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アーユルヴェーダ体験記@スリランカ Tagiru.

こんにちは、新城勇気です。
12/23-01/06に、アーユルヴェーダを受けにスリランカにある「Tagiru. Ayurveda Resort」に行ってきました。

個人的に、人生史上もっとも最高な体験の1つ!でして、ご興味ある方にはぜひ行ってもらいたいな〜と心の底から感じています(帰国から1週間以上経つけど、なんだか心がまだスリランカにある感覚、、、)。

そこで、このnoteはアーユルヴェーダやTagiru.にご興味のある方向けの体験記として書きます。あくまでも個人的な体験記なので、感じ方や効果は人によって大きく異なるでしょうし、参考の1つくらいでご笑覧いただければ幸いです。

なお、専門的・学術的な部分はいろんな書物や情報を参考・引用したり委ねさせてもらいつつ、写真多めでご紹介しようと思います。

◯アーユルヴェーダってなに?

そもそも「アーユルヴェーダってなに?」というところから。
人に「行ってきたよ〜!」と話すと、こんな声を多くもらいました。

・美容系に目覚めたの?
・いいな〜オイルマッサージだよね!え、2週間も!?
・なんか、頭に垂らすやつでしょ?内省的な?

まずお伝えしたいのは、それらが全部間違っているわけではないけど、あくまでも医療であるということ。「アーユルヴェーダ」はサンスクリット語で「生命の科学(知恵)」を意味し、世界で最も古い医療のひとつ。
インドやスリランカの大学では、医学部の中にアーユルヴェーダ医学部があり西洋医学と並列で語られ、アーユルヴェーダ専門の病院や薬局も街中にたくさんあるなど、その医療は日常に根付いています。

Tagiru.から眺めるインド洋

アーユルヴェーダの説明は、Tagiru.のHPから引用させてもらいます。
※もっと詳しい内容は、Tagiru.のHPやそれ以外に委ねます。専門書を読むと、その理論の詳しさや深さに圧倒されます。個人的に、よだれが出るくらい細かくて好き。笑

南アジアをルーツに持つ伝統医療
日本では額にオイルを垂らす「シロダーラ」のイメージで知られるアーユルヴェーダですが、もとはインド地域をルーツとした、数千年の歴史のある伝統医療です。スリランカにはアーユルヴェーダ医師になるための6年制の医学部があり、街にはアーユルヴェーダ専門の病院や薬局が並んでいるほどに、生活になじんでいます。

アーユルヴェーダの特徴は、心身の不調に、短期的・対処療法的に対応するのではなく、その人のもともと持つ体質や状態に合わせて、根底的な理由にまでアプローチすること。このことは、現代に生きる私たちに新鮮な驚きとともに、自分自身のこれからのあり方を見つめ直すきっかけを与えてくれます。

あなたの生まれ持つ体質に合わせて
アーユルヴェーダの出発点は、それぞれの人が持って生まれた「体質」つまり 「個性」です。現代において、個性が大切だと語られ始めてからわずか数十年ですが、アーユルヴェーダでは数千年前から、個性が医療の中心に据えられていました。

誰にでも効く治療も、誰にでも効く薬も、存在しません。ドクターとともに、自分の生まれ持つ「体質=個性」を知りながら、あなたのためだけのトリートメントや食事をじっくり体験していきます。アーユルヴェーダを通じて心身を癒すことは、そのまま、これまで知らなかった自分のことを知ることでもあるのです。

Tagiru.のHP「アーユルヴェーダについて」 https://tagiru.com/ayurveda/

いかがでしょうか?
HPを見ていただくとその写真からも雰囲気を掴んでいただけるかもしれませんが、実際に私がどんな背景でスリランカに向かったのか、どんな日々を過ごしたのか、どう感じたのかを、以下にご紹介していきます。

◯どうして行ったの?

ことの始まりは、クラウドファンディング。
2022年の夏頃、こんなプロジェクトがUPされました。

これをTagiru.オーナーの伊藤さんがFacebookに投稿されていました。見た瞬間に、「行きたい!」と思って幾ばくかの金額でプロジェクトを応援したのが最初のきっかけ。(その金額を、いつかの滞在費に充ててくれるとのことで)

オーナーの伊藤さんとの出会い

もう少し遡ると、Tagiru.のオーナー伊藤さんには、2018~2019年頃に通っていたマザーハウス山崎さんの勉強会でお世話になっていたことがありました。

そして、今回スリランカでお会いする前にお話したのは、2020年だったような。京都にて確かとても晴れた日、鴨川の横を流れる小さな高瀬川の、水面に反射するキラキラした光を見ながら、のんびり一緒にお話していた記憶。その時に、まだ準備中のTagiru.とご自身おの話をしてくださって。

HP等にも書かれていますが、バリバリ働いていた今から10年ほど前、難病にかかられた伊藤さん。その病気のことや数年間の闘病でも回復しなかったこと。もう諦めそうになったこと。アーユルヴェーダに触れて大きく回復し始めたこと。そして伊藤さんの人生が、アーユルヴェーダで大きく変わったこと。その体験から、自分が多くの人にアーユルヴェーダを広げることを決めたこと。

