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写真家・木村和平さんとの出会い/アランニット制作日記 3月前編 その1


 昨年7月から始まった「アランニット制作日記」は、今月で最終回を迎える。その締めくくりに、「記憶の中のセーター」を実際に着てきた人に話を聞かせてもらうことにする。ひとりめは、写真家の木村和平さん。春の日、吉祥寺で待ち合わせて、話を伺った。

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 2019-2020の「記憶の中のセーター」のビジュアル撮影をしてくれた木村和平さんは、ゆきさんと古い付き合いだ。ゆきさんは和平さんのことを「かずへりん」と呼ぶ。和平さんが最初にゆきさんの作品に触れたのは、2012年にデザインフェスタギャラリー原宿で開催された『白昼夢』というグループ展だった。

木村 今日はその『白昼夢』でオーダーしたストールを持ってきたんです。

藤澤 すごい、まだ持ってくれてるの? 手染めのストール。

木村 初めて『白昼夢』でゆきさんに会ったとき、このストールをオーダーしました。

藤澤 懐かしい。これはもう今はやってない染め方で、グラデーション染みたいに白から1色に染めるんじゃなくて、いろんなとこにちょっとずつ色があって。

木村 改めて見ると、今と全然違うなと思った。このムラがすごく良い。これが最初にゲットしたゆきさんの作品でした。その頃はオーロラのスカートとかシュシュとかを作ってましたよね?

藤澤 そう。その頃はまだ古着じゃなくて、真っ白な生地を買ってきて、それを染めてました。

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 『白昼夢』というグループ展が開催された頃、ゆきさんはまだ「YUKI FUJISWAWA」を立ち上げる前で、「ハートの、」という名前で活動していた。一方の木村和平さんも、当時はまだ10代だった。お互いの存在は、当時どんなふうに映っていたのだろう――?

木村 その頃はとにかく服にすべてを捧げていた時期で、服を買うためにバイトしてたんです(笑)。最初は古着から服を好きになったんだけど、だんだんブランドも知るようになっていくなかで、自分がいいなと思うのは手作りの要素があるブランドで。手作業が入っていることにすごく執着してた時期もあるんだけど、ゆきさんの作品はそこにぴたっとくる感じだった。

藤澤 男性が買ってくれたのは、かずへりんが初めてだったかも。今はTシャツやニットを作っていて、ユニセックスで提案をしてるけど、前は女の子が直感で「好き!」って思ってくれるような色調が多かったんです。だから、男の人の琴線に触れたことが嬉しかったので、かずへりんのことは印象に残っていました。あの頃は格好がもっと派手だったよね?

木村 その頃って、レディースのでかい服をずっと買ってたんです。小さい頃から、男の子っぽいものより、女の子っぽいと言われるものが好きだったんですけど、ファッションの入りもそういう感じで、いわゆるバキバキなメンズ服より、しなやかで可愛らしいものが好きだったっていう。僕の中では「これは女の子っぽいからやめとこう」って感覚がなかったから、ゆきさんの作ったものを見てシンプルに「これはすごい!」と思ったんですよね。

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 「手作業が入っていることにすごく執着していた」と和平さんは言う。工場で大量生産されたものより、ひとつひとつ手作りされたものの方を好ましく感じる――それは多くの人が感じていることだろう。ただ、そこに「執着していた」とまで語る背景には、どんな感覚があるのだろう?

木村 僕は手作りのものだけをまとっているわけじゃないし、ユニクロのTシャツや下着も着るけど、手作りのものにはあきらかに念が入ってるんですよ。それはその人が描いた絵を買うのと同じことで、その服を見たらゆきさんの顔が浮かぶような、そういう精神レベルの良さ。情と念と手汗が入り込んでいるものをすごく信用していたから、「生産者の顔が見える野菜しか食べたくない」みたいなことと同じように、どこの誰が作っているかわからないものは嫌だっていうモードが、10代の頃は特に強かったんです。

藤澤 話を聞いていて、「私もおなじ感覚だった」って思い出しました。だから手作業にこだわっていたし、自分がその場にいなくても、念みたいなものは物を通じて伝わると思っていて。今は「こうすると着やすくなる」とか「こうすれば耐久性が増す」とか、購入してくれた人に渡ったあとのことも考えられるようになったけど、そのときはもっと作品に近くて、作業に祈りを込めるみたいな感覚でした。それを誰かが身にまとったとき、勇気が出るとか力が湧くとか、そういうことが起こるといいなって信じてやってました。

木村 それを、そう、信じ切っていたんです。今もそういう気持ちはあるけど、当時のほうが「作り手の気持ちを着る」みたいな感覚が強かったですね。

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 ゆきさんは2014年に「YUKI FUJISAWA」としてブランド名を改め、“記憶の中のセーター”を制作し始める。最初のうちはお店に卸して販売していたが、初めて展示会を開催したのは2015年のことだった。

木村 最初にストールを買ってから、インターネットでゆきさんの活動はなんとなく見てたんです。ニットを作るようになったと知ってから、ずっと欲しいと思ってたんだけど、ほんとにぐさっとくるまでは買わないでおこうみたいな気持ちがあったんです。

藤澤 2015年に最初の展示会をやったときに、かずへりんが来てくれて。2015年のニットは、2014年にアラン諸島に行ったあとだったから、海の色とかひかりっていうものを意識して、オパール色のニットを作ったんですよね。それがたぶんかずへりんに刺さったんじゃないかな。

木村 うんうん。あの展示、めっちゃ憶えてる。

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2015年の展示会の様子 / photo by Hyota Nakamura

藤澤 初めての展示会だから、まずは自分の思うように場を作ってみようと、中村俵太さんという空間デザイナーさんに依頼して空間を作ってもらって。展示台としてセメントで塗り固めた石を作ってもらって、それをアラン諸島の石に見立てたんです。

木村 超かっこよかったですよ。さっき「ほんとにぐさっとくるまで買わないでおこう」とか偉そうに言っちゃったけど、ゆきさんと知り合った頃までは服をがむしゃらに買ってたんですよ。バイト代を全部注ぎ込んで、着なくなったら友達に譲ったりしてたんです。でも、写真を始めたこともあって、服を買う量が一気に減って。その中でもお金を出して買うものは、これは一生持ってられるなってものに絞るモードに切り替わってた時期で、だから「本当に気に入ったものしか買わないぞ」って気持ちになったんです。僕はもともと深い緑が好きだったし、そのときの自分にぴたっとくるのが2015年の展示でした。

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2015年の展示会の様子 / photo by Hyota Nakamura

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【アランニット制作日記 3月前編 その2】 へ続く

words by 橋本倫史

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