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東京の夜、私が二人

土曜日の夜。
私の身体は今、恵比寿のBarに在る。

社会人になってから丸三年が経とうとしているが、こうして、たまーにBarで時間を過ごすということもできるようになった。

こうしてBarにいる時はいつも、高校生の頃の自分が隣に座っている。

無論、本当に座っているわけはないのだが。

要するに、お金も無く、社会を知らず、お酒を飲んだこともなく、東京を知らず、夜の過ごし方などラジオを聴くか友達と電話をするかくらいしかなかった頃の自分が、大人になった今の自分を監視してくるのだ。

何かを言いたげに。

◇◇◇

一年ほど前だっただろうか。
初めて一人でBarに行った日のことは今でも鮮明に覚えている。

なんとなく、大人というものはみなBarで贅沢な時間を過ごすものだという認識があって、そろそろ自分もその世界に足を踏み入れてみようじゃないか、と思ったのだ。

金曜日の夜だった。夜と言っても限りなく深夜に近い夜。仕事に追われ疲れ切っていた私は、家を飛び出し、近所のBarへ向かった。

だが、いざお店の扉の前に立つと、その扉に手をかける勇気が出ないのだ。

やっぱり今日はやめにしようか。
またいつだって来れるじゃないか。
もっとネットとかでBarでの作法などをインプットしてからのほうが失礼がないのではないか。

などとくだらない言い訳を思い浮かべては、その度に情けない気持ちになりながら、扉の前で30分ほど立ち尽くしていた。

まだ一滴もお酒を飲んでいないというのに、ぐるぐる廻る思考に自分で勝手に酔ってきたころ、扉は向こう側から開かれた。

「また来るね〜」
「〇〇さん、お待ちしてますよ」

おそらく常連さんと思しきお客さんがお店から出て来たのだ。

私は、さもたった今ここに到着しました、というような足取りを装いながら、すれ違うようにお店にINした。

常連 OUT
素人 IN

お店に入ると、いかにも気の良さそうなマスターがすぐに話しかけてくれた。
おすすめのお酒があるらしく、私は無思考で勧められるままに注文した。
銘柄を覚えていないのだが、美味しかった。ほんのり甘みがあって、美味しかったのだ。

数分後、私はBarという空間に一人佇む自分を俯瞰しながら、色んな意味で酔っ払っていた。

仕事で相当疲れているのだな、などと無駄な言い訳をこしらえていたが、ただただ久しぶりのお酒と、初めての大人気取りの自分自身に酔っていた。

ふと、グラスを持つ右手に焦点が定まる。

あれ、リングがない。

どうやら、オフの時はいつでも身につけているお気に入りのリングを、この日は家に忘れて来てしまったようだった。

ひどくがっかりした。
せっかくの初めての一人Barだというのに、自分の手は不完全だと、そう思った。

隣に座る高校生の頃の私は、不敵に笑っていた。

後編に続く。



▼後編

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