左から2番目がオーナーの伊藤さん。一番右が伊藤さんの奥さま。

そんなお話を伺いながら、私の中では伊藤さんがそんなに言うなら、「アーユルヴェーダ」って本当にすごいものなんだろうなってその場で感じきっていました。茶道や能など、日本の伝統芸能や文化に触れていた期間の長い自分としては、伝統医療に対しての興味の種がもともとあったのかもしれません。「行ってみたいな〜」という気持ちがムクムクと膨らんでいきました。

「じゃあまた、京都かスリランカでね」と言ってそこで別れた後、心のどこかで「いつかアーユルヴェーダを受けに行くんだな〜」という淡いワクワク感を持っていたような気がします。

働き始めて10年、「身体と心のバランスが取れているのだろうか?」

現在32歳の私、この10年では大学院で研究をしたり、やはり多くの時間をかけてきたのは、いま関わっているスタートアップでの立ち上げ・事業づくり。
一貫しているのは、「コミュニケーション」や「対話」という領域のデザインをしながら、「個々人のどんな関わりが、人と社会をより幸せにするのだろうか?」という問いに向き合ってきたように思います。自分なりに、命をかけて取り組んできた10年間だったかなと。

そういう領域にいること、そして個人的に続けている「文化人類学」「社会心理学」「民俗学」「東洋哲学」等に関する探究もあいまって、「身体と心」ということについては比較的意識を向けてきたほうのはず。

ただ、働き方から考えると、結果としてかなりの負担を自分に強いてきているとも感じます。また、2018年にハイエースに轢かれる交通事故にあってから首や脚や手の一部が動かなくなって身体活動が難しくなったり、2〜3年リハビリをしたり(今はほぼ回復してます)。そういう背景やいろんなものを踏まえた精神的な影響からか、体重も15〜20kgほど増加したり(単なる不摂生もあるだろうけど)。

「身体と心のバランスが取れているのだろうか?」と問われると、きっとこの10年間、取れたことはなかったいないんだろうと感じます。
そんな理由からも、伊藤さんの話を思い出しながら、今の自分がアーユルヴェーダを求めているのではないか?と感覚的に感じていたのかもしれません。

「アーユルヴェーダ、新婚旅行で行こうか」

私の妻も「伝統医療」や「アーユルヴェーダ」に興味があるタイプなので、入籍する随分前に「新婚旅行的なことするとしたら、スリランカでアーユルヴェーダとかいいかもねえ」とボソッと言ったら、「いいじゃん!行きたい!」と、さくっとTagiru.行きが決まってました。

で、別のnoteにも書きましたが、先月に入籍した私。

入籍の日取りを12/11と決めたのが2023年の夏頃で、そのあたりで伊藤さんに連絡をし、予約手続きに入りました。飛行機のオススメはじめとてーも細かくフォローいただいて、めちゃめちゃ助かりました。(コロナ前はよく1人で海外に行ってましたが、相方がいるとちゃんとしなきゃ!感があってもうあんまり無茶なバックパッカー旅とかできないかもw)

Facebookでの伊藤さんへのご連絡

で、年末年始にしたのはこんな背景。

・Tagiru.は基本的に10泊以上、特に2週間前後を推奨(アーユルヴェーダの効果を考えるとそれくらいの期間が必要)
・新婚旅行とはいえ、2人とも仕事を一切しない2週間を取れるのは、どう考えても年末年始しかなかった(PCは置いていきたくて)

※ちなみに、半年前でも数室空いてるかどうかくらいでした。なので、行きたい方は4〜6ヶ月前くらいまでに予約したいかも

そんな流れで、ついに予約を完了したのが2023年7月末頃。
前段が長くなってしまいましたが、以下から実際のTagiru.での体験に入ります。


◯Tagiru.はどんな場所だった?(写真満載)

Tagiru.のコンセプト

Tagiru.のコンセプトは、「生き物としての感覚を取り戻す」。

大事な話なので、HPのコンセプトページを引用します。

「生き物としての感覚を取り戻す」

…こんな言葉で表現できるような感覚を、
最後に味わったのは、いつごろですか。

めまぐるしい時間と情報の中で、
ふと気づくと、そこから遠く離れてしまいます。

それは、こんこんと水が湧き上がるように、体の奥から力の湧く感覚。

アーユルヴェーダに身も心もゆだねることで、
心と体が芯から整い、五感と思考は澄み渡り、
自分の本能が必要としていることを、直感的に感じ取ることができるような。

そんな生命力にあふれた感覚に、
私たちは「Tagiru. (たぎる)」という名前をつけ、この場所をスタートさせました。

ようこそ、地球上でいちばん、
あなたの内から力の湧く場所 Tagiru.へ。

もしかすると、人生が変わってしまうかもしれません。

https://tagiru.com/concept/


Tagiru.の施設や周囲の環境

アーユルヴェーダのコンサルテーションや食事、トリートメントがその感覚を取り戻させてくれるわけですが、環境もとても大切。

ここではただひたすらに、私が撮っていたTagiru.と目の前に広がる海をお届け。
まずは、基本階となる2階へ。

仏さまと海。
左:朝昼晩、みんなでごはんを食べる場所。時々庭になることも。
右上:エントランス。全体的に木が多くて心地よい。ここで、同僚に紹介されたスリランカの写真家の方に偶然出会った(びっくり)
入り口からエントランスまでの道。道中、いろんなハーブやスパイスが育てられている。
入り口に咲く花も。名は知らないが、かわいい。

