかし、単線型と言っても、第3章の第2節で述べているヨーロッパと考え方は類似しており、基本は単線型であるものの、高等専門学校や中等教育学校の制度化に伴って多様化が測られている。さらに、日本は9年間の義務教育終了後も引き続き学習を希望する生徒に対しては、さまざまな種類の高等教育機関が準備されており、その進学率は90%を超えるものとされている。そのため、日本の教育は、基本的に小学校・中学校・高等学校・大学の6・3・3・4制とされている。

第3節 日本の教育改革の歴史について

 第2節において、日本の教育制度が戦後に大きく変化したことは述べたが、日本はそれまでにも何度か教育改革を行なっており、現在に至るまで大まかに分けると、計4回の教育改革を行なっていると考えることができる。そこでこの節では、それぞれの教育改革の内容と背景について見ていく。はじめに、根本的な考え方として、日本においてなぜ教育改革が行われてきたかについて検討する。これまでの教育改革は、先の未来に合う人材を育てるため・社会的問題を解決するために行われてきたと考えることができる。
 第一の教育改革は、義務教育制度の導入である。これは1872年の「学制」において、8年間の教育年限が設けられた。このことにより、全国が学区に分けられ、それぞれの大学校・中学校・小学校の設置が計画され、国民が身分や性別を区別されることなく教育を受けられる様になった。しかし、それまで子供は、家業の担い手として考えられていたため、学校設立時の就学率は男子が56%,女子が22.5%(合計39.9%)と極めて低かった。さらに、学校の設立維持の経費は受益者負担だった為、就学率が低かったとされている。この様な状況の中でなぜ義務教育制度が導入されたかというと、「富国強兵」が大きく関わっているとされている。経済と軍事を発展させ国を強くすることで、当時勢力を伸ばしていた、欧米諸国に対応しようとし、国民に教育を促したのではないかと考えられる。
 第二の教育改革は、分岐型学校制度から単線型学校制度への転換である。これは、戦後1947年に「学校基本法」と「学校教育法」により、学習内容や修業年限が現在と同様のものへ変更されたものである。この転換により、小・中学校が義務教育となったことにより、施行以来義務教育年齢にある児童・生徒のほとんどが通学しているとされている。しかし、高等学校への進学率は、1950年の時点では約53%と現在に比べると低いものであった。この背景は、やはり敗戦がきっかけとなり、GHQの占領下におかれたことが大きいと言える。この時GHQ主導で行われた司令として、特徴的なものとして、「4大教育司令」がある。これは、「1:軍国主義、極端な国家主義的思想の教育並びに軍事教育の禁止。2:教育関係の軍国主義者、極端な国家主義者の追放、旧軍人の教職従事の停止、3:神道を国家から分離し、学校での神道教育を排除、4:修身・日本歴史及び地理の授業の停止と教科書の回収」これらを指示するものであった。これにより、戦前・戦時中の日本国民の考え方を変えていったと考えられる。
 第三の改革として「ゆとり教育」である。ゆとり教育とは「ゆとりある学校生活」が1976年に言及されたことにより始まったものである。この「ゆとり教育」は1980年から2008年まで行われた。この「ゆとり教育」は3つに分類することができる。まず1980年から1991年までのもので、この時は「自ら考え正しく判断できる力を持つ児童生徒の育成」が目標とされた。そのため、この時期は、道徳教育や体育を一層重視し、さらにカリキュラムの精査や授業時間の削減などが行われた。次に、1992年から2001年までの期間である。この時は「社会の変化に自ら対応できる快高菜人間の育成」を目標にした。そこで、個性を活かす教育を充実させ、幼稚園教育や中学校教育と一貫性のある教育を目指し、さらに、学ことの楽しさや成就感を体得させ、自ら学ぶ意欲を育てるための体験的な学習時間や問題解決的な学習が重視された。最後に2002年から2005年の期間である。この期間は「自ら学び考える力などの生きる力を育む」ことが目標とされ、年間授業数の縮減や完全学校週5日制などの政策が取られた。これらのゆとり教育が行われた背景には、それまで実施されていた詰め込み型教育では、学習内容についていけない生徒が多かったためとされている。当初のゆとり教育の基本的な方針としては、「個性重視の原則」、「生涯学習体系への移行」、「国際化、情報かなどの変化への対応」が挙げられていた。また、この時期になると、「不登校やいじめなどによる自殺」などが顕在化されるなど社会問題が、学校生活にゆとりを持たせることで解消されるのではないかという役割が期待されていた。しかし、この「ゆとり教育」によって2004年に発表されたPISAの調査結果では、諸外国の子供と比較して学習意識や学校外での学習時間が低水準であることなどがわかった。そのため、これは日本国内で「PISAショック」と呼ばれ、文部科学省が「脱ゆとり教育」路線を本格化させるきっかけになったといわれている。
 そして最後の改革が、2020年の教育改革である。これは、新学習指導要領により小学校では2020年度から、中学校では2021年度からそして、高校では2022年度から行われるものである。これは、今までの教育のように、知識や技術を確実に習得することを重視するものではなく、社会でどの様に役に立てるかを「自分で考え、表現し、判断する力」を育成するための改革であるとされている。
 この節では日本で行われてきた主な教育改革について見てきた。そこからわかることとして、日本は土地柄なども関係しているのか、必ず外の世界と自分の国を比較し、日本人が日本国を発展させるためにはどのような教育が必要かを検討し、教育プログラムが作られている様に感じることができる。

