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『Twitter』の「フォロー」とは何だったのか、という疑問

おはようございます。当です。
なに?
「もう名前は『X』に変わったぞ」だって? うるせえ! 失せろ!(110 db)
あんなゴミカスのレイシストが、インフラに近いプラットフォームを玩具にして思いつきでつけた名前なんか認めてたまるかよ。さっさと手放せクズ。元値よりも下の値段でな。

違う、そんな話じゃなかった。
個人的にはまともに運用しないまま終わったけど、おそらくソーシャルメディアに共通する問題だと思うんで疑問をメモしておこう。

「フォロー」ってあるじゃない。他にどう呼ぶ場合があるのかわからないけど、だいたいは「対象を監視下に置く」ような感じのあの機能。あれって、なんとも機能的に矛盾を抱えているよな。
よくいわれるのは、自分と似た趣味のアカウントが機械的に推薦された結果、似たような(時として少数の)思考ばかりが目に入って意見が先鋭化するようになる「エコーチェインバー (echo chamber)」だ。このような状況下では視野狭窄的になる可能性が高く、自分と同じ思考の集団に包まれるという安寧とひきかえに、集団の内外で不利益が生じる。
当然、これを避けるためには自分と違う立場の相手を「フォロー」する必要がある。しかもかなり優先的に「フォロー」しなければならない。人間、どうしたって自分と近いほうの意見を聞き入れがちだからだ。

しかしそうなると、タイムライン(他でどう呼ばれているのか知らないが、他者の投稿が並ぶセクションのこと)は自分と趣味の合わない投稿で埋まらざるをえない。アプリを開くと、顔も見たくないような連中のうんざりさせられる話がズラッと並んだ様子が真っ先に目に入る。
あれれ、おかしいな……われわれはこんなことがしたかったのか?

楽しくふれあい体験したかったんだけどなぁ

ここに至って人はまたひとつ新たな、理屈の上では正しい行いが感情的には受忍しかねる例と衝突する。
いやそも、それ以前の問題がある。「自分の好きな投稿だけが見たい」という(おそらく少なからぬ)ユーザの要求に応えるかのような顔をしながら、プラットフォームは「ユーザが気に食わない投稿者を避けて安穏としたタイムラインを形づくるための機能」を豊富に用意しているのだ。

これの何が問題かというと、「フォロー」された側からそれを遮断する機能があるのだ。これも良くできた仕組みで(褒めてない)、もしも締め出された側がどうしても見たい!となったら、べつのアカウントを新たに作る必要がある。
この動きが起きると単純に見た目のユーザの数が増えるし、元のアカウントもそのまま残してくれたらより長く使ってくれるわけで、プラットフォーム側もにっこりだ。だから、繋がりをまるっと拒絶するという、しょっちゅう顔を合わせる相手にはなかなか適用しにくい機能が簡単に使える。おすすめされている。「気に食わない投稿者であっても排除せずに意見を聞いてみよう」とする健全な姿勢は、最初から保証の対象外だ
もちろん、それ以前におよそ適切からかけ離れた、論ずるに値しない接触が多すぎる側面もある。ソーシャルメディア上での繋がりを求めるコストはきわめて低いので、それを拒絶する動作はより低いコストになっているべきだ。仮にそれがなかったとしたら、おそらく誰も使わないだろう。

かくして、小さいコミュニティに閉じこもろうがそうでなかろうが、ユーザは多くの時間を捧げて多くの広告を見る。そうなるように仕向けられている。なぜって、より多くカネを得ようとすればより多くユーザを集めてより多く時間を吸い取る必要があるからだ。どうしたってそうならざるをえない。この点は構造的に自明だ。
そこでもし管理者がより強欲になればこの方針はさらに強化されるはずで、なればこそ最初にふれたように、暴行を受けた拍子に倫理観を一滴残さずアフリカの大地に落としてきたような中年の男に渡すべきではなかった。もっとも、この点はおそらくどこでも同じ爆弾を抱えているだろう。今回はそれがたまたま、あわれな 15 ドルの鳥の頭上で炸裂しただけだ。

多くの人にとって最初の「フォロー」は好意から始まっているはずだ。単純に「ああ、これはいいな」と感じたところから。きっと楽しくて面白い興味深い体験があるに違いない、そんな期待にもとづいた誤解――ときどき正解――から。
しかし、どう考えてもこんにちのプラットフォーム上では楽しく有意義に使う道のりは困難をきわめる。そして、そうなることももともと運命づけられている。つまり「フォロー」はいまのところ、その地獄の一丁目でしかないというわけだ。

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