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【エッセイ】常夜灯の下で、私たちが見つめる世界

こんにちは、ゆきふるです。
PEOPLE 1の『常夜灯』の歌詞の考察をしてみたら、なかなか感慨深いなぁと。
そこで、『常夜灯』の世界に浸りながら、少し現代に生きる私たち、という視点でさらに考えてみました。

『常夜灯』の歌詞考察記事はこちら↓

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常夜灯の下で、私たちが見つめる世界とは。

私たちが生きる21世紀の現代は、情報があふれ、選択の日々連続である。
飛び交う情報に、息が詰まりそうになる時もある。

毎日、成功者のSNSやニュースから流れる情報は、時に私たちに、キラキラとした未来を約束するかのように映る。

しかし、その中で「天国に学校はあるかしら」という疑問を投げかける『常夜灯』は、私たちの心の奥底にある疑問や葛藤、そして希望を浮き彫りにする。

常夜灯は、夜道を照らしてくれる。
その下で、心の中の常夜灯に目を向けてみたい。

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この日常は、かつての希望とは、違う。

あくまで私の解釈にはなるが、この楽曲の歌詞は、日常の中の繰り返しや、一定のリズムを持った生活を「ブランコを漕ぐみたいな日々」と表現している。

私は20代の会社員であるが、そんな現代を生きる私たちも、社会に出て働き始めると、日々のルーチンワークに追われ、自分が本当に求めているものは何なのか、時に見失ってしまうことがある。

大学を卒業し、新しい環境での生活を始めると、かつての自分とは違う自分を発見することが本当に多いように思う。
その中で、自分の価値観や考えを見つめ直すことは、成長の一環とも言えるだろう。

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生きていくって、大変だ。

「皆は君の君は神様のせいにする」というフレーズは、他者や環境のせいにしてしまうことへの共感と、それ無くして生きることの難しさを示している。

しかし、その後に続く「今じゃよくあるコンビニの放送」という言葉は、神聖とされるものも、現代では日常の一部として捉えられていることを示唆している。

私たちが日常の中で感じる違和感や疑問は、実は多くの人が共通して抱いているものなのかもしれない。
だからこそ、このような共感を得ることで、私たちは孤独感を乗り越え、新しい自分を発見しようともするのではないか。

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期待はずれな世界、それでも向き合う。

「期待はずれの夜を抜けて」という言葉は、失望や挫折を経験しても、それでもそれらを乗り越えて前に進んでいく姿を表している。

例えば私のような20代は、やはり夢を追い求める時期であり、同時に、多くの挫折や試練に直面する時期でもある。

その中で「この世界には未来がキラキラと」みえる人もいる、と言うのだ。
なるほど希望というものを持ち続けることが、私たちを前に進める原動力となる。
ありきたりな、わかりきったことだけど、一度大きな挫折などを経験するとさらにこの部分が沁みたりする。

即ち、この歌詞が意味するのは、単なる「希望を持とう、前に進もう」という啓発ではない。
底抜けのポジティブではなく、「期待はずれ」な世界を認めた上で、自分にやれることをする。そういう現実的なポジティブさへの示唆を感じる。

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振り返ったり、思い出したり。それも良い。

「いつか大人になるのならば、欲しいものなど君にあげるよ」というフレーズは、大人になることへの期待と不安、そして愛や友情の大切さ、というものを感じさせる。

私たちが大人になる過程で忘れてしまいがちな、純粋な気持ちや感情を思い出させてくれる。

『常夜灯』は、現代を生きる私たちに、日常の中の小さな疑問や葛藤、愛や希望、失望や成長など、さまざまなテーマを投げかけてくれる。

この歌を聴くたびに、私たちは自分自身を見つめ直し、真の自分を求めて前に進む力をもらえるのではないだろうかと思うのである。

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2つの、常夜灯。

またこの曲の歌詞の最大の妙は、まさに曲名にもなっている『常夜灯』の持つ意味にあると思う。

1番の歌詞における常夜灯は、私たちの心の中にある不安やネガティブな部分を表す比喩表現として使われている。

一方2番ではと言うと、反対に同じく私たちの心の中にある希望や夢といったポジティブな部分のメタファーとして、それぞれ全く同じ常夜灯という単語で表現しているのである。

粋なことをしてくれますよね。

この曲、そしてその歌詞を通じて、私たちは自分の心の中にある『常夜灯』を見つけ、その光をもとに、自分らしい人生を歩んでいくことができることを信じている。
私たちは、この歌を胸に、未来への一歩を踏み出す勇気を持ち続けることを願っている。

読んでいただきありがとうございます。
いろんな思いも巡らせながら『常夜灯』を聞いてみてください。

では、また。

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