第4節 日本の教育制度の特徴について

 この節では、日本の教育制度の特徴について検討をする。まず、日本の教育の最大の問題点として挙げても良いと考えられるのが、根幹のシステムが約150年もの間変化していないということである。第3節で述べたように教育改革はあるものの、その根本的なシステムは変わっていない現状がある。その例として、「受け身スタイルの集団授業」が挙げられる。これは、ひとクラス30人程度の生徒が集まり、先生の話を聞き、メモを取る「講義スタイル」の授業のことであり、これが日本では主流であり日本や東アジアの国の教育の特徴と言える。これの課題は、先生から学んだことをテストで確認することはあるものの、基本的にアウトプットがなく受け身の授業になってしまうということである。また、教科書通りに進んでいくため、クラス一人一人のレベルに沿って教えることができず、結果的に個々の能力を伸ばすことなく、全員で足並みをそろえてしまうことになっている。この点は海外(特に欧米)と異なる点であると言える。また、学ぶ目的も海外とは異なると考えられる。日本では、「偏差値の高い高校や大学にはいるため」や「入試で合格するため」など、自分が学びたいからではなく、「大学の名前やブランド力を気にしてそこに合格するために勉強している」というとても、他者からの評価にとてもこだわりを持っているという特徴がある。

第5節 まとめ

 ここまで、日本の教育の特徴について述べてきた。その中で日本の教育の欠点として「詰め込み型教育」「個性を伸ばすことができない」「偏差値主義」などが挙げられる。しかし、日本の教育は裏を返せば、世界でも類を見ないほどの「平等」を保った教育を行っているのではないかと考えることができる。比較の例としてドイツを今回は挙げる。ドイツの教育制度は独特であり、日本と単純に比較することはできない。しかし、簡単に説明するのであれば、日本は「集団のレベルアップ」を目指すのに対して、ドイツは、「実力・可能性があるこどもに高等教育を受けさせる」という選別を前提とした教育を行っている。これらのことから「望めば誰もが高等教育を受けられる日本」というのは、教育が平等に行われているということができるのではないだろうか。しかし、近年親の収入による教育格差などが叫ばれている現実もあるが、これらは奨学金制度などによって解消されている部分も大きく、他国と比較するとこの学ぶということに関する平等はとても保たれている国なのではないかと考えることができる。

第5章 (これからの)日本の教育について政府の見解

 第5章では、第4章で見てきたこれまで(過去)の教育をもとに今後のどのような教育が必要であると考えられているかについて日本政府の白書などをもとに、分析を行う。そしてこれらの分析からわかったことをもとに、今後の教育に必要な要素(教育方法)は何であるかを検討していき、必要な教育方法についての具体的な例を列挙していく。

第1節 今後の日本の教育体制について

第1項 今後の日本で必要となる資質と能力について

 現在日本だけではなく、世界的に人工知能(AI)、ビックデータ、Internet of Thing(IoT)、ロボティックス等の先端技術が高度化してあらゆる産業や社会生活が取り入れられたSociety5.0時代が到来している。この時代は、社会のあり方そのものがこれまでとは「非連続」と言えるほど劇的に変わる状況が生じると言われている。その様な中で、日本の学校教育では、「一人一人の児童生徒が、自分の良さや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながらさまざまな社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の作り手となることができる」ことが求められている。
 具体的にこれらの資質と能力として挙げられるのが、文章の意味を正確に理解する「読解力」教科書等固有の見方・考え方を働かせて「自分の頭で考えて表現する力」対話や協働を通じて知識やアイディアを共有し「新しい解や納得解を生み出す力」と提示された。