では、3階へ。

3階にいるかえる。確かに庭の池におたまじゃくしたくさんいたっけ。
英語や日本語のアーユルヴェーダ関連本がたくさん並ぶ本棚、くつろぎスペースもある。

お部屋へ。

昼、3階の部屋から眺める海。この椅子に座って、よく本を読んでいた。
(正午すぎは暑すぎるので退避)
建物を出ると、プールと庭と浜辺、海が広がる。毎日、この空と海の表情を眺めるのがいい時間。
お部屋には天蓋付きベッド!と驚いたが、確かに蚊が多いので寝てる時に天蓋だいじ。

4階もちょっとだけ。

4階にいらっしゃる仏さま。天気良いと気持ちよさそう。
人間の都合で海に背を向けているとしたら、海のほうを眺めさせてあげたくなる。

では、1階の庭に出てみよう。

庭から見るとこんな感じ。隙間時間はそれぞれここでのんびり。庭の池に咲く、蓮の花も美しい。時間によって開いたり閉じたり。どこで見ても、蓮は時を感じる花。

そこから海を眺めると、こんな夕日も。人生で見た中で、一番赤くて一番大きな夕日だった。何か見覚えがある、、、と思ったら、劇団四季のライオンキングの舞台で同じような夕日を見た。
日の入りから30分くらいした庭からの眺め。暗がりの世界に移行するその瞬間も美しい。

ここから浜辺へ。

浜辺に出てみると、そこはとても長く続く浜辺。歩いて30分くらいの幅があった。このnoteで使う写真は全部無加工。無加工でこの空の表情、萌える。


スリランカの情勢は?

ちなみに、スリランカは2022年春から深刻な経済危機で、最初の頃は暴動とかも起きていたよう。ただ、今はそういうものも全くなく、観光客としていく分には安心して行けます。

Tagiru.にお願いすれば行きも帰りも首都コロンボの空港まで送迎してくれるので、ずいぶん安心。我々は行きのフライトが6時間も遅延して空港着が深夜1時くらいになったのですが、そんな時間にもちゃんと迎えに来てくれる。なんて素敵なんだ。


◯行ってみて、具体的にはどんな変化があった?

正直、2週間だけで効果の出ることを書くのは気が進まない気持ち。そんな短期間だけで効果を測るべきものではないような気がするから。

ただ、やっぱり何が分かりやすく起きるかの想像がついたほうが伝わりやすいだろうから、書いてみます。
短期的な変化だけでも、相当大きなものを感じました。

分かりやすいのだけ。

・体重が4kgマイナス!
 →帰国しても維持され、むしろ帰国しても少しずつ下がっている

・アレルギー性鼻炎な鼻が、通るように!
 →人生で一番鼻が開通した感覚で、それは帰国した今も変わらない

・「表情が柔らかくなったね」と言われるように
 →もともとそんなにきつい表情の人間じゃなかったような気がしてたんだけど、多く言われる。そんなに変わったんだ。

・左肩の可動域が広がった
 →もともと左肩の可動域が右肩よりもかなり狭かったのですが、それがずいぶん開くようになりました。

・食べる量が相当減った/胃が小さくなった
 →以前は1日に夕食だけ大量に食べるとか、2食とか偏食だったのだけど、3食を食べ昼食を多めにとるように。それぞれの量は前よりも段違いに少ない。ちなみに食費が激減中

・油物やコーヒー、アルコールを欲さない
 →食べたい、飲みたいと思わなくなった。帰国してから1週間以上経過するけど、揚げ物0、コーヒー0、アルコールは1回だけ

・味覚が鋭敏に。体質に合わせたスパイス活用
 →味覚を感じる幅が広くなって、自然と薄味に。そして、体質に合わせた味の使い方、特にスパイスの使い方を意識する日々に。、


具体的に分かりづらい、心の変化や感じたことはもっと下部に書こうと思います(多分めちゃ長い)


◯Tagiru.では、どんなことをするの?

アーユルヴェーダで目指すもの(おさらい)

正確に書くことは難しいですが、個人的な解釈を書きます。

アーユルヴェーダは「幸福で有益な長寿のための智慧をまとめあげた医療」。
アーユルヴェーダにとって「生きる」とは、「喜びを感じる」ためにある。

人には本来それぞれの体質があって、そのバランスが整っていると健康で幸せ。ただ、そのバランスも意識せずに生活すると悪化してしまう。今の自分の状態に気づき、体質を本来の自分の状態に戻していくことが、アーユルヴェーダの食事や施術で行っていること。

『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』というかな〜り詳しい書籍からも、アーユルヴェーダの定義を引用します。

アーユルヴェーダは、古くから伝承されてきた理論と方法に基づいて自分の性質を知り、エネルギーのバランスを整える方法を示しています。健康・幸福な心身への回帰を促すことで、「健康長寿」ならぬ「健幸長寿」を実現させてくれる生命の科学なのです。

『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』

また、西洋医学・中医学・アーユルヴェーダの健康や病気の捉え方の違いをこの本ではまたこのように紹介しています。西洋医学でいう健康は、病気ではないことを指す。アーユルヴェーダでは、病気という範囲も広く、健康と病気の間に何段階も存在します。アーユルヴェーダでは、本質的な意味での健康というのはとても難しいものなのですね。
言われてみると、現代は確かに健康か病気の2つで体調を見ることが多いかもしれません。

『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』より

アーユルヴェーダの詳しい内容については、この本は理論を相当私に教えてくれました。詳細具合や丁寧さ、わかりやすさとしてオススメ!


