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それぞれの人生 「くず湯吹く姓を違へて四姉妹」

今日は1月17日、阪神・淡路淡路大震災から27年。

関西に住んでいた頃、
この日はみんなが
「あの日、私はこうだった」
を思い出して語り合う日でした。

今年もきっと、そうして多くの方が
「あの日」を
思い出していらっしゃるのだと思います。

さて、最近は
帰省中に録画した番組を少しずつ見ています。

宇多喜代子先生が女将、
小林聡美さんが若女将を演じる
「歳時記食堂」
では俳句とともに
季節のお料理も紹介されることもあり、
見ていて楽しい番組です。

そのお正月番組で紹介されていた
桂信子さんの
「餅焼いて食ふや男を交へずに」
は女同士の親しい雰囲気や
安心感・連帯感が伝わってきます。

また、桂さんの
「今日よりの働く顔とむきあへり」
は、初めての職場に向かう朝の気持ちや
年の初めの仕事始めに
気持ちを新たに出勤する時の気持ちを
思い出しました。

25歳で亡くなった自由律俳句の歌人、
住宅顕信が最後に自宅への外出を許されて
自宅で食事をした時の句、
「おなべはあたたかい 
我が家の箸でいただく」 

「やっぱり家はいいなあ。
家のご飯はいいなあ」
としみじみと自宅で落ち着きを感じる様子が
伝わってくるようでした。

そして、結城あきさんという方の
「くず湯吹く姓を違へて四姉妹」
はしみじみ、いい句だなあと思いました。

今80代の結城さんは
一般の方で、この句はある大会で
特選句となった句のこと。

この句は30年以上前に
初めて四姉妹で箱根の温泉旅館に
一泊した時のもの。

作者は四姉妹の末っ子。

同じように育った四姉妹でも、
両親に大反対されつつ結婚して、
結局離婚をすることになったお姉さん。 

結婚して満州に渡ったものの、
戦争で全てを失って引き上げてきたお姉さん。 

嫁ぎ先で結核を患い、お子さんができずに
養子を迎えたお姉さん、

そして、結婚後数年で伴侶を亡くした作者。

温泉旅行の時には40−50代だった姉妹は
それぞれの人生を歩み、
それぞれに違う姓を名乗っていたのでした。

(コロナがなければ)
今は温泉旅行も特別なことではありませんが、
その当時は温泉旅行は夢のような出来事で、
一泊の旅行だったのに、
まるで引越しをするような大荷物で
出かけたそうです。

みんなでわくわくと温泉に出かけ、
部屋で出されたのがくず湯。

四姉妹はそのくず湯をふうふう吹きながら
味わう様子を描いたのが、
上の句だったのです。

番組では当時の写真も紹介されていましたが、
温泉の浴衣を着た姉妹は、
とっても楽しそう。

もしかしたらこの後にも
家族旅行に行くことはあったかもしれませんが、
きっとこの初めての温泉旅行のことを
「あの時、楽しかったね」
と姉妹で何度も思い出して
話したのだろうな、と思いました。

コロナウイルスの感染が急拡大し、
首都圏の1都3県はまん延防止措置を
要請しました。

家族での旅行もまた少しお預けですが、
家族や友達、親しい人と
のんびり温泉を楽しめる日がくることを
楽しみに待ちたいと思います。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

*写真は昨日の井の頭公園です。

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