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日記 1月21日 うつと精神世界、自己探究

今月に入ってnoteをたくさん書くようになった。
うつ病になり1年が経ち、自分自身を見つめ直す機会を作ろうと思って色々と書き出した。
過去の日記を見て、当時の辛さを、感情を、希望を、当時の記憶を掘り起こし、日々感じたことを手帳にメモしてそれをまとめてnoteに書いて。

うつ病の症状を振り返り、自分の心の動きが見えるようになってきた。
ここ最近は自分の心に深く向き合い色々と疲れ果ててしまった。

日記を見返して、当時の記憶を思い出し、この症状が出て精神が壊れ始めたというものを整理してみた。

始まりは蕁麻疹だった。
腕に蕁麻疹が出てとにかく痒かった。
皮膚科に行っても原因はわからず、ステロイド系の塗り薬を処方された。
この時は仕事が忙しく、とにかく仕事と考えてその他のことを考える余裕はなかった。

いきなり違和感を覚えた

今日は何かおかしい。
集中できない、簡単なプログラムが書けない、ロジックを思いついてもコードに落とし込むことができない。
会話はできる。ただ、相手が何を言っているか理解するのに時間がかかる。
話が理解できなくて焦る、言葉に込められた感情を感じ取れなく、私が詰められていると感じるようになってきた。

その日はいきなり訪れた。
仕事ができないと感覚的にわかった。
朝起きることが出来ない。
考えがまとまらない。
自分で何かを決められなくなった。

必死に上司に連絡して、しばらく働けそうにありませんと伝えた。

そこからは過去の私が書いたようい、生きることを諦めようとした。

自責に駆られ、生きる意味を見失い、価値を感じられなくなり、希望が消え去り、孤独を感じた。

なぜか?
それはなぜ起こったのか。

それを探して色々と自分の内面を見つめ直している。
だけど、答えが見つからない。

どこを間違えたのか、何を選んだら正解だったのか、どう生きればよかったのか。 生きるとはどういうことなのか。

この問いを考えていること自体、もう良い歳なのだから生き方くらい自分で決めなければならないと焦りを感じている。
そもそもこう言った問いは、独りで考えるには荷が重いのかもしれない。

精神科医の先生には心の内を話しても良いかもしれない。
仕事はどう?寝れてる?食べれてる?
基本的な質問と、世間話をするだけで診察が終わり、私はいつも大丈夫ですと答えている。
だけど、この日記のように私の心は混乱状態にあるかもしれない。
自分の価値観を持つことが怖いかもしれない。
そもそも自分の価値観とは何かがわかっていないのかもしれない。

最近、うつ病の症状が出ている気がする。
アパシーになりかけているかもしれない。

私にアパシーという概念を教えてくれた先生は、今の私を診たらなんというのだろうか?

問題なく、健康的な人ですよと言われる気がする。
幻聴が聞こえたり、周りが自分を殺そうかと考えていると感じたり、幻覚が見えたりしてなければ大丈夫ですと前回は言われた。
話も時系列で説明できており、会話に違和感もない。
良くわからないほど薬飲んでますね。必要ありますか?と。

精神科への入院はお勧めしないです。
全身拘束状態で1日体験入院して見ますか?と、冗談として言われたかもしれない。 身体拘束されるのはさぞ辛いと思うし、当然私は断った。

今、この心の苦しさはどうやって伝えれば良いのだろうか。

誰しもが悩む生きると言う問題に自分なりの答えを出せず苦しい。

日々思い悩みながら暮らしていくことに疲れたらどうすれば良いのだろうか。愛おしさを感じ、生きることの難しさを感じ、人の役に立つ喜びを知ってる。 だけど、自分自身については何も分からない。

答えを出しそうになっているから、こんなにも苦しいのかもしれない。
生涯をかけてこの問題に取り組むべきで、答えは出なくて、死ぬ間際に自分を納得させるしかないのかもしれない。

今、私はうつ状態になっているのかセンチメンタルになっているのか。

集中できず、仕事ができない。
手帳に書いたスケジュールや目標はことごとく未達で終わる。
小さな一歩も踏み出せない。

これは、、まるで、、。




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