話を戻します。人の体質について。
本来の自分の体質をプラクリティ、いまの自分の体質をヴィクリティといい、まさにそのヴィクリティの状態をプラクリティの状態に自分の体質を還していくために、食事やトリートメントなどを個人の体質に合わせて行っていきます。

そして、アーユルヴェーダの世界ではドーシャという、人の体質、生命エネルギーのような概念があります。「ヴァータ」「ピッタ」「カパ」という3つの種類があり、この要素をどの程度のバランスで持っているかは個人ごとに異なります。
基本的には、一番多い要素を自身の向き合うべきドーシャと考え、なるべくバランスがよくなるよう整えていくのがよいとされています。

以下のボードはTagiru.内に掲示されているもの。まずは、自分のドーシャの本来あるバランス(プラクリティ)と、今のドーシャのバランス(ヴィクリティ)を知ることが重要です。

ドーシャは時間帯、季節、年齢によっても増えたり減ったりすると言われています。
また、以下の画像のように、それぞれのドーシャは特定の食べ物や味によって増大したり減退すると考えられていて、アーユルヴェーダではその理論を元に食事を考えていきます。

アーユルヴェーダで目指すものと、そしてドーシャについて書いてみました。
それを前提に、ここからTagiru.での生活をご紹介。


2週間の流れ

Tagiru.ではアーユルヴェーダの効果を考えて10日以上を推奨。私は2週間でした。
Tagiru.にいる間、主には以下のような流れとなります。
(アーユルヴェーダとしてオーソドックスな流れではありますが、施設によっては異なる部分もあるかと思います)

・はじまり(初日)
・数日間の準備期間:アグニ(消化の火)を高めて胃腸の働きを順調に
・クリーニングデー:人生最大のデトックスデー
・より深い体験の期間:体質のバランスを調整していく
・おわり(最終日)

1) はじまり

初日は、最初にDr.によるコンサルテーションがあります。

食事や睡眠、睡眠や運動、排泄、過去の怪我や体質など、様々な体に関することを聴いてもらいます。
その上で、Dr.は脈を測ることでドーシャのプラクリティとヴィクリティを捉えます。
これがまた、不思議な体験!3本の指で、3本の脈をとり、それぞれの脈からドーシャを感じているみたい。

『インドの生命科学 アーユルヴェーダ』より

初日のコンサルテーションで計測された、私のドーシャバランスがこちら。
上のプラクリティが、本来の私のドーシャバランス(合計100になる)。カパが一番優性。
一方、Nowと書いてる下の行がヴィクリティ。初日の私のドーシャバランス。どれも増大しており、とてもアンバランスな状態。全てのドーシャが悪化しています。

カパの値が特に乱れている

その上で、何をして何をしないようにすべきか、というのを教えてくれます。私の場合はこんな感じ。読んでいただくと分かりますが、何か大きく特別なことなんて、ありません。アーユルヴェーダで意識するのは、あくまで日々の食事や睡眠、運動です。

これを意識しよう!というDr.からのコメント

私の場合は、これらの薬を処方されました。全て植物由来のもので、それぞれカパ値を下げたり、ドーシャのバランを整えるためのもの。
(これが日々の苦しみになるとは、このときはつゆ知らず、、、)

2) よくある1日の流れ

準備期間と深い体験の期間の両方について、合わせてここでは紹介します。本当はそれぞれで異なるトリートメントなどあるのですが、私が正確に説明することが難しいのと、ここではそこまで細かい説明はいらないと思うので、よくある1日として合わせてご紹介。

Tagiru.での1日は、朝6時半からのヨガ/太極拳(自由参加)からはじまります。

そのヨガ/太極拳以降、就寝の22時くらいまでの間に毎日していることは主に以下の3つ。
A)3回の食事
B)1日4回のアーユルヴェーダのトリートメントを受ける
C)10時と16時に処方されるハーブの薬を飲む

これらをゆっくりと楽しみながら、過ごしていきます。
日によっては、僧侶による瞑想や料理教室、寺院へお参りなども。

写真とともに、それぞれご紹介。

A)3回の食事

食事は、アーユルヴェーダにとって本当に大切なもの。
アーユルヴェーダの古典では、「食事が適切であれば薬はいらない」という言葉で食事の大切さを表現しています。

Tagiru.では、それぞれの体質に合わせて食事が提供されます。
また、この時間はTagiru.に滞在するすべてのゲストが集う時間。一緒におしゃべりしながらいただきます。

◯朝ごはん例
主には、「フルーツのプレート」+「コラキャンダという薬草おかゆスープ」

スリランカはとにかくフルーツが美味しい!そして安い!ほぼ毎日、マンゴー半分出るんだもの。しあわせ。
そして、コラキャンダ。いろんな薬草のおかゆスープ。胃に優しい。

◯昼ごはん例
主には、「スープ」+「カレー」+「サラダ」+「デザート」
とにかく、毎日カレー!毎日いろんな種類があって、美味しい!