第2項 日本が克服すべき教育の課題点とは

 日本は上述の通り、150年に及ぶ教科教育等に関する蓄積を支えるために、高い意欲や能力を持った教師やそれを支える職員の力により、日本型学校教育が高い成果を挙げてきた。そのため、今となっては、必要不可欠な役割を学校が担う様になっている。一方で、社会構造の変化の中で課題が生じている実情もある。そこでこれらについて以下検討する。 まず、社会構造の変化と日本型教育についてである。日本は、高度経済成長期以降、義務教育に加えて、高等学校教育を含め、高等教育の拡大、大衆化を行う中で、一定水準の学歴のみならず、「より高く、より良く、より早く」といった教育の質への私的・社会的要求が高まっていった経緯がある。この中で学校外にも広がる保護者の教育熱に応える民間サービスが拡大するとともに、経済格差や教育機関の差を背景に学力差が顕在化したという問題がある。また、経済至上主義的価値観の拡大によって学校をサービス機関と認識する傾向が強まっているという指摘がされている。さらに、日本の教師は、子どもたちの主体的な学びや、学級、グループの中での協働的な学びを展開することによって、自立した個人の育成に尽力してきたとされている。一方で、日本の経済発展を支えるために、「みんなと同じことができる」「言われたことが言われた通りできる」上質で均質な労働者の育成がこうど経済成長期までの社会では要請されたため、「正解(知識)の暗記」の比重が重くなり、「自ら課題をつけ、それを解決する力」の育成が十分になされなかったとの指摘がされている。

第3項 令和の日本型学校教育とは

 第1項で述べたとおり、日本は現在Society5.0時代の到来など「予測困難な時代」に突入したことにより、児童生徒一人一人が自分の特徴を認識し、他者の価値観を尊重し協議しながら予測困難な社会の変化に適応し、持続可能な社会の作り手となることが求められている。そこで、この項では、「令和の日本型教育」と言われる今後の教育方針について述べる。
 この「令和の日本型教育」は2020年代を通じて実現を目指すべきとして考えられた学校教育のあり方を指すものである。そして、これらを提示しているのが、日本の文部科学省に置かれている中央教育審議会(中教審)が2021年1月26日に公表した答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」である。この中では、今の学校教育が抱える課題に対応するために、「子供の側煮立ち、子供を主語にする」という学ぶ側からの視点で捉え直し、全ての子どもの可能性を引き出す「個別最適な学び」と「協働的な学び」の実現が目指されている特徴がある。さらに新たな取り組みとして今後推し進められるのが以下の4つである。「教育振興基本計画の理念の継承」「学校における働き方改革の推進」「GIGAスクール構想の実現」「新学習指導要領の着実な実施」これらの改革を進めることで、従来の日本型学校教育から令和の時代にあった形の日本型の学校教育になるとされている。
 上記では、「令和の日本型学校教育」の特徴について述べたが、以下はそれに伴う「新学習指導要領」について述べる。これは、第4章の第3節でも述べたが、令和2年から令和4年にかけて年次進行された。この目的は、社会の変化が加速を増し、複雑で予測困難となってきていると言った時代背景を踏まえたもので、「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力等」「学びに向かう力、人間性等」の3つを柱として整理している。また、学校教育をこれまでの学校内に閉じたものにせず、地域の人的・物的資源も活用し、社会との連携及び、協働による「社会に開かれた教育課程」が重視されるものへとなった。

第2節 グローバル人材の育成について

 ここまで、今後必要となってくる新たな日本の教育方法について考えてきた。しかし、それと同時に、今までも課題として挙げられていた問題も解決する必要性があると私は考える。中でも今回取り上げるのが「グローバル人材の創出」についてである。なぜ、これが必要不可欠であると考えるかについて以下詳しく述べる。   
 現在日本だけでなく、世界的にグローバル化が進行する社会において、多様な人と関わり様々な経験を積み重ねるなどの「社会を生き抜く力」を身につける過程の中で、未来への飛躍を担うための創造性やチャレンジ精神、強い意志を持って迅速に決断し組織を統率するリーダーシップ、国境を超えて人々と共同するための英語等の語学力・コミュニケーション能力、異文化多様性の理解、日本人としてのアイデンティティーを培うことが非常に重要になると政府は考えている。そのため、文部科学省では、小・中・高等学校を通じた外国教育の強化や高校生の留学・国際交流の促進など、様々な視点からグローバル化に対応しようとしている。
 しかし、そもそも何を持って、「グローバル化」と言い、何を会得して「グローバル人材」というのかについて検討したい。まず、「グローバル化」とは、(主に前世紀末以降の)情報通信・交通手段等の飛躍的な技術革新を背景として、政治・経済・社会等あらゆる分野で「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」が国境を超えて高速移動し、金融や物流の市場のみならず人口・環境・エネルギー・公共衛生等の諸課題への対応に至るまで、全地球的規模で捉えることが不可欠となった時代状況を指すものと理解されている。次に「グローバル人材」についてであるが、これは大きく3つの要素が挙げられる。「語学力・コミュニケーション能力」「主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感」「異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー」である。そのほかにも、幅広い教養と深い専門性、課題発見・解決能力、チームワーク、(多様な人々をまとめる)リーダーシップ、公共性・倫理観、メディア・リテラシーなども重要であると考えられる。つまり「総合的な人間力」が必要不可欠であり、決して「語学が堪能である人」のことではないことがわかる。
 これらのことから、日本におけるグローバル人材の育成には、現在の英語教育や人材育成だけではなく、自らの国について理解する「日本人としてのアイデンティティの形成」も必要となるのではないかと考える。

