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真反対の人との接し方

自分と真反対の人に出会うことはあるだろうか。
なんとなく、この人自分と全然違うと思う人はいると思う。
結構、そういう人の方が一緒にいて面白かったりもする。

でも、全く真反対の人に出会うと一体どうなるだろうか。

私の占星術の先生がまさに真反対の人だ。

占星術やマヤ暦で見ても、全く真反対に位置している。
星座も真反対。役割も真反対。性質も真反対。

先生はこう言っていた。
「反対だと思っても、どっかでリンクしてることの方が多いんだけどね。こんなに何でもかんでもオポジットな人は珍しいわよ〜ちょっとなかなか会ったことないかも」
(オポジット=反対のこと)

なんとなく真反対だと、共感できることも多い。
ここは違うけど、ここは私と一緒だな。とか
この部分は自分が苦手なところだから見習おう。とか。

が、全部が真反対の場合、どうなるか。。。しかも相手は先生である。

話し方、進め方、ものの見方、理解の仕方、言葉のチョイス。
何もかもが自分のスタイルと逆なのである。
私も先生も、大まかでざっくりとしていた部分と細かくてきっちりしている部分を両方持っている。
同じような要素を持っていても、バランスが真逆、在り方が真逆。
全部逆。

例えば、
私は、超ざっくり。でも理論的にきっちり理解したい。効率的に進めたい。
先生は、超細かい。でもざっくり。段階的に進める。
私の譬え話はかなりざっくりである。この後を読んでもわかると思う。記憶もざっくりである。
先生は譬え話も記憶も超絶細かい。いやそこ飛ばしていいから。と思うところまでめちゃめちゃ細かに譬え話を話す。
効率化を求める私は、できるだけ情報は整理されたものだけでいい。細かい人の話は情報量が多すぎてダメなのだ。
でも、細かい人からすると、かなりわかりやすいのではないだろうか。


講座の時も、自分からすると「え、そこちゃんと説明しようよ。譬え話あんなに細かいのにそこそんなざっくりいく!?」とということや、
「えぇ!?当たり前のように言ってるけど、前と言ってること全然違うじゃん」と思うことが結構ある。
それまでの過程で変化することは誰にでもある。
これはいい悪いではなく、大胆で大雑把な部分が自分と違うから、フォローする部分も違うのである。
企業の社長が細かいことがあまりできず大きなことを動かしていく代わりに、右腕となる人が後ろから細かくフォローすることで会社が成り立つのを想像してもらうといいかと思う。
そういう雑さである。
その分、自分では想定していないところを理解させてくれたりする。


例えば、
私は人と話をする時に、結論から言いたい。その後に一から順を追ってポイントをかいつまんで話すことが多い。
なぜなら、効率化が好きだからである。
先生は、1、2、3、4、、、10(結論)の順で話す。
私の場合、1〜9までを聞いている間で、一体何が言いたいんだろう?
「で、その結論は?え?そこで話逸れるの?結論は!?」と思いながら、長い話の後に結論に至った時には頭がこんがらがり理解ができない。
(私の理解力も薄いのですが、先生のすごいところは地球の裏側まで話が逸れても、必ず一周して帰ってくる。)
改めて「何が言いたいかというとですね、」と結論の要点をまとめてもらわないとわからない。

例えば、
先生は強いけど、弱い。傷つきやすいガラスのハートを持っている。
私は弱いけど、強い。傷つきやすいガラスのハートもあるが、無視する強さも持っている。
だから、平気で先生に反論する。
「すいません。言ってることが違います」「そこちゃんと説明してもらっていいですか」「で、結論は?」という。
先生はそんなとき、ちょっと傷ついていると思う。
人から反論されたり責められることに敏感な人だと思う。
そうやって先生を時々困らせている。

例えば、
先生は超、本気の、スピリチュアリストである。めちゃくちゃすごいパワーの人だと思う。
本気で上をつながっている。御神事なんかもされておられる、ガチでエネルギーの人である。
一方、私は身体の人である。身体からエネルギー・スピリチュアルというものを見る。
こういう理由ではないけど、エネルギーの部分でも逆である。


先生は熱いパッションを持ち愛情深い。気遣いの人である。
私はドライである。愛も情も持っているがさらっとしている。実はあまり気を遣わない(自然体と呼んでほしい)
よって、気を遣う部分も逆である。
先生が気を遣って触れないことや言わないでいてくれる部分ほど、自分にとっては、まずそこ言おうよ、と思う。


まさに、冷静と情熱の関係である。

わかるだろうか。

すごいストレスなのだ笑

こんなにストレスを感じた人はいないと思うほどストレスがすごい笑

モヤモヤするし、ヤキモキするし、イライラする。
自分ならこうするのに。というちっぽけな器を持っている自分と出会う。

そう。オポジットな人というのは、自分をかなり見させられる相手なのである。
しかも先生と生徒の間柄。
相手はめちゃくちゃ強いエネルギーを持ち、影響力が非常に強い。
かなり、苦しい。

でもこれは先生も同じなのだと思う。

私よりもずっと歳も上だし、魂でも精神的にも器は遥かにでかい。
でも先生にとっても私との時間は大変なはず。
何ならエネルギーを感じる先生にとっては、ある意味で私より苦しいかもしれない。

まるで、犬猿の中のように思うだろうか。
ソリが合わないって大変ですね。と思うだろうか。

オポジットな人というのは、自分の反対側の自分。
いわば、もう片割れの自分と言ってもいいと、私は思っている。
私たちはみんな凸凹したものを持っている。
その凹みを補ってくれる相手なのだ。

世界を反対側から見せてくれる人。

気づきを与えてくれる人。

自分を引き上げてくれる人。

それが、真反対の人。


先生はこう言う。
「オポジットな人と接するときは、相手を互いに尊重し受け入れること」

互いが本気で相手を受け入れ、自分を隠さず出すことで、互いが生きてくる相手。
だから、先生であろうと、まあいいや。ではなく、いやいやそれ違うでしょ。と言う。
先生であろうと対等に接する。
でも口にするのは、自分が我慢ならないことではない。相手を正そうとしてはいけない。
我慢ならないと言うのは、ただのエゴである。
そこは自分と向き合う部分だと思っている。(それが難しいところ)

もちろん真逆な人と向かい合うのは苦しい。
だからこそ、互いが愛を持ち、しっかり相手を見つめ、逃げないことである。どちらもが立つことが大事なんだと思う。
そうして、切磋琢磨が生まれ、向上していく関係になれるのである。

私が星読みを仕事として本気で人に伝えたいと思えたのも、この先生のおかげ。

私は、この真反対の先生が大好きである。
とっても大変で、全く一筋縄ではいかない、ストレスフルな、大好きな人。

と、書いている途中でタイムリーに先生からLINEでお知らせが届いた。
明日は獅子座の満月と熊野の神倉神社の火祭りだそうで、パワフルな日ですよ。って。

なぜこれを書き始めたのかが、なんとなくわかった気がした。

楽しみなストレスフルな講座は明日も続く。笑