かぼちゃ的スープ+マンゴーと柘榴のサラダ。柘榴ってこんなにたくさん食べたの人生で初めて(マンゴーもか)+スリランカカレー+水牛のヨーグルト

スリランカカレーは色々!

カレーの具材も、体質に合わせて個人ごとに違います。これを毎日食べるのも楽しみの1つ。


◯夜ごはん例
主には、「スープ」+「主には野菜の炒め物など」+「デザート」

いわゆる野菜スープ(玉ねぎだったりセロリだったり、これはコリアンダーかな)+いろんな野菜たくさん+フルーツポンチ的な盛り合わせ


B)1日4回のアーユルヴェーダのトリートメントを受ける

前日の夜ごはん時に、トリートメントの予定表が配られます。
基本的に1日4回のトリートメントがあり、それぞれ30分ほど。本当にとろける時間です(中には熱かったり多少痛いのもあります。笑)

毎日トリートメントは変わります。セラピストの方によっても少しずつ内容が違くて面白い。
右は、日本でアーユルヴェーダというと一番知られているトリートメントの「シロダーラ」後の私。施術後は帽子を被り、安静に。なんか、ちょっといかつい。
左はパウダーマッサージの後。全身粉だらけ。

なお、トリートメント中の写真は持っていませんでした。確かに自分のは撮らないし、他者のも撮らない。
HPのこのページをご覧いただくと、トリートメント中の様子も見れます。


C)10時と16時に処方されるハーブの薬を飲む

それぞれの体質に合わせて、Dr.が薬を処方してくれます(初日のコンサルテーションである程度決まります)。
これがまた、人生で味わったことのない強烈なお味。みんなすごーく嫌そうにしながら、「ぐぬぬ」って顔をしながら飲んでいるのをお互いに見合いながら笑う、そんな場面が毎日繰り広げられます。

私の滞在中にはスイスやドイツからお越しのチャーミングな女性陣(私の母親かそれより年上)がたくさんいたのですが、ここで鉢合わせる度に「こんなの私には無理だわ」「今日こそ変えてくれって言うんだから」と飲まずに密やかに棚に返している姿を多く見ました(本当はダメだけど笑)

時間になると、この棚に個人ごとのお薬が並びます。
私は3種類。一番右の薬が、もう全身の毛が逆立つほど苦手だった。思い出すだけで寒気が。
ドロドロしたのは、よくわからない葉っぱと土を煎じ詰めてシロップと混ぜた感じのお味。
まさに良薬は口に苦し。(苦いレベル超えてるけど)

なお、薬の近くにはそれぞれの体質に合わせたお茶が。これは昼間ならいくら飲んでもOK。
そして大事なのはその右横。

滞在中、一切お菓子なんて食べられません。禁止です。
ただ、唯一許されているのが、このジンジャークッキー。
スリランカではオーソドックスなお菓子で、その辛さがけっこうクセになる。

なお、ジンジャークッキーはスーパーに大量に売られているこの緑パッケージのものを使用

1日に3枚まで食べていいよーと言われいて、よく薬の後にみんなが癒しとして嬉々として食べていました。
(正直、1日で食べた最高枚数は7枚だけど、、、)


3)クリーニングデー

人生最大のデトックスデーがやってきました。
朝から、以下の薬を飲みます。
これ、おそらく人生上、全ての口に入れた物体の中で最もマズい(というか吐きそう)な薬でした。

目の前で飲んでた方、泣いてた。
それくらい、かなり厳しい薬です。クリーニングデーは、まさに体の中をクリーニングする日。そのためにこの薬が必要です。

見るだけであの時の忌まわしき味を思い出す、、、

アーユルヴェーダでは、体内に取り入れるものがとても大切。
逆に言うと、出すものもとても大切です。

先ほどの薬を飲むと、衝撃的な量と頻度、出したくなります。
この日は、そういう日です。
※以下のシートの左上に、私のunchi timeを記録してあります。朝から昼過ぎで8回出した、ということですね


4) 空いてる時間は何するの?

1日に食事やトリートメント、薬などやることは多々ありますが、空いてる時間も多く存在します。
その時間はそれぞれ自由に過ごすことができます。

私がしていたのは、主に「散歩」「ぼーっとする/瞑想(≒昼寝)」「読書」。
それらの様子はこんな感じ。


◯散歩
目の前の浜辺を毎日散歩。もともとDr.からも散歩してねと言われているのもありますが、自然と歩きたくなる浜辺と海が目の前にあります。


◯海と空を眺めぼーっとする/瞑想(≒寝る)
部屋や庭でぼーっとします。ただただ、無心に。
瞑想していると思いきや、寝ていることも。


◯読書
スリランカにいる間、20冊強の本を読んでいました。
こんな感じで。

長田弘さんの「あのときだったかもしれない」が心にしみる

毎日少しずつ読んでいくことで、私のアーユルヴェーダ体験を深めるためのサポートをしてくれた気がします。

この本たちがアーユルヴェーダのおともでした

◯ちょっとお出かけ
ちなみに、トリートメントなどの関係で、外出は前日までに許可が必要(アーユルヴェーダの状況として、安静にしている必要のある日があるため)