第3節 主体性を育む教育方法とは

 ここまでこの章では、今後の日本の教育を受ける児童・生徒において必要な資質について、今後課題として挙げられる教育の問題点、令和の日本型教育について、グローバル教育の必要性などについて述べてきた。この節では、これらの教育方法を実行するために必要な主体性はどのようにすれば会得することができるのかについて検討していく。

第1項 主体性について・必要性とは

 まず、近年よく「主体性が必要」という言葉や、「主体的な授業」という言葉を耳にする。では、この主体性のある授業とは何を持っていうのかについて考えていきたい。そのために、「主体性がある」状態について定義しておく、これは鈴木(2019)の定義を使用する。鈴木によると「自己表現(自分の考えを主張できる)」「積極的な行動(失敗を恐れなチャレンジ意欲がある)」「自己決定力(他人の言うことをそのまま鵜呑みにしない)」とされている。
 次に、主体性の向上はどうして重要視されているのかについて考える。教育において主体性を育む意義としては「持続可能な社会の担い手の育成」と「個々人のwell-beingの向上」のためにあるのではないかと考える。理由として、1点目に関して、行動経済成長期から現在までは産業界において上質かつ均質的な労働者の育成が求められた。そのため、これらに準じて、学校教育においても「みんなが同じことができるようになる教育」が求められた。しかし現在は、激しい予測困難なVUCA時代であるため、持続可能な社会構築のためには、答えのない問いに対して検討し主体的に課題を発見し解決していく力が求められているためであると考えられる。実際に、経団連の実施した「採用と大学改革への期待に関するアンケート」では企業が大卒者に期待する資質として最も大方のが「主体性」(84%)であり、続いて「チームワーク・リーダーシップ・協調性」(76.9%)、「実行力」(48.1%)となっている。このことからも、同じことができる量産型ではなく、個々が特徴を持ちかつ協調性を身につけるとういことが必要とされていることがわかる。2点目の「個々人のwell-beingの向上」についてであるが、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンは、well-being状態の概念として5つの要素から成るPERMAモデルを考案している。これは、P(Positive emotion/ポジティブな感情)、E(Engagement/物事への積極的な関わり)、R(Relationship/他者との良好な関係)、 M(Meaning/人生の意義の自覚)、およびA(Accomplishment/達成感)から構成されているものである。このモデルから、物事への積極的な関わりや人生の意義の自覚、並びに達成感は、主体性があるからこそ実現されるものであることがわかる。これらのことから、well-beingと主体性は非常に関連性が高いものであると考えられる。これらのことから、主体性を育てることは、世界的に必要とされている「持続可能な社会」を実現するために必要不可欠なものなのではないかと考えられる。

第2項 アクティブラーニングとは

 第1項では主体性の定義と必要性について考えた。その上で続いて考える必要性があるのが、「主体性を育ために必要な教育とは何か」についてである。現在、主体性を育む上で日本の教育において重視されているのが、アクティブラーニングである。そこでこの項では、「アクティブラーニングとは何か」また、「なぜ、アクティブラーニングが必要とされているのか」、そして「アクティブラーニングの方法」の3点について検討していく。
 まずアクティブラーニングについて簡単に説明する。文部科学省の用語集によると「アクティブラーニングとは、教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図るもの」とされている。つまり簡潔に整理すると、能動的学習のことを指し、児童・生徒が受け身ではなく、自ら能動的に学びに向かうように設計された授業や学習方法のことであると言える。
 次に、この必要性であるが、これは上記で何度も述べているが、現在文部科学省は従来の「受動的な授業・学習」から「積極的・能動的な授業・学習」への移行を推進している。その背景として、現在の社会的変化のスピードの速さに対応のできる(つまり、主体的に判断する力を身につけ、多くの情報にアクセスしながら様々な経験をし、多様な社会の課で自分を位置付ける力を養う)力が必要とされていることが大きく影響していると考えられる。これらのことから、アクティブラーニングの必要性は言うまでもないであろう。
 最後に、アクティブラーニングの方法について軽く述べる。アクティブラーニングは「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験」を養う学習方法のため、自ら主体的に行動したり考えたりすることを必要とする。これらのことから、アクティブラーニングの有効な学習方法として、「発見学習や問題解決学習」、「体験学習」、「調査学習」をベースとし、「グループディスカッション」、「ディベート」、「グループワーク」等があげられる。

