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スクラブを着た日

「スクラブ」という服がある。
医療者でない方は、名前を聞いてもピンとこないかもしれない。
医者が手術室とか救急外来で来ている服、というとわかるかたもいるだろうか。

今主に働いているほっちのロッヂでは、白衣を着ない。
さいごに病院で働いていたのはもう5年くらい前だと思うので、それ以来日常的に白衣を着ることはなくなった。
スクラブを着ていたのもそれくらい、ずっと前のことだ。

今年は何度か、そのスクラブに袖を通した。
そういえば、医者になりたてのころは白衣よりもスクラブに憧れていた気がする。
何着か持っていたスクラブを段ボールの奥底から引っ張りだして、着てみたら、なぜだろう、ちょっと安心するような感覚と、同時にばつの悪さを感じた。
その戸惑うような肌の感触とこころの動きを、今年の最後にことばにしておきたい。

何年かぶりに引っ張り出した、スクラブ。

コロナの波とケアの現場

コロナ第7波があった今年の夏、長野県ではコロナ流行後初めてというくらいに感染者が増えた。
いままで首都圏で何度も起きていた波を、長野ではあまり感じることはなかったが、いよいよ身近にクラスターがいくつも発生して、在宅の患者さんが次々感染し、入院ができない、医療が麻痺する、といった現状を実際に経験した。そして今、第8波が、年末年始の医療の現場を襲っている。

普段「ほっちのロッヂってどんな場所ですか?」といわれると「診療所もやっています」と答えることがある。
24時間365日の在宅診療と、日々の外来診療を営む診療所としての空間があり、その同じ場所で、看護や子どもの活動、文化の活動、台所など、医療や医療じゃないもの、日常や非日常が織り混ざっている。

コロナの大流行で医療のニーズが大きくなると、医療に関わる人たちには、医療や医療じゃないものが折り混ざる隙間がなくなってくる。
お茶を飲みながら出会った人や日々の出来事について語っていたその時間は、発熱の診療だったり、入院先を探す時間だったり、鳴り止まない電話の対応に置き換わる。
そんな中で普段通りポロシャツに袖を通し、医療と医療でないものの境を感じないほっちのロッヂでの振る舞いをしていると、とても苦しくなった。自分が医者であり、この場所が医療を提供する場所であるからこそ、一番優先されるべきはコロナだったり医療への対応だと感じてしまうからだ。

医者は何をするために存在するのか

昔ある研修の発表で、医者が地域に出ていく活動について発表した先輩がいた。その場で出た質問で、「救急の人員が足りなかったり、地域で医療の供給が足りていない現状を知っていながら、医者が診療をするのではなく地域に出ていくことに疑問がある」といったようなものがあった。(正確なことばは覚えていないけど、主旨はこんな感じ)
そのときの医者としては理解するような、でも拭えないもやもや感を、今はっきりと思い出す。

医師免許を持っている人全てが必ず臨床としての医療を提供しなければいけないわけではないだろうし、それぞれの人生のなかで、その人がやりたいことをやったらいい。
そのときはシンプルにそう思っていたけど、医者としての社会での役割を考えたとき、それだけでは乗り越えられない瞬間を今も感じている。

私が「医者」として最適に機能しようと思ったら、そして一人でも多くの患者さんを診ようと思ったら、そのために最適化された白い病院に行った方がはるかに効率的だ。そもそもポロシャツで個人防護具を着ると、襟周りがはみ出てしまう。個人防護具は、病院着ではない服の人が着ることは想定されていないことに気づく。
そんな医療としては「効率的ではない」かもしれない場所で、たくさんの人に医療を提供しなければいけない波が、この年末にもまた押し寄せている。

スクラブを着るのは、発熱の患者さんをたくさん診療する日だ。
コロナが日常になった社会のなか、医療者としての自分の殻を脱ぎたくてやってきたこのほっちのロッヂで、もう一度医療者になるために着たスクラブ。

スクラブを通して感じた医者としての自分

もし私が医療だけの場所にいたら、今の社会の動きには疑問を感じることもあるだろう。
当たり前に人々が飲み会や旅行や会食をして、マスクを外し、コロナと共に生きることをこの社会が選んだのであれば、社会が受け入れなければいけない医療の現実も存在するように思う。医療は機械やAIが提供するのではなく、社会で暮らす人が提供するものだからだ。
それでも医療だけではない、日々を暮らしている人たちの営みが見える場所だからこそ、歯を食いしばって医療が踏ん張るだけでいいのか、自分たちの振る舞いにも疑問を感じてしまう。そして、それが「医者だから」だけでは簡単に解決しないように思えてしまう。

スクラブに袖を通すことで、医療者としての役割を求められることに自分を納得させることができた。その奇妙な安心感が、地域で過ごす医者として目指したい姿とはどうしてもギャップがあり、葛藤を感じながら、それでも地域で必要とされる診療に出ていく。

今日は仕事納めの日。
張り切ってスクラブに袖を通したけど、穏やかな1日でした。
来年は何度袖を通すことを選ぶだろうか、そんなことを考えながら、帰路に着く。
自分のこころの動きを整えながら、年末年始を過ごしたいと思います。

帰路にて。浅間山がくっきり、澄んで見えました。


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