私は、2週間滞在する中で外出したのは以下の3回。
・近所のスーパーへのお土産の買い出し(2時間)
・世界遺産の都市Galleへのお出かけ(6時間)
・建築家ジェフリーバワの別荘の見学(3時間)

最初から最後まで外出0というゲストも多くいらっしゃいました。

スーパーへ。近所へはトゥクトゥクで。アーユルヴェーダ薬局では、アーユルヴェーダの料理や施術に使用するスパイスやオイル、薬など扱います。
世界的建築家、ジェフリー・バワの別荘。インフィニティプールなどの概念を作った方。
別荘というか、、、国立公園のような広さ、、
世界遺産都市Galle。オランダ東インド会社が交易する都市として形成された場所。


5) 最終日

最終日になると、初日に確かめた体質、ドーシャの状態をDr.が確認してくれる。
初日と同じく身体や心についていろんなことを細かく聴いてくれて、そのあとに脈からドーシャの状態を探ります。

すると、私の最終日のドーシャはこんな状態。
プラクリティは本来の私のドーシャバランス。下の段が今の私。なんと、ほぼほぼ本来のバランスに戻ってる!

そしてその後、帰国してからの日々で大事にしたいことや食事で食べていいものや避けたいものなどのレクチャー。どれもシンプルなことだが、このシンプルなことを丁寧に扱うことが本当に難しくて大切なんだなって、そう感じました。

「笑顔を絶やさないように。それが一番の健康につながるから」という言葉が心に残る。

最終日は、民族衣装サリーを着せてもらえる。これを着て、食事。
帰国前最後のごはんなことも多いから、これを着て他ゲストの前に登場すると、写真撮影などが始まります。

真ん中のお二人がDr.たち。お世話になりました。

ちなみに、最終日のランチorディナーだけは、期間中に自分が食べたものや他ゲストが食べていたものの中で、「これ食べたい!」というものを数品選ぶことができます。
私が選んだのは、これ!

何かの魚の切り身をチョイス(何の魚か分からなかった)
アボカドとマンゴーのサラダ。これ美味しかった〜。
バナナを焼いてシナモンを。これはデザートの中でダントツ最高だったなあ
最後のお祈り

これで、滞在中の主なお話は終わりです。
ここまで書いてたら、次は何年後にいこうかなとワクワクし始めてきました。

◯Tagiru.にはどんな人たちがいるの?

行くことを検討する方からすると、「どんな人たちがいるの?」と気になるんじゃないかなーと思い、一緒に写真を撮った数名の写真を掲載。
やっぱり、どんな人がいるかで安心できる度合いが変わると思うんです。しかも未だ知らないアーユルヴェーダで食事も施術も宿泊も全部長期間お世話になるわけだし。

一番左:支配人?のNANDAさん/左から3番目:オーナー伊藤さん/一番右:DrのAsokaさん/右から2番目:伊藤さんの奥さま

※伊藤さんの想いや過去の体験などはぜひ以下のような記事とかHPで。


トリートメントを担当してくれるセラピストの皆さん。10名弱?くらいいらっしゃいます。トリートメント中にいろんなことを聴きました。
「どういう流れであなたはセラピストになったの?」「セラピストを続けているのは、何がそうさせてるの?」「Tagiru.はどうして選んだの?」とか。どなたもこんなことを言うんですよね。

・トリートメントをすると、自分の身体も心も嬉しくなる
・受けるみんなも笑顔になるし、だんだん自分の元の状態に戻っていく
・それを見ているとさらに嬉しくなる
・ここにいるのはみんな最高のセラピストだ
・コロナ禍になって仕事がなくなった。他の仕事をしてみたけど、どうしても合わない。そんなとき、Tagiru.が始まるタイミングで伊藤さんと出会った
・Tagiru.にいれて自分はハッピーだし、私たちがいることは伊藤さんもハッピーだ

セラピストのみなさんにトリートメント中にヒアリング

普段、いろんな組織とそこで働く従業員の方の声を聴くサービスを運営している会社にいる私。だからとても驚いてしまったけれど、どんなセラピストの方と話しても皆嬉しそうで、感動しました。日本でそんな組織、ほんと少ないと思う。

ヨガや太極拳の先生たちも、3名が入れ替わり朝来てくれます。
なんだろう、なんだか大地と海と繋がってるような方々だったなあ。

一番左:セラピストMadurangaさん。彼の施術はすごくとろーり心地よく眠くなる。
真ん中:セラピストPrasannaさん。24年のセラピスト歴の手練れ感。3人の娘さんがかわいくて仕方ないらしい。
一番右:太極拳の先生Maheshさん。太極拳を好きにさせてくれた。そろそろ太極拳を教えるyoutuberになるらしい。


◯他のお客さんはどんな人たち?