第3項 日本教育におけるディスカッションの必要性について

 第2項では、アクティブラーニングについて検討を行った。この項では、アクティブラーニングの中でも「ディスカッション」に焦点を当てて検討を行う。初めに、ディスカッションの意味と目的について述べる。ディスカッションは、討論や議論という意味を持つ言葉であり、参加者は決められたテーマに対して自由に意見を交わすものである。これを教育現場で取り入れるメリットとして、「自主性や協調性など生徒の様々な能力の向上に効果的」であると考えられている。では、第2項で述べた「ディベート」や「グループワーク」とは何が違うのかについて次に述べる。まず、「ディベート」は、ディスカッションのように決められたテーマに対して、参加者が自由に意見を出し合うというものではなく、決められたテーマに対して、「賛成か反対か」に分かれて議論を行うものである。そして最終的に、ディベートを傍聴していた第三者がどちらの意見がより論理的であったかや説得力があったかを判断して勝敗を決めるものである。続いて、「グループワーク」についてであるが、これは、グループに分かれて議論を交わす意味では「ディスカッション」と同じである。しかし、ディスカッションのように与えられたテーマについて議論し結論を出すのではなく、出た結論を元に何かしらのアウトプットをするものである。ここまで第2項で出てきた3つの用語について説明したが、以下ではディスカッションが日本教育に必要な理由と課題点さらにそれらを踏まえて北米との比較を行う。
 まず、ディスカッションを行うことによって得られることとして、「リーダーシップ」「論理的思考力」などが挙げられる。具体的には、「リーダーシップ」については、ディスカションでは参加者のそれぞれの意見を引き出し、最終的にはそれを1つにまとめ発表しなければならない。そのため、グループを引っ張っていくリーダーの役割は必ず必要になっていく。そして、ディスカッションを行う際に、役割を持ち回りにすることで、多くの生徒がリーダーを経験することができれば、自分の経験値となり自信にもつながると考えられる。次に、「論理的思考力」に関しては、ディスカッションにおいて最も重要なものであると考えられる。ディスカッションは、自分の意見を正しく伝え、相手に納得してもらう必要性がある。そのため、「こう思うから」などの主観的な意見ではなく、データなどを用いた論理的な意見が必要となり、相手を納得させるためにはどうしたら良いかを、試行錯誤しながら自分の意見を伝える経験となり、物事を論理的に考えることが可能となり、社会に出た際に物事を俯瞰的に考える第一歩につながると考えられる。以上のことから、日本教育においてディスカッションは有効な教育方法であると考える。

第6章 VUCA時代とは

 第6章では、これまでの章のように日本や海外の教育についての歴史や教育方法についてみるのではなく、今の時代とこの時代に必要とされているものが何であるかについて検討を行う。つまりこの章は次世代の教育についての検討である。

第1節 VUCA時代とは

まず、VUCAとはどのような意味なのかについて述べる。VUCAとは「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」の頭文字を取ったもので、物事の不確実性が高く、将来の予測が困難な状態を指す造語である。VUCAはもともとアメリカで軍事用語として使用されており、国家間の戦略がより複雑化している状況を表す言葉であった。しかし昨今では、移り変わりが激しい時代や不確実な要素が多い状況下を示す言葉として使用されている。このVUCA一文字ずつの具体的な内容について以下述べる。まず、V(Volatility):変動性とは、テクノロジーや社会の仕組み、人々の考え方やニーズなどが大きく変化することを意味する。さらに、短期間のうちに急激に変化するのが特徴として挙げられる。変化の幅が大きくかつスピードも早いため、時代の変化の流れを機敏に察知して的確な判断を迅速に下す必要があるとされている。次に、U(Uncertainty):不確実性とは、地球規模での気候変動の発生や新型コロナウイルスの感染拡大など、将来何が起こるか予測できない状況を指す。さらに日本では、終身雇用や年功序列など従来の雇用形態が変化しつつあり、制度や方針など一昔前は「確実」と思われていたのが「不確実」になる状態のことも含まれる。続いて、C(Complexity):複雑性とは、さまざまな要素が複雑に絡み合っている状況を指す。インターネットの普及によりビジネス市場は広がった。しかし、それと同時に複雑性が増し常識や習慣、法律などの違いにより、日本国内で成功したビジネスが他国でも成功するとは限らない現状がある。このように様々な要因が重なり合うことによってビジネスは複雑化し、最適なビジネスモデルを構築することが容易ではなくなっている。最後にA(Ambiguity):曖昧性とは、物事の因果関係が曖昧になっている状況を指す。これは、先の3つの要素「変動性」「不確実性」「複雑性」が重なることで生じると言われている。例として、何か問題が起きた場合、物事の因果関係が曖昧なため、原因の特定や改善の方向性を把握するのが難しくなることなどが挙げられる。
 続いて、なぜVUCA時代と呼ばれる時代に突入したのかについての背景を考える。元々VUCAという言葉は、上記でも述べ得たとおりアメリカで使われていた軍事用語であった。これは1990年代にアメリカとロシアが対戦していた冷戦が終結し、核兵器ありきだった戦略が不透明な戦略へと変わってきたことを表す言葉であった。しかしその後、ビジネスの現場でVUCAという言葉が頻繁に登場するようになった。そのきっかけは、2010年に開催された世界経済フォーラム(ダボス会議)において、人類が直面する現状を「VUCA World」という言葉で表したことがきっかけと言われている。さらに、テクノロジーの急速な変化、世界で広がる気候変動や災害などによって引き起こされる市場変化と様々なことが重なったことによって、VUCAに注目が集まるようになったとされている。

