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バラとケアに関する、日々のできごと。

何度かnoteでも書いているが、僕はバラを育てている。
ほっちのロッヂの庭に、30本ほど。

ほっちのロッヂで毎月出している新聞で紹介してくれたり、ロッヂを訪れる人にメンバがバラの話をしてくれたりするので、僕がバラが好きということはロッヂに関わる人は割と知っている事実になりつつある。

先日訪問診療で伺った先で「バラの様子はどうですか」と聞かれた。
どこでお知りになったんですか、と伺うと毎月来る新聞を楽しみにしていると。7月の新聞には、同僚がバラの記事を書いてくれたのだ。
「あれ、僕は書いてないんです。同僚が書いてくれてて」と話すと「素敵な方と働いてるんですね」と言われ、嬉しくなった。
特に僕が出した原稿でもないのに、僕の思いを汲んでことばを紡いでくれる仲間がいることは、とても有り難いことだろう。

バラの話をすると、二言目には「バラは大変でしょう」「すごいですね」などの言葉をかけられる。
「いやいや、あまり世話もしていないので」というけれど、「いえいえ、そんなことないですよ」などとなる。
どこかで聞いたような話と思うと、料理とかお土産とか、あるいは家族(多くは子供のこと)とかについて謙遜して話すときに似ている。
「つまらないものですが」「不出来なもので」という言葉に、「いやいや」と逆説がセットでくる、いわば日本の社交辞令のようなものだ。
バラについては「綺麗ですね」とか「私も好きです」とかではなく、ほとんどの方の二言目は「すごい」「大変」がついてくる。

本当に、大したことはしていないのだ。
バラ愛好家やブリーダーの方が見たら、きっと怒り出すかもしれない。
鉢植えに水をあげたり、ときどきしげしげと眺めたり、あまりに見窄らしくならないように草むしりしたり、蕾につく虫を見つけたらデコピンで駆除したりしているので、それを手をかけているといえばそうかもしれない。

バラ園のように完璧に咲かせようと思えば、やっぱり大変だろう。
農薬も欠かせないし、虫も始終見張っていないといけない。
だから仕事しながら、暮らしながらだと、まあこれくらいかなとも思う。

小ぶりだけどエネルギーを感じる、夏のバラ。


7月からはコロナ第7波で医者としての仕事が膨大になり、心身ともに余裕がなくなる。感情をうまくコントロールできない不甲斐なさに落ち込む日々だ。おかげで草むしりもおろそかになっている。バラをやっているなんて恥ずかしいくらい。心の様子が、庭の荒れ具合に現れている。

それでもロッヂに来ると7月下旬から、四季咲きのバラは二番花が咲いている。
春のバラと違って花は小さく楚々として、夏のバラもよい。
東京など関東南部では夏は暑いのでバラは咲かせてはいけないものと教わった。つぼみがつけば摘んでしまう。軽井沢では、気候が涼しいので、夏も花を咲かせられるのだ。

こんなに手をかけずとも季節を読んで、植物は自立して花を咲かせる。
どちらかというと仕事では完璧を求めたり管理的になりやすい自分だけど、植物については当人たちの生きる力を信じているのだ。
植物は信じているのに、他者をうまく信じられていないときがあるのは不思議なことだと思う。
ケアの場面でも、ともに働く人と関わり、時に育てるうえでも、信じることは大切かもしれない。

だからときどきは庭に出て、無心で雑草を取ったり、普段みない地面に近い高さからバラを眺めてみたりする時間が、自分には必要だと思う。

来週は、久しぶりに草むしりに没頭しよう。

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