みなさん来ては帰っていくので、いつも人が変わっていきます。
Tagiru.は12部屋。そのうち3/4ほどはお一人で、1/4ほどはご夫婦で、という感じ。なので、全体で15名前後くらい。

いらっしゃった方は主に以下の国の方々。
・スイス
・ドイツ
・オーストラリア
・日本

ごはんの様子

時期によって、人数も国籍も大きく変わるんでしょうね。
なお、会話の多くは英語ですが、英語ムリ!でも全然普通に過ごせます。ただ、話せるほうが他のゲストの方といろんなお話できて楽しいだろうな〜とは感じつつ。

ちなみに、男性1人参加は誰もおらず、大半が女性。男性がきたとしても、奥さんに連れられてくるケースが大半のよう。

◯行ってみて感じたこと

感じたことは、たくさんあります。
その中でも、私の人生にとって大きな影響を今、そして今後に向けて与え続けるであろう「感じたこと」を、ここで3つ書いておこうと思います。
(長いので、細かい心境の変化にご興味ある方のみどうぞ。ほぼ、自分の備忘録です。)


”触れる”を通して、”ない”ではなく、そこに”ある”を気づく。

トリートメントを受け続けている中で、7日目くらい。Dr.Asokaに体調を確認してもらうタイミングがありました。
向こうに太陽でキラキラ光る海がみえる部屋で、細かいコンサルテーションを終わって立ち上がったDr.は、私の頭を撫で笑いながらこう言いました。「everything OK.」
そう言われた時、すべてが包み込まれるような気持ちになったのを強く覚えています。その瞬間に、そこにある全てへの感謝の気持ちが生まれてきました。

その時の気持ちをその当日の午後、ずっと考えていたら、こんなことを思ったのです。
「そうだ、私は”触れる”をスリランカで、Tagiru.でたくさんもらっているんだ。」と。

”触れる”というと、どんな印象をみなさん持つでしょうか?
東工大で身体性の研究をする伊藤亜紗さんは、『手の倫理』という本でこのように語ります。

英語で‘touch’と表現される接触は、日本語では“ふれる”と“さわる”という 2 つの動詞で表現され、両者のニュアンスは異なっている。この違いが最もわかりやすいのが「傷口にさわる/傷口にふれる」という 2 つの言い回しの対比ではないかと思う。「傷口にさわる」という際には、「ちょっと手を引っ込めたくなる」「痛そうな感じがする」、概して、一方的、すなわち、接触しようとする人が、自分の計画通りに、自分が接触したいように接触する、というニュアンスを含んでいる。
これに対し、「傷口にふれる」という場合には、接触しようとする人が「このように接触したら相手は緊張するかな、痛いかな」などと、接触される側の人の状態や感情などを考えた上で接触の仕方を調整するといった、相互的・双方 向的な契機が含まれている。“さわる”は物体に対する接触であり、“ふれる”は人間的な接触といえるかもしれない。

『手の倫理』/伊藤亜紗

これだけが定義ではないかもしれませんが、この『手の倫理』のことを思い出しながら、アーユルヴェーダ自体の意味を自分なりに解釈したように感じます。
食事やトリートメントが、アーユルヴェーダでは大切。
ただ、そのもう少し奥にある感覚は、まさに”触れる”。

日々、自分のことを想って自分だけのメニューを作ってくれるシェフたち。
日々、目の前の自分がより健康に、幸せになることを願ってトリートメントを施してくれるセラピストたち。

そのみなさんの、手が、私の体に入る食事に”触れる”、私の体に施術として”触れる”。その人間的で、温かくて、自分に向けられた優しいエネルギーが、アーユルヴェーダを受ける人たちの体を通して心に”触れる”。
この日々を過ごすことが、アーユルヴェーダの中でも目に見えない、けど大切な要素なのではないかと。それが、その人にとって自分の生がそこに”ある”ということを、温かく自覚させてくれるような気がしたのです。

『手の倫理』より

いまの社会の中で生きている中、そのような”触れる”を日々たくさん得ることはとても少ないのかもしれません。それは、渡すことが少ないということを指しているかもしれない。
それを別の視点で見ると、”ない”ことに意識を向けがちな世の中なのかも、と感じます。アーユルヴェーダは、”ある”ことに意識を向けてくれる。細かいことかもしれないけれど、そのどちらに意識を向けて生きるかは、本当に、本当に大きな違いを生むのではないでしょうか。

長らく”聴く”という領域で研究や仕事をしている身ではありますが、私にとっては驚きと言えるほど嬉しい気づきだったのです。
私が思ってきた”聴く”と”触れる”は一緒なんだって。

人本来の自然な状態というのは、自分視点のいろんなものをやめて、「自然の中の一部である」と認識し生きること

2週間の中で、何度か太極拳をする朝がありました。
人生初の太極拳。なんだか、これまで私がトライしてみた身体の動きの中で、一番しっくりくる感覚。

その数回目の太極拳の最中、先生が「この先に見えるあの美しい波を受けながら、手、そして腕でそのエネルギーをもらいましょう。それ以外の力はかけないで、波のエネルギーのまま動いていきましょう」と言った時に、ハッとしました。

これまで書いてきたように、アーユルヴェーダでは本来の自然な自分の状態に還っていくためのプロセスを歩みます。本来の自然な状態になるために、いろんなものを溜め込むのではなく、排泄し、出し、やめて、循環させていく。