第2節 VUCA時代に必要なスキルとは

第1節でVUCAについて述べたが、なぜVUCAが教育と関係しているかというと、現代社会が「VUCA時代」に突入したことが引き金となり、世界で探究的な学びが広がっている現状があるためである。この探究学習が広がっている現象は、VUCA時代の特徴として、「変化が激しいこと」そして「予測が困難であること」が深く関係している。このような社会には、決まった正解がないため、これまでにない視点で物事を考え、新たな価値を創造する力が求められる。そのため探究学習が重要視されている。そこでこの節では、VUCA時代に育成が必要とされる能力を3つ紹介する。

第1項 キー・コンピテンシーについて

 まず初めに、「キー・コンピテンシー」についてである。これは、OECD(経済狂録開発機構)によって2003年に提唱されたものである。まず、コンピテンシーとは能力や適正と訳されるものであり、この中でも「キー・コンピテンシー」とはこれらの多くのコンピテシーの中で、「単なる知識や技術ではなく、人が特定の状況の中で技能や態度を含む心理社会的な資質を引き出し、動員して、より複雑な需要に応じる能力」とされる概念のことである。そして、このキー・コンピテンシーは3つにカテゴライズされる。まず、「社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力」が挙げられる。これを具体的に説明すると以下のA〜Cとなる。A:言語、シンボル、テクストを相互作用的に活用する能力。 B:知識や情報を相互作用的に活用する能力 。C:テクノロジーを相互作用的に活用する能力。次に、「多様な社会グループにおける人間関係形成能力」が挙げられる。これを具体的に説明すると以下のA〜Cとなる。A:他人と円滑に人間関係を構築する能力。 B:協調する能力 。C:利害の対立を御し、解決する能力。最後に、「自律的に行動する能力」が挙げられる。これを具体的に説明すると以下のA〜Cとなる。A:大局的に行動する能力。B:人生設計や個人の計画を作り実行する能力。C:権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力。これら3つのキー・コンピテンシーの枠組みの中心には、「個人が深く考え、行動することの必要性」が隠れていると言われている。深く考えることは、目の前の状況に対して特定の定式や方法を反復継続的に当てはめることができる力だけではなく、変化に対応する力、経験から学ぶ力、批判的な立場で考え行動する力が含まれるため、これからの時代に欠かせないスキルになると考えられる。

第2項 21世紀型スキル

 この21世紀型スキルとは、創造性やコミュニケーション能力、情報リテラシーなど働くためのツール活用術のことであり、次世代を担う人材が身につけるべきスキルのことである。この21世紀型スキルは、国際団体「ATC21s」によって提唱され、日本では、2011年の文部科学省が発表した資料に初めて「21世紀スキル」という言葉は登場したとされている。具体的な内容としては大きく4つの項目に分かれており、細分化すると10個の能力が求められているとされている。具体的には、以下の通りである。まず「思考の方法」として① 創造性とイノベーション② 批判的思考、問題解決、意思決定③ 学び方の学習、メタ認知が挙げられる。次に、「働く方法」として、④コミュニケーション⑤コラボレーション(チームワーク)が挙げられる。続いて、「働くためのツール」として、⑥情報リテラシー⑦ICTリテラシーが挙げられる。そして最後に、「世界の中で活きる」として、⑧地域とグローバルのよい市民であること(シチズンシップ)⑨人生とキャリア発達⑩個人の責任と社会的責任(異文化理解と異文化適応能力を含む)が挙げられる。これらの能力はいずれも「情報の活用と問題解決」といった点で共通しており、自ら問いを立て、情報を収集し、分析し、さらに次の課題に繋げるという探究のプロセスを取り入れられており、現在の世界的な教育の潮流にも合致しているとされている。

