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当事者性とアクセシビリティー映画「エゴイスト」

*一部映画の本編内容を含みます。ご了承のうえお読みください

LGBTQがテーマになっている映画を見るのは、なんともはがゆい気持ちになる。
少なくとも日本の作品は描き方に無意識な差別があることも多くて、日常に暮らすLGBTQではなく、アイコンとしてのLGBTQというステレオタイプを再認識させられる。
がっかりしたり、怒りを感じたり、感情がネガティブに振れることが多いから、見るのが怖い。
自分にとってのLGBTQ作品とは、そういったものだ。

公開前から話題になっていた「エゴイスト」を観に行った。
1回は公開すぐに都内で、2回目は2週間くらいしてから、地方の映画館で。
1回目は満席、若い人もいれば年配の方も、女性も多い。(俳優さんのファンかもしれない)、2回目は地方だったけど、7-8人の客入りで、僕以外はおそらく全員女性だった。周りのお客さんのリアクションもつぶさに感じながらの鑑賞だった。

というのも、公開前に監督がツイートしている文章をみて、いろいろと考えさせられたからだ。

ゲイが描かれた映画を男性同士で観に行ったらカップルと思われるのではないか、とアウティングを恐れて映画に行けない。
そんなことが多分、日本のどこかで今も起こっている。

映画館というのは基本的に客のインタラクションを持つ場所ではないし、なにぶん暗いので他の客のことは気にならないし、もしかしたら取り越し苦労なのかもしれない。それでも、作り手が真摯に当事者に観てほしいと思うからこそ、このようなことばが出てくるのだろう。

表現とアクセシビリティ

以前から表現とアクセシビリティには興味があった。
以前同性愛への差別丸出しのような某映画が公開されて炎上した時に、監督が「この映画テーマは愛です。LGBTを差別する意図はありません」なんて詭弁を弄していたのをみて、うまく反論できるか自信がなかったからだ。(今思えば差別はする側の意図は問題ではなく受け手が差別と思うかどうかであるからして、人権問題を被害者の問題にすり替えているからこの対応はそもそも議論の土台にも立っていないのだろう)
ただ、表現の自由と人権や差別を考えたりするとき、それらは両立できるのか? メッセージを伝えたい人にどう伝えるか? 伝えたい人だけに伝わればいいのか? そんなことをぐるぐると考えている。
(最近そんなテーマでヒアリングを受けました。ご関心あればどうぞお読みください)


そんな中で見た「エゴイスト」だったが、とにかくLGBTQカルチャーへのリスペクトと、綿密な取材や準備が伝わる自然な、そこにいる人として描かれたゲイの主人公がとても印象的だった。
何より男性同士の性的な描写を”朝チュン”に逃げずに、誠実に描いてくれたことに、制作に関わったみなさんに感謝したい。ここを逃げなかったことで、この作品はBLにはなり得ず、人間同士のコミュニケーションや葛藤、愛を描く作品になっていると思った。

いくつか気になったのは、この映画の理解のためには主人公が田舎で受けてきたゲイ差別と、死別した母への愛情が背景にあるのだけど、あまりにあっさりと描かれていて、気づきにくい。

たとえば学生時代のシーンで、自分をいじめていた同級生が「オカマのババア」と罵るセリフがある。ほんとうに一瞬のセリフだけど、これは当事者性が高い人なら、その音の記憶が過去の痛みとともに蘇るだろう。
ただこのシーンは映像としても音声としても全然強調されていないので、きっと、「オカマのババア」と言っていた加害者側の人は、あまりに一瞬すぎて気づかない。

原作の本を読むとこのあたりにかなりのページ数が割かれていて、なるほど主人公が葛藤していた様と母への愛情がよくわかる。だからこそ「エゴイスト」の主観となる様々な行動の理由もわかるのだけど、どうも映画だけでは、僕には理解が難しかった。

描写の曖昧さは行間を読ませるためだとしたら、この作品が届けたい人は誰なんだろう? そんなことを思った。

クィア映画とリアリズム

クィア映画と呼ばれるこの作品に、自分は何を期待してたんだろう。
1回目の鑑賞後、漠然と思っていた。
この違和感の正体はなんだろうと、2回目をみたらわかるのかなと思って考えてみた。すると気づいたことはいくつかあった。

・月たった10万円で売り専やめるのか?(お金のためにやっていたならばちょっと安いのでは。愛で片付けられるのか?)
・突然の病気(あの若さだと原因は不整脈くらいだけど、かなりまれ)
・がん末期と診断されたあと、病室で酸素マスクとシリンジポンプが2台映されるシーンがあって(おそらく麻薬のPCA)、月単位の時間が経過していると思われる病気の経過と物語から感じる時間経過が合わない感じ。
・病室にお見舞いにいったときにナースステーションで「ご家族ですか?」と聞かれて「身の回りのお世話しているものです」と答えたらすっと病室に入れてもらえたけど、実際は一悶着あるのでは。
(医療のシーンに違和感を感じやすいのは職業病だろう)

あり得ないわけではないけどレアな出来事や自然ではないように感じる表現が積み重なって、フィクション感が増していく。それと長い長い積み重ねで作り上げられた同性愛の描写のリアルさ、繊細な演技から感情の揺れの緻密な表現との間にどうしてもギャップを感じた。(これらは原作だとあまり感じない。気になったのは原作になく、映画で追加されている描写のところ)

クィア映画にはノンフィクションを求めたいーそんな自分の勝手なイメージやバイアスを、皮肉にも自覚することになった。


いずれにしても日本の映画にはきっとなかなかなかった作品なんだろうと思う。
こんなに色々考えさせてくれるほどに、たくさんのテーマが詰まっていること、きっと観る人で感じ方も違うだろう。
当事者性とアクセシビリティについてはまだ答えはないけど、考え続けていきたい。


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