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手術台のメリー・クリスマス(24)

 翌朝、鹿島さんは来なかった。代わりにロボットがやってきた。
「おはようございます。朝の検温にまいりました」
 ロボットは天文台のドームのようなヘッドをくるくる回転させながら、ジェンダーレスな声を発した。
「鹿島さんは?」
 ぼくはロボットに訊いてみた。質問にロボットは答えなかった。円柱型の胴体からアームを伸ばしてきて、ぼくの上腕部にふれた。
「ご気分はいかがですか」
「悪くはないね」
とぼくは答えた。
「すぐに朝食です」
 ロボットはそう言うと、円形の台座の上に載ったボディを一八〇度反転させて、音もなく病室から出ていった。
 しばらくして、また同じロボットが一人分の配膳用カーゴを引っ張ってきた。アームが伸びて、トレイを引き出し、ベッドのオーバーテーブルに移した。
 ベッドサイドモニターにはメニューが表示された。

  普通食B
  オムレツ
  白菜の和風サラダ
  牛乳
  ロールパン
  マーガリン
  蜂蜜

「ありがとう」
とぼくは言った。
「ごゆっくり。のちほど食器を下げに参ります」
 ロボットが出ていったので、ぼくは食事を始めた。鹿島さんのこない朝の食事は味気なかった。
 食べ終えると、ぼくは食器のトレイを持って廊下に出た。廊下の先に、さっきロボットが引っ張ってきたカーゴが置いてあったので、そこへ戻し、そのまま歩いてトイレに向かった。鹿島さんがいないかと探してみたが、だれともすれ違わなかった。
 部屋に戻り、洗面台に向かって歯を磨いていると、さっきのロボットがまたやってきた。
「お粗末さまでした。お口に合いましたか?」
「ごちそうさま」
 歯ブラシを口にくわえたままで、ぼくは返事をした。
「食器を返却してくださったのですね。取りにくるのが遅くなりまして、まことに恐縮です」
とロボットが言った。
「いいんだよ。そんなことより」
とぼくはロボットに向かって身を乗り出すようにして、
「今朝は鹿島さんは? 来ないの?」
 さっきした質問を繰り返してみた。AIが状況を判断して、ある程度の反応が返ってくるのではと期待したのだが、今度もロボットは答えなかった。ロボットは黙って去っていった。あらかじめ想定された会話の受け答えしかできないのかもしれない。
「田村さん」
 しばらくして、ロボットではなく、今度ははっきりと男性であるとわかる声がした。
「田村祐一さん」
病室のドアが開いて、ネイビーのスーツの上に白衣をまとった、中年の男が入ってきた。
「おはようございます、川端です」
と彼は名告った。首からかけたカードには『SWソーシャルワーカー』という肩書があわせて記されていた。
「本日退院されます田村さんの、今後の生活のことでお話をしに伺いました」
「退院、ですって?」
とぼくは驚いて言った。
「今日? いったいここを出て、ぼくにどこへ行けと?」
 ぼくは二〇二四年の世界からタイムスリップをしてきたんですよ。喉元まで出かかった言葉をぼくはのみこんだ。そんな荒唐無稽な、ぼく自身も信じられないような話を、病院のスタッフの人たちに話して聞かせたところで、納得してもらえるとは到底思えない。ぼくはあとに続けるべき言葉を考えあぐねたが、とりあえずはまだ記憶が戻っていないふりを通すことに決めて、
「記憶もあいまいなんだ。自分がどこに住んでいたかも覚えていないんですよ」
と言った。
「おっしゃっていることは、ごもっともです」
と川端氏はうなずいた。
「ですので、田村さんの現在の状況を、客観的にご理解していただくことからはじめましょう」
 この世界では、ぼくは正体不明な存在だ。病院のスタッフが手をつくしてぼくのことを調べあげた先に、今のこの時代にぼくをつなぎとめるような情報は得られるのだろうか。『ここのSWは優秀だから』そう言っていた鹿島さんの言葉が記憶をよぎった。
「まずは田村さんの病状ですが」
 川端氏は言葉をついだ。
「当病院に収容された際の低体温症と、それに伴ういくつかの身体的な症状は、ほぼ完治されている、というのがドクターの見解です」
「つまりそれは、これ以上ぼくがここに入院し続ける理由がない、ということでしょうか」
「おっしゃる通りです。ただ」
と川端氏は言った。
「田村さんには引き続き精神面でのケアが必要なのです」
「まさにそれです、ぼくに必要なのは。このタイミングで退院なんて」

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