第3項 OODAループ

 最後にあげるのが「OODA(ウーダ)ループ」である。これは、アメリカの戦闘機操縦士・航空戦術家のジョン・ボイドが提唱した意思決定方法である。この特徴としては、即応性に優れており、機器的な状況下で最良の決定を素早役行うことができ、現代の教育シーンなどで活躍が期待されている。OODAとは、Observe(観察)・Orient(状況判断)・Decide(意思決定)・Act(実行)の4つの頭文字をつづった言葉である。以下、それぞれの意味について述べる。まず、Observe(観察)についてである。これは、単に「見る」だけでなく、自分の置かれている状況や市場・競合・製品などを観察し、情報収集を行う。この作業では、憶測や予想ではなく、事実を幅広く収集することが重要だとされている。次に、Orient(状況判断)についてだ。これは、今までの個人の経験や知識に基づいて、観察によって得た情報を分析することを意味する。そして、行動の順番やどうすればよい結果になるかを考察し、成功するための手段を見極めるものである。そして、Decide(意思決定)は、状況判断のプロセスで考察した情報を整理して、どの手段を実行に移すかを決定する際に使用される。この時点で実行することに不安を感じる場合、「観察」に戻って再度ループを行うということが特徴として挙げられる。最後に、Act(実行)である。これは、決定した手段を実行に移すことである。OODAループは繰り返すことが重要であるため、実行した後は再度「観察」に戻りループを繰り返す。
 このように具体的に見るとPDCAと類似しているように思うかもしれないしかし、PDCAサイクルは、Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の4つのステップから成り立っており、「計画」から「改善」までを一方向に繰り返します特徴がある。一方で、OODAループでは、「観察」から「実行」までのプロセスを、必要に応じて前の段階に戻ってループを再開するという特徴がある。つまり、元来、PDCAは工場生産の効率性を高めるためのフレームワークであった。そのため、工程が明確になっているプロセスに対して効果を発揮する。しかし、今後求められることは、「新商品を開発することや起業する」など工程が明確になっていない場合や先行きが不透明な状況下であるため、OODAループが適しているのではないかと考えられている。

第7章 VUCA時代における日本の教育方法とは

第1章から6章にかけて教育の歴史・方法など様々な視点で日本と海外を比較し、見てきた。そこでわかったこととして、日本は暗記型に振り切るわけでもなく、思考型に振り切るわけでもない中途半端な教育が行われているということである。これは、政府が長年かけて様々な教育文化を海外から取り入れた結果であり、まだ発展過程なのかもしれない。しかし、日本の根本的な教育は約150年間にわたって変わっていないという現状がる。そこで、私はこの根本的な教育制度を大きく変える必要性があるのではないかと考える。そのためこの第7章では、日本が今後行うべき教育方法を提案する。

第1節 記憶力の形成について

これまでの章から、日本の特徴として、学歴や偏差値などの数値が全てであるという見方がある。確かに、それは数値化されとても成果として見やすい。実際、小学校から通知表がありそれは大学生になるまで続く。しかし、海外の国を見ると小学校4年生までないなど数値に表すことを優先するのではなく、まずは基盤形成として暗記の力をつけるのではなく、思考の形成に教育の中心を持っていいっている国も多い。この理由は、脳科学が関係しているのではないかと考えられる。脳科学の世界では、子どもの記憶力が高い理由は幼児期に脳が発達するためであるとされている。脳の成長は5歳までに8割程度完了すると言われている。さらに、幼児期は脳からドーパミン(脳の情報電たちにおいて重要な役割を持つ神経伝達物質のこと)が特に出やすい時期であり、思考や集中力にも関係すると言われているため、この時期に長期記憶の鍛えることで、物覚えが良い子供が育ちやすくなる。これらの方法として、「会話する機会を増やす」「記憶力を上げるゲームをする」「絵本の読み聞かせをする」が挙げられる。つまり、海外の教育では、小学生の途中までこの日本でいうところの幼児教育に近い方法で長期記憶を鍛え基盤を作った上で、記憶に入れる作業は自ら行い、思考の形成に取り掛かるようにしているのではないかと考えられる。

第2節 これからの日本における教育方法の提案

 私が提案する方法は、「砂を混ぜられる政策」である。これは、中国のように「砂をまく(=砂を混ぜる)政策」を取るのではなく、日本国内において、様々な国の「砂(人)を混ぜてもらう政策」を取るべきであると考える。この「砂を混ぜる」という言葉は、毛沢東の戦略で、中国人という「砂」をあちこちの国にばら撒くという方法のことを言う。砂を撒くかのように中国人を他国に紛れ込ませ、工作活動などを行うことで最終的に侵略し、属国化させると言うものである。これだけを聞くととても危険性の高い政策のように聞こえてしまうかもしれない。しかし、この政策を提案する理由の背景には、これまでの章で検討してきた日本の教育の課題点だけではなく、日本の人口減少や外国人労働者の必要性が大きく関係している。日本はどれだけ「思考型の教育」を取り入れても「暗記型の教育」を捨て去ることができない。そこでこの政策を取ることで、荒療治のように感じるかもしれないが、日本の根本的な教育を抜本的に変えることにつながるのではないかと考える。

