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本音と向き合ってくれた日本史の先生

本日もGoogleロゴが変わっていたのでチェックすると、どうも10月5日は「教師の日」とのこと。調べていくと、1994年にはユネスコが10月5日を世界教師デーと定め、東京では、2017年ごろから教師の日を普及する取り組みがなされているようだ。そういえばニュースでも「先生のコトバ展」が取り上げられ、素敵な企画だなと思ったのは記憶に残っていた。
皆さんも成長過程で関わるであろう教師、少なからず人生に影響を与える存在。私もこの機会にぜひ、好きだった高校の歴史の先生を振り返ってみようと思う。

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ユーモアある授業で生徒を楽しませようとしてくれた

その先生は日本史を教えてくれたのだが、世界史も含め歴史の授業は暗記の科目という認識が根強い。特に文理に分かれる前の必修の高校日本史は19世紀以降が題材になっていたから、織田信長あたりの戦国時代はもとより、新撰組など幕末の血気溢れる戦場面もほとんどない。それら有名どころを通過した後の明治以降の日本史は、苦手な人には苦痛な暗記でしかなかったように思う。
しかしその先生は何とか楽しんでもらおうと、授業で扱う登場人物に対して教科書に載ってないような小話だとか、ある事件はこういうことがきっかけだというようなかみ砕いた説明を随時交えてくれてたと思う。そういう話のほうが案外頭に残ったりするので、結果的に授業のうちに楽しく覚えることができた。

生徒の内なる声を大切にしていた

私がその先生で一番印象深かったことは、テストの解答欄の一番最後に、何を書いてもいいという「反省文」を書ける空白のコーナーを設けていたこと。私は後にも先にもその先生のテストでしかそのコーナーを見たことがなかったので、テストの余り時間でいろいろなことを書いた。
「テスト範囲の時代は人物が多すぎて覚えるのが大変だった」
「あの部分だけ答えが思いだせなくて悔しい」
「もう少しこういうところを教えてほしかった」

この時、自然と本心が出てくるところが不思議だった。

その反省文コーナーに書かれた内容は先生が全て目を通し、一つ一つコメントを書いて解答用紙は返ってくる。返す際も
「こういうこと考えてたんか~」
「眠くなるのによく頑張ったな」
「次からそこも考慮して授業しようか」

というような感想付きだ。私自身の思っていることにダイレクトに答えてくれるのが嬉しかった。しっかり見てくれているんだ!と思うと、次のテストでも反省文コーナーには何か書こうと、ちょっと楽しくなった。

このように、日本史の先生は、生徒の内に秘めている声にしっかりと向き合い、フォローを個別に入れてくれているところがすごい。そして先生自身の授業内容も、生徒の生の意見を反映し改善するということを常に自然と行っているとても尊敬できる先生だった。

学んだことが趣味のきっかけになっている

残念ながら私は進路の関係で日本史を選択できず、その先生の授業はそれまでだった。しかし私自身、日本史がさらに好きになったのは間違いなく先生のおかげだ。その影響もあって、神社仏閣・お城巡りなどの歴史ある場所を訪れることが私の趣味の一つになっている。
今となっては、その時の授業で楽しんだことが、歴史的場所を訪れた際に時代的な背景や関わった人物への思いを巡らせ・当時を感じ取ろうとする心を育むことにつながっていたとも思えている。

あれからかなりの年月が経っているが、先生お元気だろうか。あの楽しい日本史の授業をありがとうございました!!

サポートいただけるお気持ち非常に嬉しいです。まだまだ修行の身、本などで学んでいこうと思います!