90°机を右へ。それだけでちがう
いちねんが365にちとして
わたしが他人(ヒト)と会うのは何日だろう
そんなふうにフとおもう
一週間が7にちとして
わたしが他人(ダレか)と会うのは何回だろう
そんなふうにフとかんがえる
日々とてつもなく
折々くりかえす
ヒト、人、他人との会話に
ひっ、ひっ、ひとりにしてください
どうかわたしを孤独にしてください
そんなふうにヒィヒィぃしていたこともある
されどもやはり
他人(ヒト)に会うということも
それもまた日々の醍醐味なんだと
それを知る
机を90°右へうごかしました。南向きの窓と対面になるように。それだけで見えるものはちがう。そんな当たり前のことをおもう。当たり前のことなんだけれど、いざというときはなぜ角度を変えるだけでうまくいくことに気がつかないのだろう。
なんでも意味を考えたくなるお年ごろなのでしょうか。「オトシゴロ」と表現すると、なんとも可愛らしい、、、可憐な思春期の10代を想像してしまうのだけれど。決して、そんなお年ごろではないワタシ。
なんでも意味を考えたくなるお年ごろなのでしょう。それだけ時間にゆとりがあるのでしょう。日々とてつもなく出会う他人(ヒト)との時間がなくなったワタシのポッカリと空いた穴。それを時間のゆとりというのでしょうか。
穴をうめたくて意味をさがしているのでしょうか。なんとかオトシドコロをみつけようと角度をかえてみる。見る。
机を90°右へ。それだけで何かが変わると期待して動かす。そこで見えたものは、バルコニーへの来客。ハト?カラス?つばめ?
あぁぁ、今年もこの季節なんだなぁ
日々とてつもなく
折々おりなす
毎日なにかがうごいているのだけれど
日々とてつもなく。を今は実感することがむずかしい
窓から眺める空の
スゥッと流れる雲をみて
あぁあぁぁ
うごいているな
ワタシの鼓動
◻︎見出し画像は 「さくらもち市長」さんの画をお借りしました。音楽というオトを流しながら空という流れをたのしむ。それもまたうごいているアカシなのです、ね
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