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たった1人の親友に向けて

はじめまして、都内で活動するロックバンド・JC HOPPER Jr.のクワバラです。

1月17日にシングル「ベースボール」をリリースするにあたり、個人的に曲に対する所感、作曲の経緯を話したいな、と思いnoteを立ち上げた次第である。

この曲は2023年の4〜5月頃に作曲し、ライブで構成を練りながら10月頃にレコーディング、そして2024年1月17日にリリースに至った。

HOPPERのライブでもほぼ必ずセットリストに入れていて、聴いてもらった人からの評判も上々で大変嬉しい限りである。

さて本題に入るが、この曲を演奏する前に必ずMCで聞くことがある。

それは

「みなさんには『この人だ!』と心から思える、そんな親友はいますか?」

というものである。

もちろん僕にもいる。
同い年で、同じ月に産まれて、家族ぐるみの付き合いで同じマンションに住んで、小学校、中学校の時には一緒に登下校して、放課後に遊んで、自分にとって彼が唯一無二の親友であったことは言うまでもない。

そんな親友は僕と彼が15才だった時…2017年1月4日、突然2度と会えなくなってしまった。

ちょうど中学校の卒業を間近に控えて、その日の夜に、受験のために通っていた塾の帰ったタイミングで、辛そうな表情を浮かべた父から

「落ち着いて聞きなさい」

とそのことを告げられた。

あれほど涙を流すのは、後にも先にもあれきりだと思いたい。

当時は顔をほとんど合わせたことのない親戚の葬式ぐらいでしか「死」というものに触れ合ってこなかった僕が初めて向き合わされた事実は、耐え難い苦痛だった。

その2〜3日後には御家族の計らいで彼と2人きりしてもらってお別れをして、葬式の後に彼を送り出した。

かくして僕はしばらく、彼のいない世界でたった1人取り残されてしまうことになった。


当時、彼の死が通っていた中学校の集会で告げられた時も、集会が終わった次の休み時間にはいつも通りの日常と騒がしさに戻っていた。


大人になった今ならば、他のクラスの、顔もよく覚えていないような同級生のために悼む時間を中学生に作れという方が無理あることは理解できる。


しかしながら、当時は一人だけ取り残されてしまったような気がして、そんな薄情な世界がどうしようもなく許せなかったし、自分だけ取り残して回り続ける日常というものも堪らなく辛いものだった。


そんな日常の中で、死にたいという想いすら抱くほど当時どん底だった自分を支えてくれたのは、尾崎豊の音楽だった。


今となれば彼の音楽を聴くようになったきっかけは思い出せない。きっとユーチューブのおすすめから流れてきたライブ映像でも偶然に見たのだろう。


絞り出すような歌声で、等身大の自分の生きざまを歌う彼の音楽に救われ、彼の曲を演奏して歌いたいと安いアコースティックギターを買って弾き語りを始めたのが、自分の音楽人生の原点だった。

今思えば、この経験がなければ僕がここまで音楽を、そしてバンドを続けようという想いに駆り立てられることは決してなかっただろう。 極めて皮肉なものであるが、最も人生で辛いと思わせる経験が、生涯をかけて打ち込みたいと思うものに出会うきっかけとなったのだ。


そんな自分も気づけば22歳。彼がいなくなった世界で僕は高校生、大学生を経てそして社会人になろうとしている。この7年間を経て少しずつではあるが、彼のことを思い出したり、その時の寂しさや辛さに襲われたりする時間も徐々に短くなってきた。


それを立ち直っていると解することもできるし、同時に彼のことを少しずつではあるものの忘れていっていると解することもできてしまう。

だからこそ。

だからこそ、7年という時を隔てた今だからこそ、その時の想いや心境を、そして現在の想いを綴ることができるのではないかと思い立ったのが、この曲を製作するに至った次第だ。


彼と並んで歩いた通学路はもう、見る影もない。


毎月、月命日に彼の家に持参する花はもう、花畑になるほどの量になっていることだろう。


人が人を忘れていってしまうのは声からだと言う。白状してしまうと、もう彼の声がどんなものだったのかは当時のように鮮明に思い出すことはもはや叶わない。


それほどまでに時間というものは残酷で、不可逆的に、あっという間に流れ去っていってしまう。


今年の彼の命日に、リリースにあたって彼のお母さんに音源を聴いてもらった。何も言わずにこの音源を出すことは、非常に不誠実なことではないかと思えたからだ。


彼のお母さんは聴いてくれた後に曲の賛辞と共にありがとう、そう言ってくれた。 その一言が僕の背負う苦しみを一つ、降ろしてくれたことは言うまでもない。


大切な人との別れは、人間が生きていく上であたる苦しみを示した、四苦八苦という仏教の定義にあるうちの一つに「愛別離苦」とある通り、人間の避けられない条理である。

彼は中学校の頃、野球部だった。
そのことから冠して名前をつけたこの曲を聴いてくれたあなたにとって、大切な人との別れを経験した時に、この歌が夜を超えるための歌の一つになれば幸いである。


確かに心に負った傷のために、その傷から立ち直るために

そして今日という世界を自分の足で生きていくために。


最後に

親友と、そのご家族。

そしてレコーディングにあたりエンジニア、そしてミキシングをしてくれた人生ゲーマーズのオギワラカイト、そしてカワマツヒロヒト両名に最大の感謝を込めて。


クワバラ


以下のURLから音源を聴くことができます、何卒
https://linkco.re/nv5Uuc5G

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