さようなら、とら。

今月、実家の三毛猫・とらが亡くなりました。

初めは妹の猫でした。 

当時妹はすでに犬を飼っていて、猫を飼う気は毛頭なく、当初は一旦保護して里親を探すつもりだったようですが、ほんの子猫だったその子の世話を焼くうちに「とら」と名前をつけ、自分で飼うことに。

実家でも犬や鳥は飼ったことがあったのですが、猫を迎えた経験はなく、特に母はあまり猫が好きではありませんでした。

でも、妹の忙しい時など何度かとらを実家で預かるうちにとらが実家の方が居心地が良くなったようで気がつけばとらは実家の猫になっていました。

なかでも、とらは母によくなついて、いつも母の後を追っていました。

母が出かければ落ち着きがなく、家の中でも母が忙しくしていると、
「母さん、こっちに来てわたしと遊ぼう」
「母さん、一緒に座って」
「母さん、お話があります」
と、とらのおしゃべりは止まらないのです。 

母もとらを可愛がり、以前猫が苦手だったとは思えないほど文字通り「猫可愛がり」していました。

うちはわたしも含めて兄も妹も独身で両親にとっては孫は一人もいないので、両親の静かな生活の中にとらがいてくれることでうちの家族はどれだけ助けられていたかわかりません。

あまり好き嫌いがないとらがいちばん好きなのは鮭。

鮭を焼いているときにとらが鳴くとその鮭は美味しく、無言の時には今ひとつの味、という不思議な現象も起こりました。
(においでわかったのか、今でも原因不明です) 

そんなとらも、少しずつ年をとりました。

粗相をすることも増え、猫用の紙パンツをはかされていましたが、習慣通り、律儀にトイレに通い続けていました。

それでも良く食べ、母に甘えて機嫌よく過ごしていたのです。

でも、やはり18歳という、猫としてはかなりの高齢になり、先日、体調を崩した後、一旦元気にはなったものの、

いつのものように母と一緒に眠っているうちに亡くなってしまいました。

今までいつもそこにいておしゃべりしたり、身繕いをしていたあの子がもういないということが、今だに信じられない気がします。

妹のところにとらがきた時にはわたしはもう実家を離れていたのでとらに会うのは帰省したときだけでしたが、母は文字通りいつも一緒にいたので、本当に寂しいのだと思います。

「あんなに可愛い子はいない」
と寂しがり、とらが亡くなった後、トイレに残した小さな足跡を見るだけでも声をあげて泣いてしまったそうです。

先日、保護猫と暮らしながら猫の短歌を詠んでいる歌人の仁尾智さんに文学フリマでお会いして記念にご著書
「これから猫を飼う人に伝えたい11のこと」
を購入させていただきました。

サインとともに書かれていたのは
「幸せは前借りでありその猫を看取ってやっと返済できる」
という歌。

以前もこの歌を読んでいたのですが、この本を読んで改めてこの歌の意味を知りました。

これまでたくさんの保護猫と暮らしてきた仁尾さんはたくさんの別れも経験されています。

「どこかをもがれたような感覚がずっと続く。突然、腹の底から『悲しみ』としか言えないものがせり上がってきて、吐くように泣いてしまう。自分では全く制御できない。」

仁尾さんがそんな「何度経験しても右往左往してしまう自分の気持ちを、どうにかやり過ごすためにたどり着いた考え方」が「幸福前借り理論」。

それは、猫との暮らしで得たおだやかさ、あたたかさ、面白さなどの幸せは全て返済の義務がある「前借り」であり、前借りしたその幸せを返済する唯一の方法が「その猫を看取ること」、という理論なのだそうです。

直接とらに何もしてあげられなかったわたしは前借りのしっぱなしになってしまいましたが、最初にとらを引きとって世話をし、晩年になるまでとらの体調が悪い時には病院にも連れて行った妹や長年我が子のように可愛がって世話をした母がとらが家族全員にくれた幸せの前借りを返してくれたように思います。

そして、仁尾さんの作品には
「飼い主が猫に望んでよいことはもはや長生きだけであること」
という歌もあります。 

「元気でいてね」
というわたしたち家族の願いに応えて、とらは18年もがんばってくれていたのかもしれません。

とら、長い間、うちの家族にたくさんの幸せをくれて、本当にありがとう。

最後までお母さんと仲良くしてくれて、本当にありがとうね。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*数日前、猫の夢を見ました。

その子はとらによく似ていて、一瞬
「あ、とらが帰ってきた」
と思ったのですが、よく見ると模様が違うし、目の色も違う。

がっかりしながらも、
「ああ、この子を飼えたらいいのに」
と思いました。

「この家ではペットは飼えないし、札幌の実家に連れて帰ろうか?
でも、この子は飛行機の旅に耐えられるだろうか?

・・・夢の中でそんなことを考えているうちに、とろとろとまた眠ってしまい、朝を迎えました。

いつもは夢の内容はほとんど覚えていないのに、この夢はまだはっきり覚えています。

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