第3節 この政策を考える理由

第1項 日本における日本人と外国人の人口について

現在の外国人の人口には、日本における少子高齢化が大きな原因として挙げられる。そして少子高齢化による人口減少により、外国人労働者の必要性が挙げられるようになった。現在日本人口は、2008年をピークに徐々に減少し、2100年には7496万人まで減少すると推定されている。人口減少が続くことにより、生産年齢人口や労働力減少につながり、経済規模の縮小は避けられないとされている。そこで国が目をつけたのが外国人労働者である。外国人労働者の増加は、日本のグローバル化を促進する事に繋がる。これらは国際結婚の増加や移民の増加にも繋がる。移民の増加に伴い、多文化共生は必要となってくる。現に、現在の在留外国人の人数は令和3年6月末の在留外国人数は,282万3,565人とされている。この数字は、前年末に比べて6万3,551人の減少ではあるものの、2022年10月に外国人の入国制限が緩和される等、今後は回復に向かう公算が大きいとされている。また、23年4月中旬に外国人労働力のあり方を議論する政府の有識者会議は、技能実習制度の廃止を求める提言の思案をまとめた。現在は、原則として認めていない転職を一定度認める仕組みにするそうだ。新制度では、政府は労働力確保と人材育成の両立させることを検討すると言われている。この新制度の運用は24年以降になるとされている。さらに同月下旬には、熟練した外国人材が日本で長く働く道を広げようと、長期就労は可能な業種を6月にも現在の3分野から全12分野に拡大する方向で関係省庁が調整に入ったとする。運用開始は、24年の5月ごろとされている。また6月初旬には岸田文雄首相は閣議会議で「日本の深刻な人手不足を踏まえ、魅力ある働き先として選ばれる国になるようにすることが重要だ」と述べている。政府の有識者会議では、技能実習の廃止を発展的に解消する方向で「人材確保と人材育成を目的とした新たな制度を創設する」と記載されている。これらのことからも今後外国人は増加傾向なっていくことが予想される。

第2項 外国にルーツを持つ子供の現状とこの政策を提案する具体的な理由

現在の世界は、高度外国人が国境を超えて活躍の場を得ていく中で、その子どもの教育の場となるインターナショナルスクールの市場は拡大傾向にあり、世界全体では、この10年間で学校数・職員数は約1.6倍、生徒数は約1.5倍に増加している。しかし、日本を実際に選択した外国人は治安などの住みやすさや日本文化を評価している一方で、行動外国人人材の子供のための学習環境については十分に評価を得られていない実態があるとされている。この理由として、高度外国人の受け入れ先はインターナショナルスクールのみであると言う考えが日本政府などにあるためではないかと考える。しかし、なぜ、政府などは、高度外国人の子供だからといってインターナショナルスクールのようなトップ校と言われるインターへの入学を提案するのだろうか。例えば、親がこのような学校を選ぶのであれば特に異議はない。日本人の親も同様にお金があれば私学に通わせたりと選択の自由があるからだ。しかし、高度外国人の子供であるからと言って丁重に扱う必要性があるのだろうか。私はないと考える。高度外国人の子供であっても子供であることは同じである。そのため、日本が大事としている「学業を平等に受けられる」の精神のもとに外国人に対しても義務教育期間は公立・私立関係なく入学でき、語学的に不足があるのであれば、私が現在考えている初期日本語教育の政策を運用するなどして、どの学校でも入れるようにすれば良いのではないだろうか。そのようにすることによって、日本人学生にとっては、多文化共生へ理解やコミュニケーション能力の向上など多くの場面において利得があると考えられる。そして外国にルーツのある子供にとっては、今後外国人労働者は増加の一途を辿ると考えられるなかで、子供が必ず教育を受けることができるという保証が生まれるという利得がある。

第8章 おわりに

 本稿は、「VUCA時代に必要な学校教育についての検討を行い、日本において「砂を混ぜられる政策」の提案というテーマで研究を行った。この結果、日本と海外(特に北米や北欧)を比較すると教育方法や教育(≠Education)の価値観が異なっていることがわかった。しかし、VUCA時代と呼ばれる世の中において、世界において教育の足並みを揃える必要性はないが、今後教育の方法が、経済的な競争の勝敗を分ける可能性が生まれたように考察することができた。その結果、日本は教育方法を徐々に変えていくのではなく、抜本的に変更する必要性があると考えた。そのためには、日本人が海外に行き「砂を混ぜる」のではなく、あえて、日本において「砂(外国人)を混ぜられる」政策を取ることが必要なのではないかと考えた。そして、これを行うことで、教育方法に大きな変革をもたらせるべきであると考える。しかし、現状では、外国にルーツのある子供は義務教育の対象外とされているという課題や、日本人のアイデンティティの保護など課題は多く残されている。
 これらのことから、今後の研究として日本が大きく教育方法に関して舵を切るためにも、国土面積などで考えると小国である日本だからこそ、「砂を混ぜられる政策」の必要性を検討し、実現の可能性を探る必要性があると考える。

参考文献リスト

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