それが、先生の言葉を受けて
「人が本来の自然な状態であるというのは、自分視点のいろんなものをやめて、自分が”自然の中の一部である”と体感覚を伴い、それを真に感じながら生きることを指す」のかもしれないと思ったのです。

そう思うと、詩人の長田弘さんの「人生とやめる」に関する詩を思い出しました。

『ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事になりました。ー読むこと。聴くこと。そして書くこと。』

『すべてきみに宛てた手紙』/長田弘

いろんなものをやめていった先に、結局残ったもの。それが自分の本来の姿であるって、長田さんが語りかけてくれているように感じます。

もう1つ。アメリカに禅を広めた鈴木俊隆さんのこの言葉も思い返されます。

「呼吸」

「私が息をしている」と考えるこの「私」は余計です。「私」というものは存在していません。「私」というのは、息を吸ったり、吐いたりするときに動く回転扉にすぎません。それは、ただ動いている、それだけです。

『ZEN MIND, BEGINERS MIND』/鈴木俊隆

循環する生命の中の一部であると捉え、自分が自分としての意識を外した先に、人本来の自然な状態、アーユルヴェーダで目指す喜び溢れる人生があるのかもしれない、、、そんなことを実感覚を伴いながら感じました。

「追い求める」ことを終え、自然に生まれ出るエネルギーが「湧き出ていく」。本来の人の生の、それこそが喜び。

Tagiru.にいる期間の中で、最終日が近づいた頃。
朝食の後に1人で浜辺を散歩し、寄せては返す波を眺めていたら、自分の中に今まで感じたことのない感覚がふと生まれてきました。
「もう、追い求める時期は終わったのだ」と。

中学生の頃から、「自分の存在意義とは何だろう?」と自問自答するような性格でした。時を経て多少の変化はあれど、「自分の存在意義」に意識を向けたり、その時その時に「こんな未来に向かっていくための、こんな役割が自分にはあるんだなあ」と感じながら生きてきたような気がします。何事も、結構考えてしまう(それが私を支えてきてくれている、とは思いつつ)

この10年だって、主に多くの時間を過ごしてきたエールという会社にて、その「誰かの応援があるだけで、自分以上の力が出せる」という初期コンセプトから、いまの「聴く連鎖」というコンセプトまで、それぞれの世界をつくっていきたいと思いながら生きてきました。ある程度、苛烈に働いてきたようにも感じます。

ただ、どこかで、「追い求め続けること」が幸せなのだろうか?と感じる自分もいたのかもしれません。いまも十分幸せだと感じる、けど、もっと先を見据えて努力し続ける。その「なにかになろうとする」という意識が向いているとき、今の自分は置き去りにされてしまっている。

かつて心理学研究、特にwell-being 研究を主に行う研究室で研究もしてましたし、世界中のpsychology、positive psychologyの理論を学び一通りは理解したつもり。そして、担当教授からもよく以下のようなことを言われていました。

『いつか幸せになる、じゃない。いまが幸せであると気づくこと。それが幸せの第一歩。』

修士時代の師匠、前野隆司教授談

思考や理論、ロジックでは分かっているつもりだった。けど、アーユルヴェーダの日々を過ごす中で、本質的にはなにも分かっていないのかもしれない、そう思いました。

滞在中、久々に読んだ岡本太郎さんの本に、こんな一節がありました。
岡本太郎さんが、沖縄・久高島で見た歌や踊りから感じた一節です。

『歌とか踊りというものは、生きる、その充実のほとばしりであって、その瞬間に叫び、その瞬間に舞えばそれでいい。音として消え、形として消えるものなのだ。吹き流すのだ。惜しみなく。ーと私はそう信じる。』

『沖縄文化論ー忘れられた日本』/岡本太郎

こんな感覚が、生まれました。

「追い求める」
これまでの自分は、寄せてくる波を受け止めようとする浜辺であった。よりよく受け止めることを追い求めた浜辺であった。

ただ、本当の「生」とは波を受け止めることなのだろうか。
まさに、生きる、その充実のほとばしりが、生ある間の一瞬一瞬に感じられること、その感覚が心身から湧き出てしまう。それがまさに「生」そのものなのではないか。

「湧き出ていく」
これからは、まさにそんな今のほとばしりがおのずから湧き出ていく。そんな「生」、そんな今が連続し死んでいく。「生」とは、ただそれだけなのかもしれない。

結果として、その波が浜辺から遠く遠くの沖、その彼方先まで広がり静かに円環していく。今まさに、そうして生きているのが「ひと」なのだ。


、、、と。そう、波を見ながら感じたのです。


あーすごい長くなっちゃった。笑

◯おわりに

想定を遥かに超えた文量になりました。想いが迸ってしまった。笑
これを見て、アーユルヴェーダに興味のある方の背中を少しでも押せたらいいなあと感じているのと、ぜひTagiru.へ。
身体と心のバランスを整え、幸せに生きる力になる場所と時間が、ここにはあります。

何か気になることとか、確認したいことがあれば、お気軽にインスタやXなどSNSでご連絡ください。

ちなみに、Tagiru.のHPにはもっと前に行かれていた方々の滞在記が掲載されていますので、もっと読みたい方はこちらをどうぞ。


おわり。

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