10代が思い描く贅沢と20代が思い描く贅沢。
高校生の頃、塾の課題をやっつけるために入ったドトールで、隣のおばちゃんたちの会話が何年も心に引っ掛かっていた。
「無駄が贅沢?どういうこと??」
高校生の私が思い描いていた贅沢は、高級車や広い家、ハイブランドの服などであった。
いわゆる、物質的な豊かさである。
あれから年齢を重ねて25歳の今は、「余白」が一番の贅沢だと感じる。
学生の頃と比べて社会人は、圧倒的に自由な時間が少ない。自分が稼いだお金で好きなものを変えるようにはなったけど、代わりに自由に使える時間と心の余裕を失ってしまった。
そのため、ゆっくり読書している時間や休日にランニングをしている時間、アニメを見ている時間など、心と時間に余白を持って行動できている時が一番の贅沢だと最近は想う。
そして、大人になった今なら、おばちゃんたちの会話の意味もしっかり理解できる。
生産性を求められ続けるのが社会人だが、何の生産性も生まない無駄な時間こそが大人にとっては一番の贅沢なのだ。
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