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踊り狂うかつおぶし戦士たち

僕は我が家で料理の役割をいただいており、キッチンは僕の居場所である。妻と付き合い始めた3年ほど前からそうだ。妻は掃除と洗濯の役割を持っており、それぞれの好き嫌い/得意不得意からその分担となっている。

今夜、僕はいつものようにキッチンに立つ。昨日のおでんの残りだしで、豚肉とブロッコリーのお鍋をつくろう。そう思って作り終わりそうな頃、ぼくはキッチンのすみっこで先週末に買ったにんじん1本と少しを発見した。水分を失い、少ししなっとしてるにんじん。長く置いておくとしなっと柔らかくなるのが不思議だ。「これはもう使わないとまずい、、、」と思い悩んだ結果、明日のおかずの一品として"にんじんきんぴら"を作り置きすることを決めた。

数年前に引越し祝いで友人夫婦からもらったフライパンにごま油をひき、コンロに火をつける。熱される間ににんじんを細く切っていく。細く切るのは好きな動作なのだが、だんだんと集中力が落ちて最後のほうは細さもまちまちでテキトウになっていく。不揃いのにんじんたちをフライパンに解き放つと、じゅーっと音を出しながら、だんだんと色が変わる。妻の実家からの貰い物の菜箸でにんじんをつっつく(調理器具はだいたい貰い物だ)。しょうゆや黒糖など投入しながら、だんだんと調理はクライマックスに近づいていく。ここで、ようやく登場するのが、そう。かつおぶし。

"にんじんきんぴら"のクライマックスは、なんてったって大量のかつおぶしだ。なんでこんなに入れるの!と言わんばかりのかつおぶしをフライパンの中にぶちまける。フライパンから少しはみ出たっていい。それくらいの思い切った勢いが大事だ。かつおぶしを入れると、フライパンやにんじんの熱さに反応したかつおぶしが、「アッチッチ!」と言ってるように踊る。大量にもなれば、もうフライパンの上は大勢のダンサーが規則性なく自由に踊り狂う舞台のようだ。踊り狂うかつおぶしを見ると、小さい頃の、お好み焼きの上で踊るかつおぶしを見た時の気持ちを思い出す。そうすると、なんだか、強くなれたような気持ちになる。

家でお好み焼きをする時、作り手は常に父親だった。父親は、ホットプレートの上に具材の入ったお好み焼きの素を引くと、常に全力でお好み焼きを押し潰す人だった。母親はお好み焼きのたびに「そんな潰したらかわいそう」と言い、父親はそのたびに「このほうが早く焼けるだろ」とお好み焼きを押し潰す。幼心に、「押し潰すのもおいしいけど、テレビで見るふわふわしたお好み焼きをいつか食べてみたいなあ」と、お好み焼きを押し潰す父親を見て思っていた。

そんなお好み焼きの日の楽しみは、調理の最後に降りかけるかつおぶし。押し潰されたお好み焼きの上で踊るかつおぶしが、なんだか妙にキラキラして見えていた。その強制的に押し潰されるという抗えない不条理に対し、真っ向から戦いを挑むように踊り狂うかつおぶし。その姿が、なにやら巨大な力を持つ父親に対して、甲冑を着てキラキラした剣を持ち戦いを挑む戦士たちのように見えて、カッコいいなと思っていたのだ。

今夜、かつおぶしたちは細切れになるという不条理を受け取らざるを得なかったにんじんたちの上で、踊った。この戦士たちは、日々日本の各所で勝ち目のない戦いを繰り広げている。革命が成功する日は、いつかくるのだろうか。

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